第121話 小舟の出撃
風力推進ボートの試運転を終え、リズは一度母艦に戻った。
前方の不審船2隻は、依然としてこちらへ接近してきている。撃ち合う射程まではまだ猶予があるが、それも時間の問題といったところだ。
そんな中、絶好の囮役を手にしたわけだが……これを囮だけでなく、移乗攻撃にも用いようというリズの発案に、海兵たちの多くは戸惑った。
「さすがに、そのような危険まで負わせるわけには……」と。
ただ、艦長は真剣に検討してくれているようだ。無言で考え込んでいる。彼に加え、いざとなればリズと同じ目に遭うであろう、マルクとニコレッタも。
しかし、アクセルはこの案にあまり乗り気ではないのか、不安が顔に表れているようだ。
リズが帰還してから少しの間、微妙な沈黙が流れ、やがて艦長は言った。
「接舷はともかくとして、ですが。懐にまで近づくというのは、良い案かもしれません」
「艦長?」
「半端な位置で砲を撃たれ続ける方が、よほど危険だろう。あの小舟であれば、敵船に十分近づいた方が、むしろ安全ではないか」
疑義を呈した部下に対し、艦長は落ち着いた態度で答えた。
彼が口にしたことは、リズも考えていたことである。艦砲はあまり下に向けられるものではない。艦同士の接近戦であれば、それでも当たり得るだろうが……近づいてきた小さな的を狙い撃つのは至難だろう。
大砲以外にも、飛び道具の用意がある可能性は高いが、それこそ船に横付けするほどに近づけば、他の武装も意味を成し得ないはず。
この、懐に飛び込むという考えの妥当性を、海兵たちは最終的に認めた。
では、そこまで近づいて何をするかだが……リズは案を提示した。
「『船を破壊するぞ』と脅しても、結局は降伏しないでしょう。というよりは、降伏がポーズでしかない可能性が、十分に高いのではないかと。であれば、最初から制圧にかかるのが、妥当であるように思います。頭目を標的にすれば、比較的早く決着するのではないかと」
「とはいえ……数の利は相手方にあるでしょう。地の利もですな。そのあたり、何かお考えがあるのでしょうが」
「はい」
そこでリズは、仲間を見回してから考えを述べた。
話は単純だ。敵船のすぐ横にボートを接舷させ、乗り込む前に掃除するのだ。
《遠覚》と《幻視》を用いれば、船の中にいる敵勢を把握するのは容易。後は、《貫徹の矢》で外から狙い撃ちにしていく。
甲板にいる相手に対しては、《追操撃》で攻撃を仕掛けるのも良いだろう。
いずれにしても、相手に魔法戦闘の覚えがなければ、数の利をほとんど無視できる。こういう攻め手を相手が想定していなければ、地の利はむしろこちらにあると言ってもいいだろう。
「なるほど。相手が船でも、結局は室内戦を応用できるというわけだ」
「そういうこと」
室内戦のエキスパートである元諜報員たちの力を活かしてやろう……そういう考えもあっての策だ。
懸念としては、海賊たちが魔法を使えるかどうか。これについては海兵が実情を述べた。
「初等魔法を使える者は、たまにいます。ですが、そう数は多くありません。今回の策に対して、相手は対応しきれない可能性が高いものと思われます」
「《防盾》で防がれる可能性が、無くはないという程度でしょうか」
リズの確認に、その海兵はうなずいた。
これで、相手に近づきさえすれば、一方的に攻撃できる可能性が共通認識となった。
本当に乗り込んで制圧するかどうかは、状況次第ではある。しかし、接近していくという策の有用性について、艦長は承認した。
だが……話がまとまりつつある中で一人、アクセルは不安そうというか、何か言いたげで、それを抑え込んでいるようにも映る。
そこでリズは、はたと気づいた。
敵船に近づくこの策は、マルクとニコレッタを同行させる考えでいた。
アクセルは、連れていけない。魔法を使えない彼の場合、敵船の外から攻撃するのも、《空中歩行》で乗り込むのも不可能だからだ。
彼が手持ち無沙汰になるのを承知で、ボートに乗せるのも……と、リズは考えた。
ただ、そうした事情を口にするわけにもいかない。
仮に、彼の体質を正直に明かせば、それはそれで話がまた面倒な砲口に転びかねない。かといって、単に「魔法を使えない」と言って恥をかかせてしまうわけにも。
