第104話 加速する混沌
業を煮やしたというべきか。新兵中心の正規軍本隊は、もとより腰が引けたような火勢がさらに弱まる一方。
そこで、正規軍本隊の背後から大きな一手が打たれるところであった。予兆を察した偵察係が口を開く。
「騎兵の動きはなくなった。進行上にある兵が、少しずつ動いてる」
「できる限り隠そうって考えだろうな。表面に動きはないようだ」
「ああ。後方から徐々に……って感じだ」
彼と言葉を交わしたダミアンは、すぐ近くで待機中の伝令に、「騎兵が来る。狙いは中央だ」と短く伝えた。
「了解」と返し、すぐさま動いていく伝令。情報をリレーして、じきに構えが整うだろう。
相手の動きを見ている革命勢力だが、敵側も同じことと思われる。一人くらいは《憑依》の使い手がいて然るべきだ。
そうした想定の中では、あまり凝った動きはできない。たとえば、中央突破狙いであろう敵勢を引き込むように、こちらも通り道を最前列以外は開けておく……といった策だ。
情報戦的な都合以外に、そもそも民兵が戦術的な機動についていけないという事情もある。その場の判断で柔軟に指示を出しても、下が対応しきれないのであれば、混乱させないように構えておくのが上策だった。
つまり、相手の騎兵が通れる道を、開けはしない。これを正面から迎え撃つ。
敵本隊からの攻撃は、戦闘開始当初よりもかなり控えめなものだ。相手もある意味で慣れたのか、前列の兵の頭上をかすめて飛ぶ《魔法の矢》が、少しずつ増えてきている。
それでも、革命勢力側に余裕や慢心の色はない。
民兵の立場では、自分たちに迫る攻撃に緩急の波は感じられても、戦場全体がどうなっているかまではわからない。持ち場を油断なく守る以上のことはできず、そうあるように言い含められてもいる。
彼らを束ねる立場にある主導部にとっても、騎兵が大きな懸念事項として存在し、状況は楽観視できるものではない。リズに任せている対岸も、気がかりでならなかった。
そして、この雨も。
「まだ飛ばせるか?」というダミアンの問いに、偵察係は少し間を開けて答えた。
「この程度なら、まだ。ただ、だんだんキツくなってきてる」
《憑依》で飛ばしている鳥は、布製だ。雨ですぐに駄目になるものではないが、水分を含んで重くなれば、飛ばし続けるのが難しくなる。
戦場を俯瞰できなくなるのはお互い様とはいえ……ダミアンは渋面を作った。そこで、偵察係が一言。
「騎兵が動き出したタイミングで、急降下させようと思う」
「……ああ、なるほど。『見てたぞ、ようこそ』ってとこか」
「馬にも驚いてもらいたいね。何人か落馬してもらえれば」
これは、一時的に戦場の視野を失う手ではあったが、敵の一手をこれで潰すか、その勢いを削げれば……
少し考え込む様子のダミアン。策の有用性について彼が口にする前に、クリストフが横から口を挟んだ。
「僕は支持します。素人考えですが……」
「いや、奇遇だな。俺も賛同しようと思ったところだ」
「んじゃ、そういうわけで」
肝が座っているのか、大役を担う偵察係の青年は、なんともさっぱりした様子で構えている。実際、頼もしくはあるのだが……一回り近く若いこの部下に、ダミアンは苦笑いを向けた。
そして、彼は革命の旗手に向き直った。
クリストフは、さすがに緊張した面持ちでいる。
正規軍の大半を占める新兵が火力として役に立たない中、敵は騎兵で中央への突撃を試みようという。
その狙いは、火を見るより明らかだ。衝撃を与えて民兵の陣を揺るがそう、新兵たちに火をつけよう、そういう付随効果も見込んでいるのだろうが……
手っ取り早いのは、主導者を殺すことである。
今や、一つの部隊から直接的な殺意を向けられている。そう考えるのが妥当な立場のクリストフは、腰の専用ホルダーから一冊の魔導書を掴んだ。
これはリズが持たせた、《別館》影響下の魔導書である。この存在については、ダミアンも知っている。彼はクリストフに声を掛けた。
「ま、あまり背負い込むことはないぞ。俺たちもいるからな」
「……はい。ですが、任せっきりにはしておけません」
震える手を握りしめ、クリストフは答えた。
実際、彼がここにこうして身を晒しているおかげで、不安と恐怖に揺れる民兵をまとめることができている、そんな側面がある。
今の立場こそ革命の主導者だが、彼も昔は周囲の皆と同じ、一介の商人でしかなかった。強いて言えば、名士の家の出で、顔も名も売れていたと言うぐらいか。
そんな彼が、この場に踏み留まっているという事実が、同郷の仲間たちをここに留まらせている。
