第126話 私が船長です
リズの手でコピーが終了し、不要になった私掠免許状の本物は、海軍の規定通り海へ。
海兵とリズたちの認識では、免状に仕込まれた《爆発》の威力は、さほどのものではない。
それでも、木造船の中で爆破されれば大打撃となろうが……海に沈めれば、問題ないという同意に至っている。もしかしたら、後でささやかな水柱を目撃できるかもしれない。
船内の安全確認も完了した。略奪品らしい積み荷はなく、航行用の物資だけだという話だ。
ここに来るまでに略奪してきたモノを、すでに捌いて可能性はあるが。
とりあえず、この船を運用できるものと認め、確保作業は次の段階に移行した。
捕縛した連中の処遇についてである。
軍艦には、これら捕虜を乗せるだけの余裕がある。とはいえ、拿捕した船を運用するならば、人手も必要。そこへ海兵を多く回そうものなら、捕虜を抱える軍艦側のリスクが、多少なりとも増す。
この人員配置のバランスに悩む様子を見せる艦長だが、とりあえず荒くれたちの処遇は決まった。艦長の指揮下で、軍艦側に少しずつ移送されていく。
特に危険な連中を、勝手知ったる海賊船に残すわけにはいかないのだ。
頭目をはじめとし、未だ気絶している戦闘要員も、次々と軍艦に運び込まれていく。
この光景を、リズは黙って見つめていた。ここまでの措置に、特に口を挟む考えはない。
問題はこれから。非戦闘員らしき、下っ端たちの扱いである。
彼女は軍艦の甲板に目を向けた。そちらにいる艦長は、非戦闘員の処遇を検討しているところのようだ。この件について、彼も少し悩ましいものはあるようだが、決断を引き延ばせば軽んじられる。
あくまで威厳を保ち、渋面でいる彼のもとへ、リズは意を決して駆け寄っていった。
「少々よろしいでしょうか」
「何でしょうか?」
「あの船ですが、私たちにも任せていただければ」
「にも、ということは」
「軍の方を、何人か乗せざるを得ないものと思います。そのお手伝いに、と」
――とはいえ、リズが言ったお手伝いというのは、真意からなかなか遠い。
騙すようで気が引けた彼女は、もう少し表現を改めた。
「成り代わった新リーダーが、前任者よりも優しいところを見せれば、彼らも働きやすいのではないかと」
「……なるほど。実際、あなた方が乗っ取ったわけですからな。あなたが、あちらの新船長になり、彼らを労働力として扱うと」
艦長の言葉に、リズはうなずいた。すると、彼は真剣な表情で少し口を閉ざし……そして、言った。
「あの船にも、軍事的な力はあります。完全に委任できるわけではありません。何人かお目付けのような形で同乗させることになるでしょう。これでは名ばかりの船長と思われるかもしれませんな」
「いえ、必要な措置だと心得ております」
まっすぐ視線を返すリズに、艦長は無言で顔を向け続けた。周囲の海兵たちが、事の成り行きを静かに見守っている。
やがて、艦長は表情を柔らかくした。
「あの者たちは、ただの下働きでしょう。望まず、半ば強制される立場の。経験上、それとわかります。多くは従順に従うものと思われますが……そんな彼らを煽り立てる者も、いるかもしれません。造反には十分にお気を付けください」
「では……」
「この航海中に限っては、私の責任と権限において、あなたをあの船の代表として認めます。もっとも……私ではなく彼らにも、それを認めさせねばなりませんが」
焚きつけるような言葉を放つ老紳士だが、実のところ、不安視はしていないようだ。リズを見つめる目に侮りはなく、期待と信頼がある。
彼に深々と一礼を返し、リズは自分たちで制圧した船へと戻った。彼女に続き、階級が高いであろう海兵たちが移乗、海賊船側にいる同僚へと、この件を通達していく。
艦長指示を受けて、海兵たちは非戦闘員の拘束を解き始めた。
非戦闘員の中には、反抗的な目をする者も散見されるが、内なる感情が言葉や行動に乗ることはない。いずれも静かに構えている。それ以外の大多数は、不安そうに事の成り行きに任せている。
そうした面々の前に立ち、リズは「新船長のエリザベータよ。どうぞよろしく」と宣言し、言葉を続けていく。
「まずは、正直に伝えておくわ。あなたたちは、悪事の片棒を担がされた疑いがある。どのような事情があったにしてもね。陸に着けば、正式な裁きが待つことでしょう。それまでの間、私の下で船の仕事をこなし、社会貢献のつもりで減刑に努めるがよろしいわ」
この言葉について、法秩序の側に立つ海兵たちから特段の反応はない。至極まっとうな提言と認識されているのだろう。リズの仲間三人も、取り立てて反応を見せず、雇用主に場を任せる構えだ。
言葉を向けられた側はというと、少しざわついた。もっとも、多少の困惑を見せるものがほとんど。リズの見立てでは、そう悪い感触ではない。
だが、彼女の言葉について、他とは違う受け取り方をした者もいる。
他よりも身なりがよく、反骨的な態度を見せる青年――少し前からリズたちが注意を向けている彼――が、訝しむ視線とともに噛みついてきた。
「調子のいいこと言ってるが、結局はコキ使おうって考えなんだろ」
見た目以上に荒い口調を向けてくる彼を、リズは少し意外に思った。
