第127話 船長のお仕事①
海賊船を乗っ取り、リズが新船長となって3日ほど経った。マルシエルまでの船旅としては、折り返し地点に差し掛かったところである。
船長が成り代わったばかりという状況だが、特に問題は生じていない。
反抗的な態度を見せる船員が数名ほどいるが、仕事自体は真面目にこなしている。減刑のための奉仕か、それとも職業人としてのプライドか。
最後まで意地を見せた彼、ニール・ヒュレットも同様だ。時折、リズに憎まれ口をたたきつつ、航海士としての役割を全うしている。その態度はさておき、仕事ぶりについては、リズたちを補佐する海兵たちも認めるところだ。
規律を重んじる海兵たちからすれば、ニールの態度は、やはり好ましくないようだが。
とはいえ、その憎まれ口が口論に発展することはない。ちょっとした悪癖程度のもの、リズはそのように捉え、すぐに慣れてしまった。
あの妹に比べれば可愛いものである。
他の大多数に至っては、まさに従順そのものであった。卑屈に振る舞うほどのものではないが、逆らおうということが意識の端に上ることすらないのだろう。
彼らもまた、それぞれ仕事には精力的に取り組んでいるのだが……ふとした拍子に、顔に影が差す彼らの有様に、リズは若干のいたたまれなさを覚えていた。
さすがに直接聞くのは遠慮した彼女だが、この船乗りたちは、何らかの経緯があってあの船長に従っていたのだろう。
航行自体は順調である。ただ、他に問題がないこともない。
食糧事情である。
それなりに日持ちして、かつ栄養のある食材となると、かなり限定される。皮が厚い柑橘類を除けば、だいたいが乾物だ。これを湯で戻してスープにするのが、食事の大半である。
好意的に表現すれば、滋味深い味と言えなくもないが……それほどおいしいわけでもない。使える調味料も、限定される。
このような食事が、代わり映えなく3日も続くと、あまり日常の楽しみとは言えなくなってくる。
仲間たち三人、同乗する海兵の派遣者たちも、この食事には少し思うところはあるようだ。表立っての不満は出ないが、とても楽しみにしているとは言い難い。
少なくとも、話題には上がらない。この食事を話題にすることを、それぞれが注意深く避けているようですらある。
(とはいえ……)
今日の昼もまた出てきた、味気ないスープを前に、リズは考え込んだ。
船長が変わって、誰にとってもマシな環境になったと信じたいところである。
しかし、船全体としては、大多数を占める船乗りたちの心境がそうさせるのか、どこか湿っぽい。
では、もう少しおいしいものを食べられたら、環境改善になるのでは――彼女はそう考えた。
おそらく心配ないだろうが、万一のリスクを軽減する人心掌握的にも、重要なことである。
食材について、実は商船の側から提供の申し入れがあった。
だが、それはリズと仲間三人、それに海兵たちの分を想定した申し入れであろう。元海賊船の船乗りの分まで提供させるわけにもいかず、かといって、自分たちだけ良いものを食べるわけにも……
そうした、新米船長ながらの責任感もあり、リズはこの申し出を丁重に断っていた。
ただ、それはそれで、仲間や海兵たちを巻き込んだようであり……食事の格差が反発心に繋がるからと、この決断に理解を示してもらえているものの、やはり申し訳なく思う気持ちはある。
従属する船乗りたちばかりでなく、リズに近しい立場の面々のためにも、やはり食事はどうにかしたい。
それも、外部の者に負担をかけることなく。
となると……
☆
「で、魚と」
「ええ」
甲板の上で柔軟体操を始めるリズに、休憩中の船乗りたちの視線が集中する。
今の彼女は、セパレートタイプのウェットスーツのようなものに着替えている。トーレット近海で活動する漁師愛用という品だ。
潜水時に体を保護するため、やや厚手の素材が用いられており、四肢のかなりの部分を覆いつくす作りになっている。素材は耐久性に加え、伸縮性にも富む。独特の締め付け感に慣れさえすれば、動きの邪魔になることはない。
この装いで、リズは魚を獲りに行こうというのだ。
何らかの形で、水中での活動が求められるかも……そういった考えから調達した品だったが、ちょうどいい巡り合わせである。
