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第111話 内幕

 6月26日。ラヴェリア外務省、第三王女執務室。

 執務机の上には書類が積まれ、今もまた新たな一枚が運び込まれた。

 力ない感じの笑顔でため息を一つ。書類を受け取ったアスタレーナは、「やっと、ひと段落ってところかしら」とつぶやいた。

 机を挟んで向き合う側近は、疲れ気味の主君に深く頭を下げた後、「そのように考えても、差し支えないものかと」と認めた。


 大騒動があったハーディングも、一件落着といったところ。外交的にも内部的にも、かなり落ち着いてきている。

 とはいえ、住民感情として、隣のクレティーユ領や上のルグラード王国に対し、いくらかギクシャクするところはあるようだが……

 革命以前よりも、国内の権力者たちは、互いに協力するようになった。今回の一件を、相当大きく見たのだろう。

 ハーディング新政府も、王室や他領主とはうまくやっていけているようである。新政府が他の領や王室に対して良好な関係を保てているのならば、彼らが仲立ちとなり、住民感情も緩和されていくことだろう。


 アスタレーナが手にした報告書には、そういった実地情報が記載されている。

 これは、現地諜報員が密かに集めた情報ではなく、新政府を通じて正式にもたらされたものだ。

「便利になったものね」としみじみ口にする彼女に、側近も表情を少し柔らかくしてうなずいた。



 今のハーディングでは、議会政治を行う準備が進んでいる。

 それに先立つ上層部においては、議席の中に後見・監督という名目で、クレティーユと王室からの重臣・高官が派遣されている。籍を置く外部組織は、公式にはその2つだ。

――非公式には、もっとある。今回の革命において諜報員を遣わしてきた諸勢力に対し、それぞれに最低1つ、議席が用意されている。


 そして、ラヴェリア外務省諜報部に対しても。


 会議における席を占めるとはいえ、非公式に議席を与えられる各自は、実際の参加権を持たない。議決においては棄権票を投じるものと定められている。

 そのため、毋体組織の意向を反映させるのではなく、あくまで外交的な連絡役としての側面が大きい。

 こうした仕組みを提言したのは、革命主導者であったクリストフである。

「どうせ紛れ込むなら、傍聴権だけは差し上げます。言いたいことがあれば、口頭にて直接どうぞ。何かあれば、その時は皆で(・・)協力しましょう」というわけである。


 随分と肝が据わったこの申し出を受けた時、アスタレーナは迷った。

 この件は、今でも外務省のごく一部のポストしか知らない。主戦派は当然知る由もない。

 そして、この体制を受け入れるのなら、外務省はハーディング側に傾くわけだ。

 国際的な平和と秩序を志向する外務省としては、乗るしかない申し出ではある。なにしろ、あちらは近隣諸国から海外含む国との、暗然たる情報ハブを構築する構えなのだから。


 しかし……それはそれとして、アスタレーナとしては複雑だった。

 国という(くく)りで見れば、主戦派はあくまで身内。今回の議席獲得は、面従腹背以外の何物でもない。

 一方、ハーディングに対しても、思うところは色々あった。早い話、相手の提案に乗ってしまうのは、厚顔無恥も大概ではないかと。

 この件に関し、外務長官――官職においてはアスタレーナの上席者――ライランス卿の考えはというと、「良いではありませんか」というものだったが。

 外務省の高官内で会議を行い、その後もアスタレーナが個人的に相談に行った際、老境にある長官は言ってのけた。


「私たちのご先祖も、元をたどれば互いに殺し合った仲かもしれませんな。版図を広げ続けた大国の、過去と平和とはそういうものでしょう。殿下は雄大なスケールで構えてくだされ」


