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第120話 海の自由人

 7月8日の朝。別航路を行くルグラード船に、海賊の襲撃があったという報告から2日後のこと。

 リズたちにも、その時がやってきた。


 自分たちの船室でのんびりと身支度をしているところ、ドアがノックされた。次いで、「失礼します」と緊張した声。

 わざわざ客室へ赴いて声をかけること自体、あまりないことだ。客が寝ているかもしれない時間ともなれば、なおさらである。

 リズはなんとなく察した。仲間たちも同様らしく、寝起きに近い時間ながらも、やや真剣な表情に。


 一声返したリズがドアを開けてみたところ、外に立っていたのは、やはり深刻そうな顔をした船員であった。

 もう、口に出させる必要もあるまい。ふとした拍子に他の客に聞かれる可能性もある。リズは用件を尋ねるのではなく、その先を問いかけた。


「船長室へお伺いした方が?」


 この問いに一瞬、ハッとした顔になった船員は、すぐ見るからに申し訳なさそうな顔になって「お願いいたします」と頭を垂れた。


 その後、一行が早足で船長室へ向かうと、やはり呼び出しはその件であった。

 軍艦の方から、怪しい船影を目撃したとの連絡が。先行する軍艦の、さらに前方に位置しているという話だ。


「まだ、海賊だと断定できる状況ではありませんが」


「念のため、ですね。取り決め通り、あちらへ移動しようかと思いますが、よろしいでしょうか?」


 事前にそういった話はつけてあるが、確認の意を込めてリズは尋ねた。これに応諾する船長。

 商船側から別方面に目を向けたところ、怪しいものは目撃されていないとのこと。自衛用にと、戦力になる客も乗っている。あえて、リズたちを引きとどめる状況ではなかった。


 こうして、状況説明もそこそこに、リズたちは軍艦側へと向かう準備へ。

 商船から小舟を降ろすその段になり、これから軍艦――あるいは戦場――へ向かうリズたちに、船長は「ご武運を」と神妙な顔で言った。

 他の船乗りたちも、一様に不安そうな顔でいる。自分たちの身ではなく、リズたちを案じるように。

 そんな彼らに、リズは「朗報をご期待ください」と、笑顔で請け負った。


 十数分後、軍艦側に着いたリズたちを、海兵たちは敬意をもって迎え入れた。

 まずは手短な挨拶の後、商船で先に聞いていたのよりも、もう少し詳しい状況が語られる。


「前方に船籍不明の船が2隻発見されました」


「船籍不明というと……旗がないのですか?」


「はい」


 艦長の返答を受け、リズはふと頭上に顔を向けた。

 船の身分を保証するための物品は何種類かあるが、一番わかりやすいのが旗だ。

 この軍艦であれば、ルグラード国旗がメインマストに張られている。結晶化した花弁のような国章をあしらった旗だ。それぞれの花弁が、各領を表しているという。

 こうした旗を持たない船は、公的には認められていないも同然の船であり、やましいことがあるものとして扱われる。

 必然的に、他の商船などは避けて通ろうとするわけだ。

 もっとも……他国の船と偽り、接近を果たそうとする賊がいないこともない。遠目にそれと見えればいいというわけで、偽造も容易。船籍識別の上では、あくまで判断材料の一つだ。

 今回は、そうした旗無しの船が近づいているという。


(くだん)の船は、こちらに向けて進路を取っている様子です。このままでは、遠からず接触することとなるでしょう」


 艦長がそう言うと、ニコレッタが口を挟んだ。


「数日前に、海賊と遭遇したとの連絡があったとのことですが、その時と同じような状況ということですか?」


「はい」


 艦長は即座に認めた。確定ではないとしても、ほぼ間違いないだろう。

 艦長以下、本業である海兵たちは、今回の事象は有事だという認識を固めている様子だ。海の素人であるリズたちが、疑念を差し挟む余地はない。


 しかし――状況についての判断と認識はさておき、この後の動きについて、彼女にも提案できるものはある。

 というより、そのために話をつけ、今ここにいるのだ。

 実際に何かが始まってしまうまで、まだ猶予はある。彼女は話を持ち掛けた。


「私たちにも、何かお手伝いができればということで、こちらにお邪魔させていただいているのですが……」


「はい。何かお考えがありそうですね」


「策と呼べるほどのものでもありませんが、試してみたいことが」


 この発言には、海兵たちが少し耳をそばだてるような反応を、仲間三人は一層興味ありげな反応を示した。前々から、気になって仕方なかったのだろう。

 とはいえ、案がどうなることか、未知数なところは大きい。発案者自身、「試してみたい」と、控えめな表現を用いていたほどだ。

 緊張、好奇、期待……様々な思いが入り混じる空気の中、中心にいるリズは、少し遠慮がちに口を開いた。

「恐縮ですが、色々とお借りしたいものが」と、彼女は必要な物品を列挙していく。ダメにしていい、数人乗り程度の小舟。船尾が平らだとなおよし。それと舟板、細めで取り回しのいいロープ、大工道具……


