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第116話 出港

 翌日、7月3日、昼前。トーレットの港は、中々の大盛況であった。

 別に、集まっている全てが乗客だったり、港湾で仕事したりするわけではない。

 彼らのほとんどは、野次馬である。諸々の事象から、出港する船の数を絞っているというのは知れた話で、乗客の順番待ちも話題となっている。

 そこで、どういう奴が港から出ようというのか、耳目を集めているというわけだ。


 加えて――沖合いに見える軍艦の存在もまた、野次馬たちの注目の的の一つであろう。出航数を絞る理由に関わるものである。

 視線を浴びる軍艦だが、港湾閉鎖時における不安や反発等で悪感情が向けられる様子はない。今となっては味方である。民衆と、上にある国との仲を取り持つよう、新政府や街の行政の働きかけもある。

 そのため、見物人がそこら中にいる港は、大した混乱もなく、それぞれが自身の興味関心を満たすための場となっている。


 そんな中、リズを待つ被雇用者の三人。手にはすでに乗船券の用意もある。

 受付でのやり取りは、拍子抜けするほどに簡単であった。行列に割り込むような所業に対し、三人は少し申し訳なくも感じたものだが……

 クリストフからの紹介状もさることながら、リズたち一行が乗船してくれるのなら心強い(・・・)というのが、港や船の責任者たちの考えであった。双方の利害がかなり一致したというわけである。


 人混みから離れて待つ三人。前職の影響からか、彼らは何気ない雑談をしている風を装い、それとなく周囲に視線を向けていく。

 彼らにとって幸いだったのは、開港初日よりはまだ、見物客が少ないことだ。初日に出ていくとなれば、それだけ注目を浴びてしまっていたのは間違いない。

 陸から視線を外し、乗る船の方に目を向けると、客の乗船に先立って荷が積まれていくところであった。往時の活気を取り戻したというべきか、重そうな荷物であっても、人夫たちは揚々とした様子で働いている。


 やがて、三人の歓談が少し盛り上がってきた頃、「待った?」との声が。

 三人が顔を向けてみると、リズが歩み寄ってくるところであった。

 港近くの倉庫で着替えた彼女は、計画通りに水兵服を身にまとい、大きなリュックサックを背負っている。

 それに加え、頭にはサンバイザーも。目元が微妙に隠れるおかげで、それと知らなければ、リズと即断するのは難しいだろう。

 さらに、右手の紙袋には、軽食も兼ねたパンが入っている。これを頬張りながら歩けば、口元も隠せるという寸法だ。

 実際、彼女が合流しても、周囲の野次馬たちは気にも留めていない。こういった物見に来るような者であれば、革命の立役者エリザベータを知らぬはずがなく、興味も相応にあるだろうが……

 すっかり、どこぞの誰かに扮しているリズに、マルクは感心した表情になった。

 その後、表情を戻した彼は、リズの分の乗船券を差し出した。


「マルシエル行きだ。これでいいんだな?」


「ええ、大丈夫。ありがとう」


 マルシエルというのは、大列強国に数えられる国だ。ラヴェリアとはまた違った形で、強大な力を持っている。

 リズは、海外に出るのなら、まずはマルシエルと考えていた。巻き込んだり、お世話になったり……そういった考えがあるわけではないが。

 受け取った乗船券から視線を上げると、三人がリズの顔を見つめていた。


「理由とか、聞かないの?」


「ここで言える話でもなさそうですし……」


 気遣う様子を見せるアクセルに、「ですよね」と同調するニコレッタ。マルクも同様の思いなのだろう。

 実際、周囲に人がいる状況では、誰が紛れ込んで聞き耳を立てているかもわからない。

 それに……リズの現状の一から十までを完全に話せるわけもない。やや申し訳なくも思いつつ、「そのうち話すわ」と彼女は言った。


 埠頭に置かれた、ベンチ代わりの箱に腰を落とし、歓談に混ざるリズ。

 彼女が合流してから少しした頃、港湾管理所から職員数人が現れ、声を上げ始めた。


「そろそろ出港いたします! 乗船券をお持ちの方々! ご乗船をお願いいたします!」


「では、行きましょうか……じゃなくって」


「ああ、悪い。そうだったな。行くか」


 今回の変装において、リズはあくまで船の乗組員という設定だ。人目につく乗船の間、音頭を取る代理のリーダーはマルクである。

 そこでリズは、ニコレッタの分の荷物を持ち上げた。空いたもう片方の手で、パンを口に持っていく。

 雇用主に荷物を持たせることについて、ニコレッタの胸中に一瞬だけ複雑な思いがよぎったようだが――彼女がリズから視線を外すと、さも平然とした風を装った。変わり身の速さは、さすがである。


 一行が動き出すと、当然というべきか、好奇の目に晒されることとなった。

 ただ、似たような旅人らしき個人、あるいは小集団は他にもいくつか数がある。チラリと視線を動かしつつ、リズは状況を探っていく。


(商人らしき方は少ないわね。便乗する旅客が、その分多いのかしら?)