そのうちの一人、最初の同志とでも言うべき親友が、彼に話しかけた。
「ヤバくなったら、うまく避けろよ。死なれてもみんな困るんだからな」
「……ああ、わかってる」
クロードの言葉にうなずくクリストフだったが、声を掛けてきた親友はというと、「わかってんのかな」とでも言いたげな微妙な笑みを浮かべた。
そうして言葉を交わし合う時間も過ぎ去り、心臓を締め付けるような重圧のある、緊迫感が場を支配した。そして――
「来るぞ!」
偵察係が鋭く言葉を発した。
正規軍本隊中央にある、楔を打ち付けたかのような空隙。その前面を覆う最後の門が開き、怒涛の勢いで騎兵が解き放たれた。
この群れの動き出しに合わせ、偵察係は《憑依》の鳥を飛び込ませた。狙うは先頭集団。少しでも動きを乱すことができれば――
彼のコントロールとタイミングは、会心のものであった。何もなかったはずの進行方向に、突如として急降下した布の鳥。先頭の騎馬の目の前に出現したそれが、絶妙な高度で馬の顔に向かう。
先頭の馬は、突然の鳥の出現に大いに驚いたようだ。いななき、身をよじるようにして進路を歪め、速度が緩んだところに後続が接触。
しかし、群れ全体としては冷静な対処を示した。先頭で何かがあったと見るや、機敏に迂回行動に移り、何かあった者たちを避けていく。
結果として、一個の矢じりのようであった騎兵の群れが、正面から割かれた。落馬した者は数名、後続に踏み荒らされている。
《憑依》は決して、攻撃用の魔法ではない。そう思えば、これは望外の戦果であろうが、術者の意を満たすものではなかった。
「クソが! 大して効いてねえ!」
「いや上出来だ! 後で好きな酒おごってやる!」
「下戸だって知ってんだろ!」
これまで淡々としていた部下の激発に、ダミアンは緊張しつつも苦笑いを浮かべた。なんだかんだ言いつつ、部下はすぐに二羽目の準備に取り掛かっている。頼もしいばかりだ。
そして、彼に向けた上出来という評価は、決して慰めではない。
確かに、落馬から繋がる惨事を避けようと、中央に寄り集まった騎兵たちは散開する動きを見せた。突然の事態に見事対応してみせたのは、彼らがエリートだからだ。
しかし、急に馬群が膨らんだことに、後方の本隊は対応しきれない。
案の定、本隊からの攻撃は、騎兵が動き出した一瞬だけ勢いを取り戻し、すぐに弱火になった。援護射撃による誤射を恐れてのことだろう。実際に、被害が出ている可能性も。
彼ら兵卒は、友軍の突撃に合わせ、再び腹を括って同胞に攻撃を構え――それがまた、撃てない状況へ戻されたのだ。
相手の心中を思えば、革命側としても決して愉快になれないのは事実だが、立て直しかけた戦意を再びへし折れたことは幸いだ。
あとは、恐るべき重圧を持って迫る、あの騎兵の一団に対処すればいい。
騎兵の動き出しを見計らい、横陣の中から幾人もが宙へと躍り出る。《空中歩行》で上方を取り、射線を確保した上で騎兵を討とうという構えだ。空を駆け上がっていく、傭兵たちと諜報員たち。
彼らが攻撃用に選択した魔法は、《火球》。相手は的が大きいとはいえ、動きが速い騎兵だ。急に空へ飛び出しつつの攻撃ということもあり、まともに狙う余裕はない。
そこで、きちんと狙わずとも弾が炸裂し、爆風と衝撃が敵を襲う《火球》の出番というわけだ。
――人に向けるにしてはあまりに無慈悲な攻撃ではあるが、この選択を主導部は受け入れている。
位置取りに向かう時間も惜しく、空へ向かう皆々が、射線を取れるなり《火球》を放っていく。
しかし、相手は騎兵。軍人の中でも、騎馬を与えられるほどのエリートである。
彼らは、馬の弱点を知っている。そばで《火球》が炸裂するだけでも、馬にとっては大事だ。
《火球》のコース取りを瞬時に見極めつつ、騎兵の多くは、馬を操りながら魔法を放った。
撃ったのは、同じく《火球》と、少し遅れてそれを追う《追操撃》である。誘導弾が先を行っていた《火球》に直撃し、空に爆炎の帯が広がっていく。
革命勢力側から放たれた《火球》は、その爆炎に捕まり、空にさらなる赤熱の膜を広げていく。やまない雨が蒸発し、空の一部が朱と白に染まる。
こうした対応策で直撃を免れた騎兵がいる一方、そうはならなかった者もいる。《火球》の雨の接近を許し、地に炸裂。怯えた馬の制動を失い、後続が衝突。崩れに崩れる一団も。
それからもアングルを変えつつ、革命勢力の空中部隊は、騎兵隊に向けて魔法を放っていった。しかし――
「食い止めきれん!」
「全員、構えろッ!」