ただ、言い負かされているように思われては不都合だ。相手は周囲の同僚から一目集めるようでもあり、言い返す必要はあるだろう。彼女はあまり間を置かずに切り返した。
「別に、あなたたちに減刑を約束する理由は、私にはないわ。だけど、あなたたちを真っ当に裁こうという方々に対し、偽証する理由はさらにない。働きぶりを正直に伝えるまでよ」
「それが調子いいって言ってんだよ。まともに働けば認められるみたいに仄めかしやがって……オレたちごときの頑張りに、ドコのドチラ様が報いてくれるって?」
敵意というより、冷笑的な虚無感を見せ、彼は淡々と吐き捨てた。
彼の言葉に、リズは少し考えこんだ。
実際、彼らが協力的な姿勢を見せたとして、それがどう判断されるかは未知数である。おそらく、行き先のマルシエルの司法が裁きを下すだろうが……保証もない救いを匂わせているのは事実だ。
彼らにとって都合のいいイメージも、結局は自分にとって都合のいいものでしかないのかもしれない。
そういう甘さに気づかされた彼女は、少ししてから言葉を返した。
「あなたたちが海も船も嫌いなら、陸に着くまでの間、船内の牢に繋がれてなさい。そうでなければ、外で働くといいわ」
「で、外で働いて何か意味が?」
「別に。海と船がお好きな自分自身に報いてやればいいわ。あなたたちを裁きが待つのは変わりない。法の秩序を信じられないとしても、裁かれるまでの心の持ちようは変えられる。違うかしら?」
今度の言葉に対しては、特に反論が出てこない。
一方、いつの間にか彼の後ろに立っている船乗りたちは、いかにも迷っている様子だ。
そんな彼らに、リズは一押しをかけることにした。
「前のアレより、私を船長にしたい人、私の後ろへ来るといいわ」
すると、一人がさっそく動き出した。
「いや、あなたには聞いてないって」
――ニコレッタだった。
リズとしては、真面目な話をしていたつもりだったが……ニコレッタのおかげで、真剣な空気が一瞬崩れた。船乗りが一人、軽く含み笑いを漏らす。
これを聞き逃さなかった女性二人。さっそくそちらに顔を向け、笑顔で手招いた。笑ってしまった彼は、周囲の同胞たちをチラチラ見た後――
冗談の通じる職場へと、歩みを進めた。
「よくやったわ」
「えへん」
「きちんと口利きしてあげる」
「いや、私は無実ですって」
小芝居する二人の下へ、船乗りの手下第一号が近づき……彼は二人の前で涙ぐませた。
抑圧していたものが溢れ出ているようで、なんとも痛ましい。ニコレッタは彼の手を優しく握り、柔らかに微笑んで見せた。
(さすがに、これは芝居じゃないと思いたいわ……)
とはいえ、前任との比較として効果はあるようだ。自分たちへ向ける目線と空気感が、確かに変わりつつある。
打算的な自分を自覚しながらも、リズは場の流れを逃さず、声をかけていく。
「最後になるかもしれない航海よ! 腐ったままで終わらせていいの?」
――実際、これは彼女自身も意識していない、心の奥底の叫びであった。
母国からの刺客が、今は感じられない。
とはいえ、いつ手を下されてもおかしくはない。
彼女にとって、最初で最後の航海になるかもしれない。
それを、沈んだ気持ちのままで終わらせる気など、彼女にはさらさらなかった。
真に迫る彼女の言葉に背を押され、一人。また一人と、リズたちのもとへ船乗りが参集していく。
その勢いは徐々に増していった。敵意や反抗心を隠さずにいた数人も、場の流れには勝てないのか、渋々とリズの側へ。
最後に、あの彼が残った。
意固地になっているのかどうかはともかく、この空気に流されないあたり、見上げた反抗心ではある。
リズ自身、母国から見れば、意外とこんなものなのかもしれない。事の程度はともかくとして、彼女は互いの方向性に、少なからずシンパシーを覚えた。
すると、例の彼が口を開いた。
「一つ、言わせてくれ」
「何か?」
「前の船長と比べさせるのは、詭弁じゃないのか? アレよりアンタがマシだとしても、アンタが船長として妥当かどうか、そういう承認になるわけじゃない。こんなのは茶番だ」
「なるほど……」
色々な感情を乗せた視線を向けられる中、こういう指摘を入れてくる知能と精神性を前に、リズは素直な反応をしてしまった。
実のところ、彼の指摘はごもっともなものがある。前任者との比較と場の流れを活かした上で、新船長の座に就こうという目論見はあった。
そういう話術抜きにしても、彼女の側についた船員たちは、認めてくれているようではあるが。
最後に残った彼がこのままであれば、牢にブチ込むことになる。
それをリズは、もったいなく思った。
かといって、力任せに言うことを聞かせようという気もしない。そうすれば、彼女の後ろにつく者たちを裏切ることになろう。
少し考え込んだ後、彼女は尋ねた。
「ちょっといい?」
「何か?」
「こういう話、前の船長としたことは?」
すると、彼は鼻で笑った。
「あると思うか?」
「では、決まりね。牢屋でブツブツ独り言を垂れるか、仕事の合間に私とやり合うか。それともそこで、一人で駄々こねるか。まだマシな方を選ぶがよろしいわ」
この申し出に、彼は黙って熟考を始め……やがて、口を開いた。
「アンタのこと、認めたわけじゃないからな」
「勘違いするようなバカに見える?」
リズが切り返すと、彼は小さく鼻で笑った。




