第100話 動き出した戦場
川を挟んで様子をうかがうリズには、さすがに本隊側の子細までは把握できない。
《魔法の矢》の一斉射撃は、魔力の飛散具合から、どうにか《防盾》で相殺したように映るが……確信とまではいかない。
濃密な魔力の雲の内側がどなっているか。彼女は気を揉んだ。
それゆえに、《念結》で届いてきた『やったぞ!』という初報に、彼女は思わず胸を撫で下ろした。
その、あまり報告らしくはない言葉に続き、続き早口ながら弾んだ声で語られる。
『衝撃で倒れた奴がいるようだが、重大な負傷者は出ていない感じだ。撃たれる前よりも、気持ちが上向いている感じさえある』
『何よりだわ』
『ただ、そっちの方は騒がしくなるかもしれん』
言われてリズは、自分が対処する兵たちへと、改めて目を向けた。
遠巻きに包囲してくる精兵たちの陣に、大きな動きはまだない。本隊との連携のためだろうか、あちら側の様子をうかがっているように思われるが……
こちらはこちらで、どことなく空気感が変わるのを、彼女は感じた。
と、その時、本隊側が第二射を放った。
しかし、明らかに火勢が弱い。第一射よりも、弾の集団は細切れになっている。
それからも射撃は続いたが、やはり第一波ほどの勢いはない。正規軍の攻撃ながら、斉射というほどの統制もない。小部隊規模で、弾が固まっている程度のものだ。
一方で、これを受け止める革命勢力の側は、撃たれながらも情報のやり取りが円滑になされているようだ。遠目で様子をうかがい、希望と不安が相半ばするリズに、朗報が届けられる。
『衝撃で倒れた奴は、やっぱり何人か出てる。だが、いずれも外傷はないって話だ。それに、誰も逃げ出してない』
『よし!』
リズは思わずガッツポーズした。手に握るものに熱い感じがある。
通話先は、不意に出てきた彼女の言葉を笑うでもなく、落ち着いた口調で言った。
『まだどうなるかわからんけど、いい感じだ。そっちの方が心配かな』
『大丈夫。うまくやるわ。私だけやられたのでは、あまりにもカッコつかないもの』
少しずつ近づく戦闘の予感を覚えつつも、リズは怖じることなく言葉を返した。
最大の懸念事項は、どうにかうまい具合に切り抜けられている。今も続く、正規軍本隊からの射撃の波も、もはや心をかき乱すには至らない。
リズは信頼できる仲間たちに背を向け、自分自身の敵勢に相対し、今回の作戦について思い返した。
☆
この一大決戦を迎えるにあたり、革命勢力としての一番の勝ち筋は、相手側の兵たちの心情そのものにあった。
つまり、同郷の人間相手に、彼らが撃ち続けられるかどうかだ。
新兵たちにとって、人に魔法を撃つのは初めての経験だろう。長らく戦から遠ざかっていたこの地にあっては、古参兵であっても同様のはずだ。
最初の一射で倒れる者の姿を見れば、撃てなくなくなる者がきっといるだろう。
もちろん、そうでない者もいるだろう。引き返せない道に覚悟を持って踏み込んだ自覚が、次なる攻撃へのためらいを、切って捨てるかもしれない。踏ん切りがつき、吹っ切れる者もいるかもしれない。
だが……実際には、一斉射撃に対して革命勢力は見事に耐えて見せた。物理的な大盾と、その構えの間隙を埋め尽くす《防盾》の多重防壁によって。
この事実に、腹を括って一発を放った者たちは、どう思うだろうか。
両軍にはもともと、大きな非対称性があった。
攻撃力は圧倒的に正規軍の側に利があった。革命勢力は、そろえた頭数を打撃力に変換するための手立てを、今も持っていないのだ。殺し合いとなれば、軍隊規模では無力と言っていい。
だが、展開次第では、革命勢力の側にこそ心理的な強みが生じるかもしれない――少なくとも、革命主導部はそのように信じ、一世一代の賭けに出た。
運命の分かれ道は、相手の第一射である。これを、ほぼ損害を出すことなく受け切ったことで、革命勢力側は心理的に大きなアドバンテージを得た。
事は事前に周知された作戦通りに運んでいる。それに、自分たちでも攻撃を凌ぎ切ることができたという事実が、続く射撃に対して民兵たちを立ち向かわせている。
革命勢力の民兵からすれば、逃げ出す理由はあまりない。一番厳しいのは初撃。これさえ乗り切れば、後は勝手に火勢が弱まる……そのように事前に予言され、実際にそうなっているからだ。
一方、革命勢力としては、正規軍の兵たちの心情を正確に把握することは難しい。
しかし、意を決して放ったはずの弾が、予想外の形で相殺されている。その中で、それでも攻撃を続けるのは、きっと難しいだろう……そういう予想はあった。
実際には、色々な兵がいるだろう。ただ、撃てなくなる兵がいくらか出れば、そういう反応が伝播していくのではないか……?