――そういった経緯があり、アスタレーナのもとへは、新鮮な情報が正当に舞い込んでいるというわけだ。



 議席獲得に関わるあれやこれやが脳裏に浮かび、アスタレーナは書類を伏せてため息をついた。

 泰平の世の名君と名高い父王も、後進に政務を譲って久しい。そんな中で助言をくれる人生の先輩は、彼女にとって実にありがたい存在であった。年の功というものだろうか。

 そして、年の功と言えば、もう一人。


「そろそろ、謝罪に伺わないと……」


「ハーディング伯のことでございましょうか?」


 ラヴェリア外務省は、かつてハーディング伯爵と呼ばれた人物が、その爵位を剥奪されたことをもちろん知っている。

 だが、かの者を伯と呼ぶのに、何ら含むところはない。神妙な顔でうなずき、アスタレーナは尋ねた。


「閣下のご様子は?」


「今は体調がご回復されたとのこと。よろしければ、調整に入りますが」


「お願い」


 短く、しかし、普段よりも感情をこめての指示に、側近は深い一礼で応えた。


 今回の革命によって引き起こされた、上層陣の一掃は、伯爵自身が考えていたものだった。

 騒動の流れの中、外交筋を通じてどうにか彼と(つな)がりを得た外務省諜報部は、彼の構想に肉付けするよう、近隣領や国に働きかけてお膳立てをしたという経緯がある。

 そして彼は、自分の意向通りの結果とはいえ、お家取り潰しと国による監視下の余生という、文字通りの生き恥を受け入れたのだ。


 では、かの伯爵に会ったとして、実際に何が言えるだろうか。

 想像もできないアスタレーナだったが、それでも、頭ぐらいは下げに行かなくてはと思った。彼の希望に応えたとはいえ、彼の命までも駒にした後ろめたさがある。

 それに……もとはというと、この騒動はラヴェリアの人間がまき散らした火種から生じたのだから。

 謝罪に赴くその日を思うと、今から心が沈むが、果たさねばならない義理だと彼女は感じた。


 他にも心悩ませるものはある。モンブル砦に現れたという、死霊術師(ネクロマンサー)の件だ。

 この件に関しては、リズから師匠のローレンス、さらに外務省へと通じた情報をもとに調査を進めている。

 また、外務省が得た下手人の姓名と出身地の情報をもとにして、各勢力との関係構築にも役立てているところだ。

 しかし、それ以上の具体的な進展はない。調査が始まったばかりで仕方ないという面はあるが、一度侵入と活動を許してしまった事実が、なんとも不気味である。

 それに……下手人の出身地サヴァノアというのは、暗黒大陸の国家ヴィシオスの地名だ。このならず者国家が絡んでいるというのは、アスタレーナと、妹ネファーレアの見立て通りである。


 死霊術師以外にも、別件で外務省や国の通商部門を悩ませる大事件が一つ。思い出せばキリがない状況だ。

 そんな彼女のもとへ、また別件がやってきた。不意にドアがノックされ、外から「殿下」という声。

「何か?」と尋ねると、外の部下は「兄君がお越しです」と返答した。


 忘れていたわけではないが、今日は「そういう日」であった。思わず両手に顔を埋める彼女に、側近は口を開いた。


「私は外しましょうか……」


「……そうね。居てくれた方が心強いけど……いえ、大丈夫よ」


 顔を上げ、彼女はどうにか笑みを作ってみせた。

 この、気苦労が絶えない主君に、側近は深々と一礼した後、執務室を出ていった。


 彼と入れ替わりにやってきた兄君は、長兄のルキウスだ。彼の入室に部屋の主は立ち上がった。


「座ったままで構わないが」


「いえ、お茶の一杯でも出さないと」


 と応じたアスタレーナだが、茶を淹れる事自体は純然たる趣味でもあった。兄が携えてきたであろう話題については察しが付いており、茶を淹れるのはちょっとした気晴らしでもある。

 魔道具で湯を沸かし、テキパキと茶の準備を進める妹を、兄は優しげな目で見つめ……彼女が振り返った瞬間、普段どおりの生真面目な顔に戻った。


「どうぞ」


「すまんな」


 ティーカップを受け取り、一服。「うまいな」と口にした兄は、手近なサイドテーブルにカップを置いて、さっそく本題を切り出した。


「明日が期日だったと思うが……」


「ええ」


 先月27日、継承競争会議において、アスタレーナは挑戦権の行使を宣言している。その有効期限は1ヶ月間で、今日は26日だ。

 この、当初の目的外による権利行使により、継承競争を一時的に握り潰して停滞させたことについて、彼女の中には強い罪悪感があった。

 茶を一服した後、静かな兄の顔色を少し伺い、彼女は口を開いた。


「レリエルには、後で謝っておきます」


「その必要もないと思うが。あの子の代理として私がやってきているのだが……こういう使い方については、法務省としても支持する考えだそうだ。おかげで、内外が荒れずに済んだからな」