「今から何か作るのか?」と尋ねてきたマルクに、リズは「そうはかからないわ」と答えた。

 彼女が何をする気でいるのか、海兵たちは頭に疑問符が浮かんでいるようだ。

 ただ、責任者である老紳士は、柔軟な対応を示した。この要望程度の備品で有利を得られるならば、むしろ安上がりだと。


「すぐに用意させましょう。何を考えなのか、私も気になるところです」


「うまくいけばよいのですが……」


 若干の不安を感じているリズ。緊迫感ある空気の中ではあるが、艦長は鷹揚な態度で微笑みを返した。

 その後、すぐに指示通りの品々がやってきた。主要なブツであるボートは要望通り、船尾の形状も問題ない。軍艦から後方からで吊り下げることに。


 諸々の品を手早く(あらた)めたところで、リズはパーツ作りを始めた。

 取り出したのは、今日のために用意してきた魔導書。手持ちの2冊の、うち1冊を開き、舟板の上に。

 次いで、舟板と本の背表紙の間に、彼女は木材の端材を噛ませた。魔導書が背から持ち上げられて、山なりの格好に。広げられたページが、それぞれ外側へ向く。

 船板の上で魔導書にブリッジさせた彼女は、それぞれのブツを固定するため、まずは本のノドを通るようにロープを巻き付けていった。船乗りたちに教えてもらった結索法が、さっそく役立っている。

 程なくして、船板の中央で魔導書が開いたまま固定された。このパーツを、今度は小舟の方に。船尾の平らな部分に板をあてがい、釘を打ち付けていく。


 最終的に、船尾に魔導書を固定された、なんとも奇妙なボートが出来上がった。

 所要時間数分。本当に、ちょっとした工作程度のものであった。

 ボートの改造が済んだところで、リズは「降ろしていただけますか?」と尋ねた。

 奇妙なボートを、緊張した面持ちで見つめる面々。そんな視線の中、リズが乗り込んだボートが、軍艦から吊り降ろされ……


 降り始めて少ししたところで、リズはハッとして小物入れから紙を2枚取り出した。それなりに水に強いものだ。

 それらに魔方陣を刻み込み、片割れを甲板の方へ投げ飛ばすと、ニコレッタがキャッチ。


「一応、《遠話(リモスピ)》を渡しておくわ。皆さんと一緒に使って!」


「了解です!」


 お互い、最初は使わずに肉声でのやりとりであったが。


 やがて、リズが乗ったボートが着水し、波に揺られ始めた。

 そこで彼女は……船尾の魔導書に、魔力を送り込んだ。開きっぱなしのページに注がれる魔力が魔法陣を通じ、強烈な風を生成。船尾から突風がほとばしる。

 この風の反発力を船尾が受け止め、ボートが動き出した――中々の急加速で。

 波を切り裂き、海面を飛ぶように疾走するボートの上、リズは予想以上の出来(・・)に振り落とされかけた。船上で尻もちつき、推力を緩めて一呼吸。


 彼女が用いた魔法は、《風撃(エアブラスト)》。魔法陣から風を生じさせる魔法だ。

 あまり広く用いられる魔法ではない。というのも、威力を上げれば、魔法陣の一番近くにいる術者が大変な目に遭うからだ。

 かといって、威力を弱めれば、何のために使うのかわからなくなる。

 そのため、威力を抑えた上で魔導書を何かに固定させ、定点から送風させる……そんな工夫を加えた上で、涼を取ったり何かを乾燥させるのに使ったり。

 魔法としての階級は中等級だが、用法としては、工夫してやれば生活が少し便利になる。そんな程度の魔法だ。


 彼女自身、《風撃》を洗濯物の乾燥に用いたことは幾度となくあり……威力を強めた結果、固定が外れて面倒に陥った経験も。

 それに、《風撃》使用中はつきっきりにならざるを得ず、手持ち無沙汰に魔導書を眺めたものだった。そうした経験の中で彼女は、《風撃》使用時は固定具に相応の力がかかることを知っていた。