 マルシエルへと行こうという旅客が多い事自体、特に不思議はない。広く門戸を開く、開放的な国だからだ。そういう国に人が集まっていく構図に、今のリズたちが乗っかっているという面もある。

 やがて一行は、復旧された桟橋を通り、幅広なタラップの前についた。港の職員に記名有りの乗船券を差し出し、名簿と照らし合わせて最後の手続きを済ませていく。


 これから船に乗るこの一行――特に、水兵姿の少女――が何者なのか、目の前の職員は知っているはずだ。クリストフからの紹介状を用い、あのエリザベータが出国する旨を伝えてあるのだから。

 偽名を用いなかったのは、クリストフら新政府関係者への気遣いである。後で何か起きた際、リズが出国したという正式な記録が必要になることもあろう。

 そういった諸々の事情に加え、港湾管理事務所に何らかの手先が紛れ込んでいる可能性を相当低いものと見積もった結果、偽名の利用はむしろ後に響くと、この一行は考えたわけである。


 乗客名簿とこの一行に対し、職員は視線を何度か行き来させた。やはり、色々と困惑のような物があるのかもしれない。

 しかし、確認手続きが変に長引くことはなかった。彼は当惑を表情には出さず、最終的にはただ柔和な笑みを一向に向けた。


「では、よい旅を」


 いよいよ船に乗り込む段になり、リズは胸が高鳴っているのを自覚した。タラップに足を踏み入れ、船へと向かう一歩一歩ごとに、鼓動の高鳴りが増していくようだ。

 彼女が視線を上げると、今から乗り込む商船の、なんとも誇らしげなマストが視界に入った。

 心に沸き立つものを覚えた彼女は、前に進める歩をそのままに、他の三人に目を向けた。ニコレッタは澄ました様子だが、今日はそういうキャラなのだと、リズは考えた。

 一方で男二人は――緊張と興奮が、ほのかに(にじ)み出ているようだ。


(これも演技かしら?)


 その可能性は認めつつも、自分と同じようにどこか初々しい雰囲気もある。演技ではなく、素なのかもしれない。

 思わず少し頬が緩んだリズは、二人に気づかれないよう、再びスッと前を向いた。


 そうして一行は、特に何もなく乗船を果たした。

 甲板では船長が一行を待っていた。他の乗組員と服装が違うため、それとすぐにわかる。

 彫りが深くシブい顔のその中年男性は、無骨で真面目な顔を柔らかくし、「ようこそ、我が船へ」と一行を迎え入れた。


 ご挨拶を済ませた後、マルクは一行を先導した。まずは自分の部屋に荷物を入れに行くのだ。

 しかし、初めて乗り込んだ船に、リズは少し放心状態であった。動き回る乗組員たち、洋上に浮かぶ巨大な構造体。目にする物の多くが、好奇心を強く刺激する。

 そこへ、「気になるか?」との問い。リズはハッとして首を横に振った。

 今の彼女は荷物運びなのだ。さっさと仕事を済まさなければ。


 結局、彼女の意を汲んでくれたのか、マルクは少し足早になって船室へと案内していった。彼は船内見取り図を片手に、乗船券記載の部屋へと足を向けていく。

 その部屋は、四人で泊る小部屋だ。二段ベッドが据え付けられており、部屋の作りだけ見れば窮屈である。

 しかし……部屋の窓に映る光景は、リズがこれまで見てきたものとまるで違う。青一色ではない、豊かな色合いを切り出すその窓に、彼女はなんとも言えない開放感を覚えた。


 そして、出港を知らす鐘が鳴った。


「外に出ましょうよ」と、心に沸き立つものを覚えながらリズが言うと、他の三人の頬が綻んでいく。

 向けられる目線に、なんとなくではあるが、彼女は温かなものを感じた。何というべきか、可愛らしい年下の子を相手にしているような。

 そういう目を向けられることに慣れていない彼女は、どことなくむず痒い感じを覚えたが……乙に澄まして本心を偽ろうとは思わなかった。


 それに、三人も結局は、リズの提案に賛同した。部屋を出て鍵をかけ、向かうは甲板。

 誰から始まったというわけでもないが、自然と各々の歩みが早くなり――


「ちょっと。あなたたちもやっぱり、結構興味あったんじゃない?」


 困ったような笑みのリズが、どこか嬉しそうな声で問いかけるも、明確な返答はない。あるいは、言うまでもないというところか。

 本格的に知り合って日が浅いながらも、この三人との船旅に、リズは心弾む心地であった。

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