「そうは言っても……」


 継承競争における、挑戦権の宣言等は、別に厳格なルールではない。罰則規定もない、ただの方針だ。

 しかし、それゆえに、お互いに誠実であることが求められる。

 そう思えば、趣旨に反する、こうした権利の使い方は好ましからざるものだ。長兄ルキウス、法務省のレリエルに限らず、アスタレーナの意図に気づかない兄弟たちではない。

 兄弟たちは、今回の停滞について何も言ってこない。だが、たとえ付近一帯の平和秩序のためと理解してもらえているとしても、目的外での権利行使という前例を作ってしまった罪は重いのではないか。


 ある意味、自分のポストに相応しい行いではある。表立ってはルールを守り、裏ではスレスレの行いをする。そういう諜報部門の長らしい、と。


 皮肉めいた思いも表情にまでは出ず、彼女は神妙な顔を兄に向け、やがて口を開いた。


「この継承競争を建前とし、エリザベータを討つ以外の目的のために、各種の権利が濫用されるのではないか。今回の私の決断が、そうした道を開いてしまったのではないか。そういう危惧はあります」


「そういうことをしでかす奴が、兄弟にいると?」


「……私ほど、皆の面の皮が厚いとは思いませんが……少しぐらいなら、そういう気の迷いが忍び込む余地は、あるのではないですか?」


 自嘲気味に返しつつも、基本は真剣な妹の言に、長兄は苦笑いで応じた。

 それから、ティーカップに手を伸ばした彼は、一口含んでから言った。


「そういう面も含めての、継承競争ではないかと思う」


 この兄の言に対し、アスタレーナは言葉に詰まった。


――父王はただ、「エリザベータを殺した者を、次の王と認める」と言っただけだ。


 ごく短い言葉によって始まった継承競争に、父王がどのような意図を含んでいるか。解釈を各々が推し進めれば、より混乱するのではないだろうか。

 そして……父王が意図したとは考えにくい権力の使い方を、アスタレーナは実際にやってしまったわけだ。解釈どころではないことをやってしまった張本人としては、憂慮する物に対して何も言えない。


 外交的には正しいと考えつつも、継承競争上はとても手放しで褒められたものではない。悶々としてしまう板挟みに口を閉ざす彼女に、兄は困ったような笑みを浮かべ、言った。


「私も、立場というものはあるのだが……」


「何でしょうか?」


「お前の判断を、私は支持する。今のハーディングに、好んで仕掛けようという兄弟はいないだろうが……それでも、万全を期そうというお前の考えは、関係者としてまっとうなものだったと思う」


 長兄ルキウスは、国防において重責ある立場にあるが、主戦派にも非戦派にも属していない。

 継承競争があるとはいえ、王の第一子という立場は特別だ。その立場を重く見ている彼は、周囲がどちらに傾くのも良しとせず、ラヴェリアにおける中道の立場を志向している。

 そのような彼が、内々の会話とはいえ、非戦派筆頭とも言える外務省のアスタレーナに支持を表明するのは、極めて珍しいことだ。


 兄の言葉を、彼女は深く受け止めた。単なる励ましではなく、本心だろうと。周囲の目から、どちらにも傾けない兄は、少なくともハーディングの件については、自分たちと道を同じくしていると。


 思いがけない言葉に様々な思いが去来した彼女は、ふと表情を柔らかくした。


「気が楽になりました。何分、やってから思い悩む(たち)で……良くないとは思うのですが」


「悩んで機を逃すよりはいい。この部署では、後でまとめて振り返るぐらいのスピード感でなければ、やっていけないだろう」


「……今でも、やっていけているかどうか」


 机に山と積まれた書類を指差し、アスタレーナは苦笑いした。手つかずで宙に浮いた案件はないのだが、とても片付いているとは言い難い。

 この机の激戦ぶりに、兄は「他人の気がしないな」と笑った。

「お前に比べると、仕事がだいぶ遅くてな」とも。

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