――《風撃》の使用においては、魔導書をきちんと固定した上で威力を絞らなければ、どこかへ飛んでいってしまう。


 ここで、用法の転換があった。何かに風を当てることではなく、送り出す風からの反発力に目をつけ、これをリズは船の推力に用いたのだ。

 思いつきが予想以上に形になっている興奮を胸に、彼女は《遠話》越しに思わず快活な声を上げた。


「これなら、うまいこと囮になれるのではと思いまして!」


『もちろん、曲がれるんだよな?』


 通話先から、どことなく挑発的な響きで尋ねてくるマルク。

 もちろん、それは想定済みである。できるというほどの確信はないが、リズは「たぶんね」と朗々とした声で返した。


 舟板と魔導書の間に噛ませた端材のおかげで、開かれたページの向きは、少し角度がつけてある。

 そのため、それぞれのページから放たれる風は、船に対して真正面ではない。

 ここまでの推進においては、両ページから風を送り出していた。左右のページの開き具合がほぼ同等であるため、それぞれの横方向への力が相殺され、正面への推進力だけが残り、前に進んでいたのだ。

 よって、左右ページのどちらかに魔力を込めると、前進に加え船尾から横へスライドするような力も加わるはず。さらに船上での重心移動も足してやれば……


 生まれて初めての試みに、リズは集中した。送り込む風の動きがボートを伝わり、それを五体で感じつつ、彼女は魔力と重心移動の2つの手綱で、海のじゃじゃ馬を操っていく。

 完全に自由自在と言えないまでも、感触は良好であった。曲がりたい方向をイメージすれば、それが勘で変換され、体と魔力が意志をボートに伝えていく。

 波間で舵を切り、船体が海の飛沫を跳ね上げる。船尾からも風で水煙が巻き上がり、夏の日差しの中できらめく。


 戦闘前の準備という認識はあったが、それでもリズは、これをレジャーの一つのように感じている自分に気づいた。

 とりあえず、船の制御はできる。この成果を手に、彼女は言った。


「まずは様子見に、これで接近できればと!」


『なるほど……敵が砲を撃ってきた時が、やや不安ではありますが』


「避けるか迎撃は、できるものと思います。的が小さい有利もあります。それに加え、そちらの両艦が狙われるのを待つよりは、先に相手の出方をうかがえる分、後の有利に(つな)がるものと考えます」


 実際、相手の反応を引き出すという意義は大きい。相手が海賊でまず間違いないという認識はあるが、確定させた方がやりやすいのは事実だ。

 それに、小さくとも無視できない囮が相手を煩わせてくれるのなら、軍としては大きな助けになる。

 接触まで時間はまだあるものの、艦長はあまり間を持たせずに決断を下した。


『あなたの案を採用しましょう。しかし、お一人でというわけにもいきますまい。最低でも一人、我が艦から要員をつけなければ、申し訳もつきません。まずは、同行者の選定を』


「了解しました」


 艦長の申し出に、リズはすんなり応じた。

 これからの戦闘を一人でこなす考えは、もとからなかった。艦長の側から持ちかけてもらえたことで、むしろスムーズになった感すらある。

 すっかり慣れた様子で、母艦へとボートを走らせていくリズ。そんな彼女に、ニコレッタの声で問いかけが。


『最終的に、どうします?』


「えっ?」


『いえ、ダメになってもいい(・・・・・・・・・)小舟って話でしたし、最後は火でもつけて、特攻させる考えなんじゃないかって』


「えっ??」


『なるほど。ある程度の位置から、勢いつけて放つわけですね』


 ニコレッタの発言に、アクセルが乗っかった。冗談ではなく本気なのだろう。顔が見える位置関係ではないが、声の調子からそれとわかる。


(燃やすのは考えてなかったわ……うまく離脱すれば、いけなくもないかも……)


 思いの外、物騒な考えを口にしてきたニコレッタだが、リズはその実現性を認めた。

 ただ、彼女の考えは、また別にある。接近手段を得た今、隠し立てする意味も薄いと考え、彼女は合流に先んじて言った。


「船は燃やさないわ。借り物だし。ただ……」


『なんでしょう?』


「これで、敵船に乗り込めないかなって……」




『えっ?』

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