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第114話 変装のススメ①

 トーレットの町の港は、事前の見込み通り、7月1日に再び他国へ開かれた。

 そんな中にあって、早く海外へ出てしまいたいリズは今――


 肌を焼いていた。


 7月2日昼過ぎ。すっかり暑くなり、日差しがジリジリと照り付ける中、彼女はニコレッタと共に水着姿になり、宿の屋上に寝そべっていた。

 こうした屋上の利用については、宿側から許可を得てある。国外へ出るまでの間、諸々の事柄で便宜を図ってもらえるようにと、クリストフから渡された紹介状を提示したのだ。新政府的には、せめてもの恩返しといったところか。

 この紹介状の効果は絶大である。特に、革命発端の地であるトーレットにおいては、クリストフの名を知らない者がいない。もともと、彼の家が代々の名士だからこそ、革命主導者に担ぎ上げられた面もある。

 加えて、革命主導者クリストフと同様に、リズの栄名も広く認識されている。革命の立役者である彼女の頼みとあっては、日焼けのための屋上提供程度、二つ返事での快諾であった。


 リズたち二人からやや距離をおいたところで、様々な洗濯物がはためき、下界からは活気ある喧騒が聞こえてくる。

 それを聞きながらリズは、手近な新聞に手を伸ばして目を向けた。


 話題はやはり、開港の件一色である。

 もっとも、諸事情により、出港する船の数は絞っているという。

 そのため、乗船と出航において、かつてない規模の順番待ちが生じているという話だ。ああいう革命が起きたばかりだからか、搭乗権を巡って(いさか)いになるような事態は起きていない。

 治安が保たれているのは何よりだが、出ていく船が少ないというのは、リズたちにとっては中々厄介だ。


 そうしてリズが新聞を読み進めていると、横でニコレッタが上半身を起こした。


「そろそろ、背も焼いちゃいましょう」


「わかったわ」


 今回の日焼けに関しては、ニコレッタに任せっきりである。素直に応じたリズは、新聞を放ってニコレッタに目を向け……目をパチクリさせた。


「どうかしましたか?」


「いえ、印象って変わるものだと思って……」


 リズはニコレッタの変わりように驚いた。眼鏡は外しており、肌の色は少し小麦色になり、加えて普段よりも露出が少ない。

 それに、普段のニコレッタは、あまり手入れしていなさそうな、モジャっとした焦げ茶のロングヘアーだ。目元もやや隠れ気味になっており、ヘアスタイルとも言えないそういう風貌が、なんとも冴えない感じを演出していた。

 それが今では、油で整えたのか、つややかなストレートになっている。目元も出ており、印象がまるで違う。

 人の顔を覚えるのには自信があるリズも、ニコレッタの変化には目を丸くした。肌の変化もさることながら、各要素の変化が重なって別人のようである。

 そうしてマジマジと見つめているところ、ニコレッタは微笑んで瓶に手を伸ばした。


「では、塗りますね」


「ええ、そうね。お願い」


 腹ばいになるリズの背に、ニコレッタの手が触れた。

 リズ自身よくわかっていないのだが、ニコレッタが調達したという油を塗ると、あまり肌を傷めずにキレイに焼けるという話だ。

 それなりに博識のつもりであったが、まだ知らないことは多い。これもニコレッタの変装術の一環かと思い、リズは感嘆の念を(いだ)いた。


「大したものね……」


「えっ? 何がです?」


「いえ……何かこう、秘伝の調合ってやつよね? ちょっと興味あるかも」


 すると、少しだけ間をおいて、ニコレッタは含み笑いの後に「既製品ですぅ~」と楽しそうに言った。

 勘違いでやや恥ずかしい心地になったリズだが……こういう商品があるということは、この街や地方には肌を焼く文化があるということだ。また一つ、知識を得た。彼女はそう思っておくことにした。