釣りでもいいのでは、という声は出た。だが、漁に詳しい者は、釣りに対して逆に否定的だ。
というのも、この近辺の海域となると、釣り竿で釣れる程度の魚は限定的だという話。それに、エサになりえる生ものに乏しい。そこで……
「大物を捕まえてくるわ」
「しかし……やっぱり危険では?」
不安そうな顔のアクセルが口を開いた。頬は少し赤いが、懸念は本物であろう。少し間を置き、彼は続けた。
「もしよければ、僕が代わりますけど」
「いえ、大丈夫。ありがとね」
「……単に泳ぎたいだけとか?」
「それもあるわ」
訝しむニコレッタに、リズは素直に応じた。
別に、海を甘く見ているわけではない。しかし、これまでの戦闘に比べれば、まだ手ぬるい環境だろう。波も落ち着いたものである。
それでも、念のためにということで、装備が一つ用意された。ハ一ネスである。これを、船のロープ巻き上げ機に括り付けるのだ。
「船の補修用に、こういう装備を用いることがあります」と、海兵が用意を進めながら言った。
「ただ、こういった用途は、さすがに初めてですが……本当に大丈夫ですか?」
「ご心配なく。大船に乗ったつもりで、お待ちくださいな」
「……まぁ、大船か」
船をマジマジと見つめた後、マルクがポツリと零し、甲板がちょっとした笑いに包まれる。
そんな中、リズは反抗的なあの彼、ニールにチラリと視線を向けた。その目に気づいたのか、他とは少し距離を取る彼は、「お好きにどうぞ」と言わんばかりに肩をすくめた。
その後、多くの視線を浴びる中、リズは甲板の縁から海へと飛び込んだ。ごくわずかな水柱が上がる。
すると、新船長の野放図な振る舞いに、居ても立ってもいられなくなったのだろう。船乗りたちが心配そうな顔で縁の方に詰めかけていく。彼らに対し、海から胸元を出したリズは、朗らかに笑って手を振って見せた。
それから彼女は、海に潜って獲物を探し始めたのだが……
『見つからないわ!』
甲板に仕込んだ《遠話》から、彼女の声が響く。見つからない割に、どことなく楽しんでいそうな声だが。
とはいえ、船長ばかり楽しんで、結局魚は獲れなかった……というのもまずかろう。
そこでアクセルは、船乗りたちを見回して尋ねた。
「漁に詳しい方、よろしければ取り方のアドバイスでもいただければ」
すると、船乗りの一人が、おずおずと手を挙げた。
しかし、口にするにはためらわれる何かがあるらしい。煮え切らない様子の彼に、アクセルは低姿勢で問いかけた。
「何かヒントになるかもしれませんし、とりあえず教えていただけませんか?」
「……この辺の海だと、結構な大物がいるはずで。泳ぎながら小魚を一呑みにするような連中なんスわ」
語り始めた彼の前で、アクセルはうんうんうなずき、先を促していく。その朗らかさに少し気が楽になったのか、船乗りの表情が解れ、彼は続けた。
「んで、その小魚っていうのが、尻の方が光るヤツでして」
「光るんですか?」
「仲間と合流するために、尻を光らせて合図を取り合うみたいな……そんな話っス」
「へえ~!」
純粋に興味があるのか、アクセルが感嘆の声で返した後、通話先からリズの声。
『つまり、それっぽい光でおびき寄せようってわけね!』
「そ、そうなんスけど……小魚の方は、夜の方が活発に活動するヤツでして」
『今の時間だと、大魚の方が反応する?』
「そっスね……なんで、危ないんじゃないかと」
とはいえ……彼の話では、その大魚に毒や針などの危険なものはないとのことだ。水中の取っ組み合いというのは未知数だが、リズを引き下がらせるものではない。
やや心配にしていたアクセルも、この話で安全そうな獲物と認めたらしく、「それなら」と前向きになった。リズの戦いぶりを知る海兵たちも、そこまでの懸念を抱いていない。
心配そうにしているのは、配下になったばかりの船乗りたちである。
そんな状況を、リズはむしろ望むところと考えた。いいところを見せて、胃袋のついでに心も掴めばいい。
「そこで見ててね!」
下肢だけで器用に泳ぎ、上半身を浮き上がらせたリズは、皆によく通る大声で呼びかけた。