革命主導部は、そこに賭けた。相手の腹の中にある覚悟を、耐え凌ぎ続けて揺らがせようというのだ。
相手の心情を揺さぶる上で、ビラによる情報工作も布石となっている。
このビラにおいては、領内での仲違いによって利を得るであろう、外敵の存在に触れている。
――では、そういう前提の下、戦意を失っている新兵たちを立ち上がらせようという叱咤を、他の者はどう捉えるだろうか?
考えが深い士官であれば、皆に嫌疑を抱かせないようにと、ためらいを覚えるかもしれない。
士官たちの内心がどうあれ、戦えない者を戦わせようという動きに、反発が生じるかもしれない。
命令に忠実であろうとする士官ほど、外敵の手先に見えるかもしれない。
いずれにせよ、新兵たちの心の拠り所の何割かを、彼らの隊長たちが担っているのではないか。その基盤を揺るがすことができれば……
☆
正規軍本隊の中で、どういった変化が生じているか。リズにはただ、想像することしかできない。
今の所、作戦通りではある。こちらの守りに対し、相手の攻めは精彩を欠いているようだ。うまくいっている実感に、励まされるものはある。
しかし……正規軍は敵とはいえ、彼らひとりひとりは、課せられた命に忠実であろうとしているだけなのだ。
それを逆手に取り、相手の分断を促そうというやり口を、発案者の彼女は内心で苦々しく思った。
ある意味では、この内乱を引き起こした、あのラヴェリアの人間として相応しい所業だ。そんな、皮肉めいた思いも。
他にも、後ろ暗いものはある。民兵たちを守るために用意した、《防盾》の魔法陣を刻んだビラのことだ。
これは、魔力だけでも使えるようにと簡易な訓練を施された民兵たちが、魔導書のように使えるようにしてある。覚えなくても魔力を注ぎ込めば、魔法陣が機能するのだ。
しかし……他国籍の人間が、届け出も出さず、公共の用に供するわけでもなく、防御用とはいえ戦闘用の魔法陣を、規制下にある複製法によって大量印刷する――
おそらく、普通の国では極刑を免れないだろう。革命というドサクサの中でしか許されないことだ。
そして……仮に事が成ったとしても、これは決して赦されるべきではないだろう。
胸の内にある暗いものを自覚し、リズは一度目を閉じ、長いため息で吐き出した。
再び開けた目に映るのは、厚い雲に覆われた空。湿った生ぬるい風が吹き、丈の長い草がざわついている。
まずは、この一戦を切り抜けなければ。本隊側は、事が優位に運びつつあるものの、まだ騎兵の存在がある。
そして、精兵と目される者たちも。彼女の研ぎ澄まされた知覚は、鳥の目で見ずとも、敵が徐々に近づいてくることを鋭敏に察知した。
戦いは、まだ始まったばかりだ。この先の流れ次第で、どのようにも転び得る。
背に流れる川を最終防衛ラインとし、彼女は身構えた。
今も川の向こうでは、恐怖に耐えて立ち向かい続けている民がいる。その心情を思えば、一人で対峙する数百の精兵も、何の事があろうか。
それに、国を追い出された彼女も、英雄の末裔なのだ。
人に語って見せた夢は、叶えなければならない。