 やがて、リズの体からニコレッタの手が離れた。塗り終えたのだろう。リズは上半身を起こし、ニコレッタに声を掛けた。


「あなたの分、私が塗りましょうか」


「えっ? いえ~、そこまでしていただかなくても」


「ま、いいじゃないの。別に、こういうところで上下関係にはこだわらないわ」


 リズとしては、人に奉仕させるというのが、どうも苦手であった。王宮にいた頃のメイド根性が染み付いているのかもしれない。

 一応、彼女はニコレッタら三人の雇用主ではあるが、相手を付き人のように扱おうという気はしない。持ちつ持たれつで対等な関係が、リズには一番心地よいのだ。

 それでも、どこか遠慮がちなニコレッタ。「シロウトに任せるのは不安?」とリズが笑いかけると、ニコレッタは困ったような微笑を浮かべ、「お願いします」と言った。

 さっそく、瓶を手に取ったリズは、手のひらに油を垂らしてニコレッタに塗り込んでいく。


「変に焼けたら……その時は謝るわ」


「ん~……でも、背中ですし……私が目立つなら、それはそれで良い目眩ましになるかもしれませんね」


「なるほど?」


「……だからって、ワザとやるのはナシですよ」


 釘を差してきたニコレッタに、リズは微笑んだ。



 彼女らが肌を焼いているのは、何もレジャーのためというわけではない。国外へ出るにあたり、監視の目を気にしてのことだ。

 サンレーヌを出てからこの街に至るまでの道中、雇用した三人に対し、リズは自身がラヴェリアから追われる身であることを明かした。

 この暴露自体、三人はさして驚きを見せなかった。只者ではないとわかりきっていたということもある。ラヴェリアと何らかの因縁があったとなれば、ここまでのリズの働きぶりも、むしろ腑に落ちるといったところだったようだ。


 それに、リズが元は追われる身でなかったとしても、革命成就によって(にら)まれるようになったことだろう。

 革命――というより、領内紛争と分断――がラヴェリア主戦派の目論見だったというのは、元諜報員三人の共通認識である。非戦派はともかくとして、主戦派としてはリズに一杯食わされた格好だ。要注意人物になったのは疑いない。


 ただ……実際の監視体制について、リズはそこまで懸念を抱いてはいない。

 まず、非戦派は確実に、ハーディング新政府寄りの立場にある。外務省が大きく関わっていることから、主戦派に勝る諜報力を持っており、他勢力とも協働すれば、領内で主戦派が諜報活動を行うのは至難だろう。

 つまり、主戦派による監視の可能性は、かなり低いものと見積もっていい。リズはそう判断した。


 より現実的なのは、非戦派による監視――というより、継承競争絡みでの監視だ。

 国外へ出ようというリズを見張る上で一番効果的なのは、港湾管理事務所に諜報の手を伸ばすことだ。そこで見張ってもいいし、職員から情報を抜いてもいい。

 しかし……このハーディング領は、国際協調路線の実験的な中核になりつつある。

 そんな領内の港町で、この路線に賛意を示す大列強の外務省が、実は裏で工作をしていた――などというのは、新体制始まってすぐの大事件だ。外務省としては、あまりにリスクが大きい。

 ということで、行政に手を伸ばしての情報戦も難しく、結局は現地要員による肉眼での監視が関の山ではないか……その監視にしても、従来よりは諜報員が身動きしづらい、困難なものとなろう。


 以上を踏まえると、リズの動向を探るための手立てには、かなりの制限がある。それが彼女の推定だ。

 その上で日焼けをしてまで変装するのは、念には念を入れてというのが一つ。

 もう一つ、どちらかというと主要な理由は、部下の実力を見るためというものだ。ニコレッタが変装や演技の熟練者なので、その手並みを拝見しようというのだ。


 それと――単に、普段と違う自分になることに、リズ自身が興味を持っていたという面もある。



 肌を焼いている間、腕を見れば肌の変化はすぐに分かる。しかし、肝心の顔がどうなっているかはわからない。

 本格的に日焼けをするのは、リズにとって初めての体験である。果たしてどうなることやら。ちょっとした不安もどこか新鮮で……

 鏡を見るその瞬間を心待ちにし、彼女は一人、胸を高鳴らせた。

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