第102話 乱入者
突如として現れた乱入者は、リズを扇状に囲う敵布陣の南端で交戦中だ。川沿い北寄りに位置しているリズとの距離は、まだまだかなりある。
だが、その正体不明の存在は、彼女の方へと徐々に近づいているようだ。
彼女にとって想定外のあの乱入者は、正規軍にとっても同様のようだ。当惑や浮足立つ雰囲気がある。
だが、それでいて精兵たちはリズへの包囲を継続し、挙動を制すかのように牽制を仕掛けてくる。
急激に状況が変わりつつある中ではあるが、敵勢が晒した隙はわずかなもの。この機に乗じて付け入り撹乱するのは難しいと、リズは判断した。
何より、あの乱入者の正体が読めないというのが、大きな不確定要素でもある。
迫る魔法の矢弾の対処に注意を払いながら、彼女は新手の気配にも気を向けた。
と、その時、敵勢にやや動きが見られた。包囲陣の北端が、徐々に距離を詰めてきている。
一方、敵部隊と交戦中の新手も、相変わらずリズの方へと動いている。
ここで鉢合わせるのは、得策ではない。明確な敵と、詳細不明な新手の接近に、リズは歯噛みした。
そして、瞬時に回った思考は、彼女の足を川の方へと向けた。
自身の戦場が本隊側へと近づいてしまうのは好ましくないが、水上というフィールド自体は彼女に分がある。
ここで先走り、水上に入り込んで彼女と戦うのは、相当リスキーだろう。意図が読めない新手との、挟撃になる恐れもある。
実際、彼女の思惑通りに事が運んだ。リズへの攻撃を続けながらも、精兵たちは川から距離をとっていく。
まずは、不確定要素を減らそうというのだろうか。乱入者の対処に動く構えのようだ。リズへの注意を保ちながらも、警戒は乱入者に注がれているらしい。
彼らの攻撃の狙いは、今もかなり正確だが、素直すぎる。多勢による攻撃であっても、リズからすれば容易に捌けるものだった。
こうして、乱入者へと注意が向いたことで、リズに対する包囲は甘くなってきている。直近の敵はかなり数が減り、乱入者の方に兵が寄りつつある。
これは好都合な流れだった。戦場の中心が乱入者に切り替わったと言っても良く、見るべきものが一つの視界の中に収まっていく。
やがて、リズは改めて、乱入者に目を向ける余裕を得た。
乱入者は、やはり相当の手練れだ。このような戦場に単身で乗り込むだけのことはある。遠巻きに包囲する精兵たちも、数の利がありながら攻めあぐねているようだ。
四方から飛んでくる魔力の矢弾に対し、乱入者は青白い鞭のような物を振って応戦している。一振りであらかたの魔法を蹴散らし、残りは的確な迎撃とフットワークであしらっていく。
鞭のように見えるそれを目にしたリズは、実際にはなんらかの武器に魔力を乗せた攻撃だと判断した。
遠目に見ても、鞭と認識させるほどにリーチがあるというわけだ。
この乱入者は、正規軍にとっては明確な敵のようだ。
では、革命勢力にとっては?
リズは、おそらくは味方ではないだろうと考えた。味方ならば、混乱させないようにと一報ぐらい入れるはずである。なにしろ、革命勢力内には、利害関係のある各勢力の諜報員を抱え込んでいるのだ。
一番ありえそうなのは、この地で相対する2勢力とはまた違う、第3勢力の手先といったところだろうか。
そして――徐々に近づいてくる、その乱入者の戦いぶりに、リズは見覚えがあるような気がした。古い記憶が呼び起こされる。
第3勢力ではないかという見立てが、つい最近の出来事を想起させる。
果たして、その乱入者が持つ武器は、槍であった。槍に乗せた魔力が、突きと薙ぎ払いに、魔法かと見まがうほどのリーチと威力を与えている。
槍の扱いもさることながら、多勢もものともしない戦いぶりは尋常ではない。
――その正体に、リズはおおよその見当がついた。
仮に推測が正しいとして、では、どのように動くべきか。
不確定要素が多い中、彼女は決断し、動き出した。
あれが味方かどうかはともかくとして、敵の敵ではある。ならば、それを利用してやろうというまでの話だ。
単なる時間稼ぎならいざ知らず、渡河を妨害しつつ精兵の部隊を相手取るのは、リズにとっても十分に難しい戦いだ。その負担を、いくらか受け持ってもらえるのなら。
それに……あの乱入者が敵だとして、実際に矛を交える前に、実力の程をもう少し明らかにしておきたくもある。
であれば、川の方へと近づいてきてくれたのは幸いであった。あらかじめ張り巡らしておいた《遠覚》が、彼の戦いぶりを魔力の動きという形で伝えてくれる。攻撃のリーチ、リズム感、身のこなし――
実際に対峙する前に、少しでも把握できれば。
問題は、彼がリズの意向通りの場所を受け持ってくれるかどうかということだが……多少の目算はあった。
