第118話 懸念の船路①
船長に案内され、一行が入った部屋の中には、大きなテーブルがあった。その上には海図が広げられており、テーブルを囲うように、甲板の船乗りよりも生真面目そうな面々が居並んでいる。
用意してもらったイスにリズたちが座ると、船長は改めた様子で「ロジェ・ナバールと申します」と名乗った。
続いて、海図の上を指でなぞる彼の口から、状況が語られる。
「トーレットからマルシエルまでの航路は、この1か月間ほぼ封鎖状態でした。今回の開港によって懸念されるのが、今までこの航路で活動できなかった、海賊たちの出現です」
実際、今回の航路に加えて近辺航路も、過去に海賊が無視できない頻度で確認されている。海のならず者たちの活動領域と言っていい。
こうした海賊たちが、トーレットの港湾封鎖によって息を潜めていたのなら……開港で我先にと動き出す商船に狙いを定めるのは、道理と言ってもよかった。
しかし……説明の後、船長は少し訝しげな顔をした。
「どうかなされましたか?」
「いえ……海賊がこうしたタイミングを把握できるものかと、疑問に思われていない様子でしたので」
「ああ、そういうことでしたか」
海賊がトーレット開港の情報を持っていたとしても、リズは不思議には思わなかった。
が、仲間たちの考えがどういうものか、気にはなる。
そこで彼女は、意見を募ってみることに。「どう思う?」と尋ねられ、まずはマルクが口を開いた。
「トーレットに、革命以外の情報を目的とする潜入者がいたのなら、話は早い。実際、通商上の理由から、革命に関与する勢力もあったしな」
「私掠船であれば、裏で動く国の存在もありますし……」
「国とは無関係な賊も、もしかすると、情報のリークを受けているかもしれませんね」
「なるほど……外交関係や交易を邪魔したい勢力か」
と、ニコレッタやアクセルも混ざって次々と意見が出る。
船長にしてみれば、胃が痛くなる話題だろう。彼は「話が早いですな」と苦笑いし、言葉を続けた。
「海賊が出てくる可能性が高いという想定があったため、今回は軍艦をつけて航海しているわけですが……」
「何か懸念が?」
リズが問いかけると、船長は渋い顔でため息をついた。
「軍艦相手に仕掛ける海賊など、めったにいませんが……今は状況が特殊です」
「海賊にしてみれば、長らく稼ぎがなかったでしょうし、連中もリスクを取らざるを得ないところがある……ということでしょうか」
「はい。商船という弱者を狙う海賊も、決して余裕がある連中ではありません。破れかぶれで軍艦に仕掛ける輩もいます。今回は、そういった懸念が大きいものと。いざ戦闘になったとして、こちらに被害が及ばないものと考えたいところですが……」
「軍艦側の負担が心配ですね」
「弱ったところに、もっと知恵の働く連中が後で……ということも、あるかもしれません」
リズに続き、淡々と口にするマルクに、船長は渋面でうなずいた。
「いずれにせよ、人荷を無事に送り届けるのが我々の仕事ですが……状況次第では、お力をお借りする事態になるかもしれません」
船長直々の依頼に対し……リズは、即答はしなかった。
すっかり応諾する空気ではあった。いずれもが、そのように感じていたのか、不意に訪れた沈黙に妙な居心地の悪さが混ざる。船長以外の船員たちは、どことなく深刻そうな顔だ。
リズの仲間三人はというと、最終的な判断をリズに委ね、ただ沈黙を貫いている。雇用主はリズであり、まずは彼女の考えを聞こうということだろう。
ややあって、彼女は船長に尋ねた。
「この頼み事ですが、私たちはあくまで、この船の自衛手段としてのお考えということでしょうか」
「と、言いますと?」
「いえ、軍艦の方とも話を詰めるべきかとも思いましたので」
この指摘に、船長は困り気味の苦笑を浮かべて応じた。
「失礼しました。まずは、我々に力を貸していただけるかどうか。それを確認してから、向こうに話をつけに行くべきと考えておりましたので」
「そういうことでしたか。お力添えに関しては、喜んでやらせていただきます」