敵を前にし、移動手段を手にし、気づけば彼を置き去りに論を推し進めていたことを、リズは申し訳なく思った。
個人的な仲間となって、まだ日が浅いということもあり、こういうところでの気遣いは重要だろう。彼女は思考を巡らせ、自然なフォローを入れようと口を開いた。
「アクセルは、こちらで万一に備えて。ボートで接近するのが、うまくいかない可能性もあるから」
「……はい。その、何と言いますか……あまり無理はしないでくださいね」
気遣いを見せる部下に、柔らかな笑みを向けた後、リズは艦長に向き直った。
「彼は弓術の名手です。仮に敵船の接近を許した場合、彼に適切な狙撃対象をお伝えいただけませんか? きっと、ご期待に添える働きをするものと」
「できることならば、そういった事態にならないように願いたいものですが……心強くはありますな」
艦長はそう答え、アクセルに顔を向けて小さくうなずいた。
アクセルとしても、この流れは好ましいようだ。表情を柔らかくし、彼はうなずき返した。
この流れで、誰をボートに乗せるか、最終決定を行うことに。
そこで、リズたち三人の実働要員に加え、海兵から一人をボートに同行させることになった。軍艦側との連絡及び、正規軍人としての判断役というわけだ。
同行者である青年の海兵は、エリック・デルテルムと名乗った。彼自身の申告では、戦闘力はさほどではないが、それなりに魔法の覚えはあるらしい。
特に、彼が《空中歩行》を使えるというのは、リズたちにとって朗報であった。万一があっても、どうにか命だけは助けられそうである。
出撃人員が決定し、最後に装備の貸与。乗り込みの可能性アリということで、リズたちには制式武器のサーベルを一振りずつ。
これは、実戦においてあまり使うものではなく、どちらかというと制服の一要素といったものである。
軍として、リズたちを正式に、作戦協力者として承認したという側面も。
準備が終わり、出撃者四人は例のボートに乗り込んだ。艦後方から少しずつ、ボートが海へと降ろされていく。
その巻き上げ機の近くにまで寄ってきたアクセルが、一行に叫んだ。
「きちんと、帰ってきてくださいね!」
「もちろん!」
可愛いところを見せてくれる部下に、リズは笑みを浮かべて朗らかな声を返した。
ボートが着水し、ここからが本番である。リズは少しずつ、船尾の魔導書に力を注ぎこんだ。
「思ったより遅いな」とマルク。「人数が増えて重くなったからか」
実際、リズが先にやってみせたときと違い、発進はかなり緩やかだ。
ただ、これには理由がある。「急加速したのでは迷惑でしょ」と、リズは言った。
同乗者がマルクとニコレッタだけであれば、リズは何の遠慮もなく急発進させる考えであった。
しかし今回は、気遣いして然るべき関係者が同乗している。今後を踏まえれば、現場の海兵からの心証も重要であり、彼女はそういった配慮をしていたというわけである。
とはいえ、気遣われる立場のエリックは、「お気遣いなく」と答えたが。
そうこう話している内に、ボートは少しずつ加速していった。体感できるほどにスピードが乗っていき、やがて波間を切り裂いて海を疾走していく。
「これ、いいですね!」と、ニコレッタが楽しそうに言った。戦いに行くための移動手段なのだが……実際、リズとしても楽しくはある。
「後で、アクセルさんも一緒に乗り直しません?」
「……いいけど。働くの私だけど……ま、いいけど。福利厚生ってヤツね」
少し冷ややかに返したリズに、ニコレッタは真顔になり、すぐに申し訳無さそうな顔に。
とはいえ、アクセルを仲間外れにした意識は、リズにも確かにある。ニコレッタの提案は、リズとしても価値あるものだ。改めて笑みを向けると、ニコレッタも苦笑いを返した。
そうした女性陣の話に、タイミングを見計らってマルクが一言。
「何事もなく終わったらな」
「それはもちろん」
「あとな……このボート、借り物だぞ。しかも、軍の官給品だ」
そうなのだ。すっかり私物のように考えていたリズたち二人は、舞い上がっていた自身を恥じ入るように口を閉ざし、それぞれ顔を海に向けた。
そんな一同に囲まれ、今から戦場に向かうというのに不釣り合いな、どこか余裕がある雰囲気の中、エリックは含み笑いを漏らした。