陣のそこかしこで怒号が飛び交う。その声をかき消さんと、湿った大地を踏み荒らす轟音が迫る。見上げるような大きさの軍馬の群れが、陣形中央へと殺到してくる。
自身へ迫る殺意を前に、クリストフは一歩も引かず、魔導書を持って構えた。
彼が預かっている魔導書は、リズ謹製の、《別館》仕様だ。手を触れずとも、彼女の意志で魔導書に新たなページを記すことができる。
そして、《別館》にはオプションがある。正確に言えば、仕様がもたらす当然の機能だ。
彼女の手を離れても、《別館》支配下の魔導書には、リズ由来の魔力で新たなページが記される。
――つまり、魔力が必要に応じて、彼女から魔導書に供給されるのだ。
この機能は、リズとしては中々検証する機会に恵まれず、未知数な部分が大きいものだ。寝ながら《叡智の間》内でやろうにも、明確な距離感が曖昧であった。
ただ、この戦場の規模程度であれば、そこまで甚大な負荷にならずに魔力供給できるという見立てはあった。
そこで、クリストフの魔力消費は最小限に。彼からの、意思表示的な魔力の動きをトリガーに、リズの魔力払い出しで魔法陣を使ってもらうという流れが定まった。
いかなる魔法であれ、クリストフの意志に基づき、リズの魔力がそれに応えるのだ。
目前に迫りつつある騎馬に向かい、彼は魔導書に触れる指に力を込めた。
リズ曰く「使いやすくした」という《追操撃》の連弾が、魔導書から花のように散って敵へと向かう。
突然の攻撃に、馬は泡を食ったようだ。先頭の一騎が、続く騎馬と揉みくちゃになって崩れていく。
しかし、敵はまだ尽きない。歯を食いしばって、彼は攻撃を続けた。
常人にはありえない力を持たされている。それを行使し、自分よりずっと強いはずの兵たちを倒せている。
それでも、何一つ、心弾むことなどなかった。
☆
「早く撃て、撃たんかッ!」
去っていった騎馬の足音の後、身を打ちつける雨音に負けじと、新兵たちを叱咤する怒声が響き渡った。
いや、叱咤などというのは生易しい表現だ。
杖を構えて射撃しつつ、グレゴリー・レルミットは周囲にそれとなく視線を向けた。
いつの間にか、督戦隊のようなものが自然発生しているようだ。撃てなくなった新兵を、杖で殴り飛ばしている士官がいる。
そればかりか、今もなお射撃を繰り返す新兵が、撃てなくなった同朋に時折杖を向けている。揺れる声は判然としないものだったが、それが口汚い罵りだとは察することができた。
彼は自部隊にも目を向けた。いずれも顔色は悪い。
幸いなのは、いくら吐いても、雨が勝手に洗ってくれることだろうか。
自分の部下にも、やはりというべきか、撃てなくなった者がいる。彼らが他に目をつけられる前にと、グレゴリーは檄を飛ばした。
「何をやってるんだ、お前ら! 手本を見せてやる、俺に続けよ!」
彼はそういうなり、杖を構えて《魔法の矢》を数発放った。
その狙いは、少し高い。敵陣の頭上を、少し余裕を持って通過するような。外した彼は、堂々と命じた。
「きちんと狙えなくてもいい! 敵には宙に浮いている奴もいるんだ。そいつらぐらい狙えるだろ!? 怖気づいて、奴らに好きにさせるんじゃないぞ!」
「うっ……うわぁああああ!」
部下の一人が叫び出し、構えた杖を再び武器にした。
戦果を期待できるわけではない。こういう状況で、特にフォーメーションを組むでもなく宙に出る連中に、自分たちのような一般兵が敵うはずもない。それはグレゴリーも認めていた。
しかし、戦意を絶やすことなく構えていれば……上に逃げてばかりの照準も、そのうち正面を見据えることができるかもしれない。
まずは撃たせることだった。形だけでも戦い、それをお互いに感じ合わなければ。
そんな思いに囚われている自分を、彼は皮肉に思った。
自分たち官軍の方が、心理的に追い詰められているのではないか。賊徒に過ぎない連中が、基本的に身を守ってばかりの連中が、正規軍をここまで苦しめるなどとは……
思えば、騎兵の使い方は、どこか自暴自棄だった。切羽詰まり、他に打てる手もなく、仕方無しにといった感じがある。
それに、指揮系統の乱れが気になった。督戦隊気取りが、全体から見れば数こそ些少だが、確かに存在している。
明らかに、上は浮足立っている。勝てるはずの戦いが、こうも思いがけない方向へと流されているからだろうか。
そして……この戦場の外にある、軍の中枢は、この戦いをどう思っているのだろうか。
いや、そもそも――
(偉いさん方、もしかして、今の状況をわかってないんじゃないか?)
何か、重大なものから切り離されているような、深刻な孤独が、雨を一層冷たく感じさせた。