リズの宣言に、室内にはフッと安堵で弛緩した空気が流れる。動向を見守るしかない船員にしてみれば、気を揉むばかりであったことだろう。
応諾を返した後、リズは仲間三人に顔を向けた。この仲間たちも、最初からこの件は受け入れるつもりだったように、彼女自身感じているが……
何しろ、直接の部下がついて動くのは、リズにとって初めてのことである。(勝手に決めちゃったけど……)と、なんとなく不安とまではいかない程度の、ささいな引っ掛かりを覚えたのだ。
そんな小さな心配は、結局は杞憂に終わり、三人は彼女の視線を受けて静かにうなずいた。特に深刻な雰囲気でもなく、淡々としたものである。
雇用主として安堵を覚えたリズは、船長に向き直って言った。
「では、軍の方とお話をと思うのですが、ご一緒しても構いませんか?」
「それはもちろん。むしろ、こちらからお願いする立場です」
と、船長は快い返事を口にしたが、リズには一抹の不安があった。
ルグラード王国は、王室が象徴的な存在に留まり、その下にあるそれぞれの各領に大きな権限を認めてきた。
ただ、海軍ばかりは国家直属の軍であり、ルグラードにおいては特殊な立ち位置を占める。商業盛んなハーディング領とも、浅からぬ縁だ。
その海軍に所属する兵から見て、あの革命はどのように映っていることか。
このような状況で、軍に話をつけに行く以上、馬の骨を装うというわけにもいくまい。あのエリザベータとして赴かなければ。
そのため、相手方からの認識について、リズは少し気がかりであったのだが……
彼女が表明した懸念に対し、船長は「そういうことでしたら……」と、かえって安心したような様子を見せた。
「仕事柄、彼らとは話す機会も多いのですが……決して悪印象というわけでは。複雑な思いがはあるようですが、会戦やその後の展開等、革命については評価すべき部分も大きいと」
「でしたら、良いのですが」
「……気になさるのも無理はないことでしょうが、悪いようにはならないものと思います」
そう言ってこの後を請け負ってくれる船長を信じ、リズは表情を柔らかくした。
☆
船長を代表とする商船側から、軍艦の方にさっそく打診があり、相談の場はリズが思っていたよりもずっとスムーズに設けられた。
距離をとって進めていたところ、先行する軍艦の速度を緩め、こちらから小舟を出して合流することに。
母艦から小舟を下ろす機械の仕組み等々、相手先に向かうだけでも、リズは内心で色々とワクワクするものがあった。
こうした状況で、《空中歩行》を使うような生意気さは、彼女にはない。他の仲間たちも――魔法を使えないアクセルはともかく――《空中歩行》を使わず、素直に現場の流儀に従っている。
やがて、船長を始めとする一行は、軍艦の甲板に立った。
リズの視界に映るのは、まず、出迎えに並んでいる海兵たち。さすがに商船の船乗りよりは、格式のある服に身を包んでいる。彼らの表情には、隠しきれない緊張感が滲み出ているようだが。
その中央に立つのは、こちらの責任者らしき人物。他よりもさらに威厳のある制服を着る彼は、老境にあるようで白髪とシワが目立つ。
とりあえず、彼らから悪感情の類が向けられていないことに、リズはホッとした。
実際、こちらの艦長も物腰が柔らかな紳士だ。商船側一行が歩み寄っていくと、彼は穏やかな口調で名乗った。
「船長のマルセル・オーブリーと申します」
「エリザベータです」
今は特に名乗るほどの役職もなく、ハーディングでの通り名を口にするには恥ずかしく……リズは単に、名前だけを名乗った。
事前に話を通していたこともあって、名乗りはこれで十分だった。今の姿を意外に思われている感はあるが、疑うほどにまでは至っていない。
その後、軍艦を仕切る年配の武官は、節くれだった手を落ち着いた所作で差し出し、彼女はそれににこやかに応じた。
とりあえずは友好的な雰囲気の中、彼女らは受け入れられている。
しかし、彼女らは協力者として訪れたのだが、あくまで部外者だ。さすがに、軍の船内まで招き入れることはできず、その点を艦長は丁重に詫びた。