意思疎通できるはずもないが、川にいる自分へと向かってくる乱入者に対し、彼女は最低限の意思表示をした。弾速を遅く、やたら発光するように調整した《魔法の矢》を、川沿い南の誰もいない地面へ向けて一射。
それからすぐ、彼女自身は北の方へと動き出し、水上から出た。
この意思表示は、相手には伝わったようである。リズめがけて一直線の動きが少し横に逸れ、彼女が弾で指示した方へ。
こうして、リズと乱入者が、それぞれ川を背にして北と南を守る形になった。
正規軍の妨害をするつもりがなかったというのなら、乱入者にも、もう少しやりようはあったはずなのだ。おそらく、自分とある程度は目的が重なる部分もあると、リズは考えた。
そして、乱入者の真の思惑がどうあれ、正規軍と敵対的であることはまず間違いない。この後も精兵部隊との戦闘が続くことを考慮すれば、川を背にして回り込まれにくくする選択は、完全な野戦よりも合理的だと判断してくれるはず。
それに、実際はどうあれ……リズと乱入者の二人が、いかにも通じ合っている風を正規軍に匂わせることができれば、正規軍の動きにも鈍るだろう。
乱入者がそこまで読み、乗ってくれるかはともかくとして。
川沿いを守る手練れが実際に一人増えたことで、正規軍は目に見える狼狽こそ示さなかったものの、攻勢は緩くなった。
遠巻きに囲って正確な狙いの攻撃が迫るが、弾道を読める攻撃であれば、リズにとっては脅威にはならない。
ただ、双方の距離が開いたことで、リズ側のカウンターも容易に防がれている。相手が相互に守り合えるなら、なおさらだ。
互いに戦果が上がらないまま、恰好ばかりと言っていい撃ち合いが続く。乱入者の側も、槍を振らずに魔法での射撃合戦になっているようだ。
あちらは、あまり防御魔法を使わず、見切りと体さばきで凌いでいる。当たらない自信があるのなら、その方が魔力の温存ができ、持久戦には有利だ。
実戦の場で、そういうことができるのなら、の話だが。
やがて、申し訳程度に飛び交う攻撃の勢いもみるみる弱まっていき、静かな睨み合いへと移行した。
すると、川向こうの音が不意に大きくなったように、リズは感じた。
あちらは、まだ射撃戦だ。騎馬が動き出したわけではない。
ただ、こちらの状況は変わっている。双方に動きがなくなって一段落というタイミングで、リズは《念結》で話しかけた。
『一人、乱入してきたわ』
『ああ、こちらも把握している』
帰ってきた声には、緊張した硬さがある。彼は続けた。
『主導部や諜報員限定で情報を伝えているが、誰も心当たりはない』
『やっぱり……そちらの様子はどう?』
『攻勢は今も継続しているが、そういうポーズって感じもある雰囲気だ。一度止めたら、もう撃てなくなると感じているのかもな。他の兵の動きで、また火が付く恐れはあるが……』
『了解。こっちは、できるだけ膠着させるわ』
『そうしてくれ』
振り向きたくなる気持ちを抑え、リズは敵勢に相対したまま会話を切った。
こちらの精兵部隊は、あくまでリズ――と、もう一人――の対処に専念する考えらしい。北側へ大回りして、本隊に加勢しようという考えは、今のところはないようだ。
もしかすると、乱入者とその対応について、上に判断を仰いでいるのかもしれない。
だが……人の心配をしていられる状況でもなくなった。《遠覚》が、少しずつではあるが、川沿いに北上する気配を伝えてくる。
そちらを一瞥すると、槍を携えた男が一人、静かにリズの方へと歩き出しているところだった。30に入ったかどうかという程度の、その背が高い青年に、彼女は見覚えがある。
だが、先方の意図はどうあれ、今はまだ接触したくない。何がきっかけになって、敵勢が動き出すか、知れたものではないのだ。
そこでリズは、一計を案じた。彼女は、近づいてくる男に手のひらを向けて動きを制し、彼の足元から少し離れたところへ《魔法の矢》を放った。
次いで小物入れから紙を一枚取り出し、魔方陣をいくつか刻んでいく。
用意を終えると、彼女は紙を男のもとへと飛ばした。魔力によって挙動をコントロールされた折り紙が飛んでいき……紙に繋げた《遠話》の魔方陣に、リズは話しかけた。
「その気があるなら、これに話しかけて」
彼女の提案に、男は応諾したようだ。罠かもしれない紙に手を伸ばし、それを広げ、ややあって――
『何と申しましょうか……久方ぶりにお目にかかります、殿下』
リズを殿下と呼ぶのは、ラヴェリアの人間でも相当限られる。一般には、そもそも王族とさえ知られていない。
仮に王室関係の事情を知っているとしても、彼女に「殿下」という敬称を用いるのは、あらぬ嫌疑をもたらしかねない。