「大したおもてなしもできず、大変申し訳なく思います」
「いえ、乗せていただけただけでも光栄です」
実際、船内に入らずとも、それらしい雰囲気を味わうことはできる。
やはり、目につくのは大砲だ。甲板の両サイドに並ぶそれら武装の存在が、なんとも物々しい。
とりあえず、今回はご挨拶と、本当に海賊が現れた際の、対応の大枠について定めるのが目的だ。手早く立ち話で済ませることに。
さっそく、話はその本題に。海賊が現れた時、どのように対応するか。商船側船長を一瞥した後、リズは海兵たちを見回して言った。
「お話を聞かされた以上、私たちも可能な限り、力を尽くしてご協力できればと思いまして。できることなら、商船側でその時に備えるのではなく、戦力としてむしろ積極的に運用していただければ、と」
「お考えはありがたく存じます。しかし、これはあくまで軍の仕事ですので」
「それは承知しております。私たちが出張ることでもないでしょう。しかし……相手次第では、難しい状況に直面するかもしれない。そういう可能性を懸案しています」
リズが指摘すると、兵たちの間に緊張が走り、空気が一気に引き締まった。
艦長も、この指摘は認めざるを得ないようだ。渋い顔を苦々しく歪め、彼は言った。
「通商閉鎖により、見方を変えれば、海賊どもが力を温存していたと考えることはできます。他の航路で活動自体は継続していたことでしょうが……この機を見計らって、ということは、十分にあるものと考えています」
だからこそ、出ていく船を絞った上で、商船に軍艦を帯同させるという体制をとっているのだが……それでも、万一ということはある。
そうした事態が各々の脳裏に浮かんだのか、場には重苦しい沈黙が漂う。
この空気を打ち払うように、リズは口を開いた。
「この航海で何かが起きれば、傷ついたのが文民であれ軍人であれ、国で何らかの諍いの火種になりかねません。それを目論見、海賊をけしかける勢力もあるかもしれません。自分たちが関わった革命だからこそ、こうした後腐れも許したくはないのです」
決然とした表明に対し、海兵たちは目立った反応を示さない。
ただ、空気感は変わったように、リズは感じた。言葉を前向きに受け止められているような感触を覚えつつ、言葉を重ねていく。
「民衆を守り、海の平和を保つのは、もちろん皆様方の使命だと認識しています。しかしながら、領内の不和の種を取り除くという意味では、これは私たちが手がけてきた仕事でもあります。国を出ていく今、これを最後まで遂げさせていただければ……」
そこで言葉を切り、フッと顔の力を抜いた彼女は、どこか力のない笑みで「屁理屈でしょうか?」と結んだ。
これに、困ったような微妙な笑みを返した艦長は、そのまま静かに考え込み……やがて、決断を下した。
「お力添えを依頼するのはお恥ずかしい限りですが……商船側に自衛の用意を任せている以上、今更ですな。交戦の可能性が見込まれる状況になれば、その時は先だってこちらに移動していただくよう、お願い申し上げます」
「喜んで」
この決定に、海兵たちは……どこかホッとした様子でいる。
やはり、覚悟はあっても、懸念はなかなか拭えないでいたのだろう。
彼らにこうして安心感をもたらしたのなら……リズとしては、それだけで一つ、有意義な仕事をした心地であった。
ただ――彼女の中で、自分ばかり話したような、仲間を置き去りにして話を進めてしまったような、そんな申し訳無さが急に募ってきた。
ふと、三人の方を振り返ってみるが……いずれも自信ありげで、実に頼もしい微笑を浮かべて構えている。
むしろ、今のリズの方が、自信なさげで頼りないかもしれない。マルクが顔色一つ変えず、「しゃんとしろ」とばかりにリズの小脇を小突き、前に向き直るように小さくジェスチャーした。
彼女が少し慌てて向き直ると、集団のリーダーとしては不慣れなところのある彼女に、人生の先輩たちは事情を察したのか、温かな目を向けていた。