そんな危険な呼び方をしてきた彼だが、慇懃無礼という言葉の調子ではなかった。リズに対して敬意を払っているようでもあり、おおよそ推測できていたその正体は、ほぼ間違いなさそうである。
しかし……あまり認めたくない気持ちが、彼女の胸を占め、口からは長い溜息が出ていく。
「どちら様が何用かしら?」
『……失礼しました。ローレンス・マクダウェルです」
その名は、リズもよく知っていた。
20年近くにわたる王宮暮らしの中、リズは重臣たちからあからさまに避けられていた。中には彼女を軽んじる者も。
血の繋がりがある者たちはというと、誰も味方しなかった。もっとも、兄弟たちは色々と気を利かされ、リズから遠ざけられていたという面もあろうが。
そんな中で、彼女に親しくしたものもいる。まず、彼女自身が味方に引き込んでみせた、メイド仲間たち。
そして、魔法や武芸の師たちである。
ローレンスは、その中の一人だ。彼はリズに槍術や棒術、杖術を仕込んだ。
ただ、彼は単なる武芸指南役ではない。度重なる外的の侵攻の最前線で矛を振るい続けた彼は、平民という出自でありながら、武芸の頂にまで上り詰めたとまで評される、当代の英傑の一人なのだ。
彼が単なる味方として遣わされた――などと考えるリズではなかった。そんな役目に使えるほど、彼は安い人材ではない。
「用件は?」と尋ねるリズに、師は少し間を開け、口を開いた。
『我が国は、今回の布陣を把握しておりまして……殿下がお一人で、このような戦い方をなさるものと、事前にその可能性は想定できておりました』
「わかりやすくていいでしょ?」
行動が見抜かれること自体、別段の驚きはない。ただ、なんとなく気に入らないものは確かにあって、リズは皮肉めいた口調で返した。
ローレンスはさらに少し間を開け、先ほどよりも暗い口調で言葉を続けていく。
『このような戦場では、殿下が討たれる可能性も否定できません。それは困るのです』
「どうして?」
答えがわかりきった問いだったが、リズはあえて問いかけた。
そして、それから逃げる師ではなかった。
『次代の王位を巡る争いが、殿下の御首を標的としているからです。他国で事故に遭われては……』
「それで、兄弟に代わってあなたが、私を殺すの?」
この問いへの返答には、いくらかの時間を要した。不思議とリズは、本来感じる以上の時間が流れている感覚に囚われた。そして――
『いえ』
短い返事ではあったが、確かにそう聞こえた。
「油断させようっていうの?」と思わず尋ねたリズだが、師はそういう人ではないという気持ちはあった。
――あるいは、思い出が、今の自分にそう思わせたがっているのかもしれない。
自分の中で巡る、得体のしれない感情の渦を自覚し、リズは長く息を吐いた。そこへ、師の言葉が返ってくる。
『信じていただけるかどうかはさておき、私は殿下を倒しに、ここに来たのではありません。相手はハーディング領の正規軍です』
「それは信じるわ。正規軍が敵だというのはね。ただ……」
続く言葉を、リズは言い淀み……意を決して口を開いた。
「ごめんなさい。やっぱり私は……あなたの後ろにあるものを信じられない。お互いの連携なんていらない。二人で距離を開けて、勝手に戦いましょう。そちらの方が安心でしょ?」
『……そうですね。では、そのように。あまりご無理をなさるようでは、ご希望に添えないかもしれませんが』
「ああ、それはそうでしょうね……」
他国の馬の骨に殺されるくらいなら、自らの手で……そういう判断で、リズに最期をもたらす可能性は否定できない。
というより、そう言い含められているものと、彼女は考えた。
ただ、それをわざわざ口にすることに、彼女は強い抵抗感を覚えた。認めたくない気持ちもあるが、何より、いちいち言葉にして相手を煩わせたくなかった。
同情を引くような言葉を口にして、相手の良心に付け入ろうなどとは。
とりあえず、精兵部隊の何割かを、師が受け持ってくれる。それだけでも幸運だと認めるほかない。
だが、一つだけ、確認しておかなければならないことがあった。
「あなた、私の味方には、何があっても手を出さないでいてくれる?」
『心得ております』
「そう……信じるわ」
その時、ぐずついた空から、小雨が降り出した。二人を結ぶ《遠話》の紙が、雨に濡れて使い物にならなくなっていく。
潮時と考え、リズは魔法陣を解いた。
いきなりやってきた、母国からの増援について、不明瞭な点は多い。
だが、彼にこの戦場を任せられるということは確かだった。
そして……彼と肩を並べるに足る力と経験が、今の自分の中にはきっとあることも。




