第6話 話し合い
中学の頃から光里のことを奏多に相談する時は決まってこの喫茶店に来ている。
今日は駅前に新しく出来たらしい喫茶店に行ってみたかったけれど、やっぱり相談するならここという奏多の意見は最もだったのでこっちになった。
この喫茶店は僕達が産まれる前からあったらしく、外見も内装もかなり古い。
店主も70歳くらいのおじいさんが1人で切り盛りしているから、基本的に僕ら以外の客はお年寄りの人が多い。
だけど、逆にそんな場所だからこそ人目を気にすることなく恋愛相談ができる。
「おじさん〜俺いつものやつで」
「僕もいつもので」
店に入るなり、でかい声でカウンターにいるお婆さんと話をしていた店主のおじいさんに注文を頼んだ奏多に少し引きつつ、僕は奏多よりは小さな声で注文した。
そんな僕らに怒ることなく、笑顔で許してくれるおじいさんにペコリとお辞儀をして、奏多と一緒にいつもの席に座った。
僕らのこの店での定位置は、店の一番奥の窓側の席だ。この喫茶店は教室より少し小さいくらいの比較的小さめな店だ。
だけど、変に広い喫茶店やファミレスよりも落ち着く。
もう3年以上通っているせいで店主のおじさんには、僕らの顔もいつも頼むメニューも覚えられている。
そのおかげでと言っていいのか、高校生になってからここに来る時は「いつものお願いします」だけで通じるようになった。
5分程経って僕の前には暖かいブラックコーヒーが、奏多の前にはよく冷えたオレンジジュースとカップに入った丸いチョコアイスが運ばれて来た。
「いつもありがとうございます」
「気にせんで良いよ。ゆっくりして行きな」
優しい笑顔でそう言ってくれた店主のおじいさんは、またカウンターでさっき中断させてしまったお婆さんとの会話を再開したみたいだった。
僕と奏多は話を始める前に、それぞれ運ばれて来た飲み物をひとくち含み、いつも通りの味を確かめたところで昼休みの話を再開した。
「で〜昼休みはどこまで話してたっけ?」
「光里をあの転入生に取られて良いのかどうかの話だったね。僕が良いわけ無いって答えたところでチャイムが鳴ったと思うよ」
「よく覚えてんな……」
「逆になんで奏多が覚えていないのか凄く不思議だよ」
気まずそうにオレンジジュースを飲んだ奏多は言いたいことを思い出したのか、話を続けた。
「あんな奴に光里を取られたく無いんだったら、やるべきことは1つだよな?」
「告白って言いたいんだろ? それは分かってるんだ。僕もいつかはしないと行けないと思ってる。だけど、もし振られた場合その後の関係にヒビが入るかもしれない。そう思うと、どうしてもね……」
「お前はそんなことで俺たちの関係が終わるとでも思ってんのか?」
「分かってる。本心では分かってるんだよ。そんなことで光里が僕を避けたりはしないって。でもさ、分かってても怖いものってあるだろ? 告白を出来ない人のほとんどが、こういう理由だと思うよ? 振られた後の関係に生じる変化が怖いから出来ないって」
休み時間にネットで調べたことを言っただけだけれど、奏多が腕を組んで悩んでいるところを見るとあながち間違ってないんだろう。
実際、僕が告白できない一番の理由が、振られた時の関係の変化とか、環境の変化のことを色々考えてしまうからだ。
光里が僕を振ったところで接し方や関係性は別に変わらないと思う。ただ、僕の方は今まで通りに接していける自信がない。
ましてや、今のように光里が姉のように接して来るのは多分無くなるし、僕は昔のように学校に通えなくなる可能性だってある。
「なぁ悠人。確かにその気持ちは分からんでもない。実際、告白ができない奴の半分以上はそういう理由だろうな。それは同意する。だけどな? それは告白が成功した時にも言えることだ。そうじゃないか?」
「それは、告白が成功した場合、友達として接していたのが恋人になって、周りの反応や本人達の環境がそれこそ変化するってこと?」
「それもそうだし、仮にその好きな奴が他の奴に取られたらお前ら告白できなかった奴らはどうする? 後からあの時好きだったとか言われてみろ? まじで死にたくなるぞ?」
本当に奏多は説明が下手だ。そう思いながら僕は目の前にあるコーヒーを少しだけ飲んだ。
要は奏多が言いたいのは多分こういうことだ。
告白が成功しようがしまいが、どっちにしろ環境は変わる。
しかも、その好きな人が他の人に取られた場合も、結局は自分の周りの環境は変わる。
要するに、好きになった時点である程度の覚悟は決めないとダメだと言っているんだろう。
告白しなかった場合のメリットとデメリットがあまりにも釣り合ってないとも言いたいんだと思う。
「妙に説得力があるけど、そういう経験があるの?」
少しだけ眉を釣り上げた奏多は、落ち着く為かオレンジジュースを一気に飲み干し、おじいさんにお代わりを要求した。
アイスも食べ終わり、一息つくと覚悟を決めたように話し始めた。
「俺だって好きな奴の1人や2人、出来たことがある。その時は告白するか悩んで、結局他の奴に取られちまった。だけど、数ヶ月後にその子が泣きながら別れたって言った時な? すっごい後悔したんだよ。それこそ、マジ泣きした」
昼休み、すごく悲しそうだったのはその時のことを思い出していたのかと、今初めて気が付いた。
確かに3年前の中3の夏休み、奏多は一度も家から出て来なかった。
当時は夏風邪で中々遊べなかったって言っていたけど、そういう理由だったんだ。
「しかもだ。俺が告るかどうかでバカみたいに悩んでた時期、その子は俺が好きだったと言ってくれたんだ。だけど俺がいつまで経っても告白しにいかねぇから、別の奴と付き合ったと言ってた。これ聞いてどうだ? 死にたくならねぇか? 少なくとも、当時の俺は本気で死にたいと思った」
「まぁ……分からないでもないけど、意外だね。奏多はそういう事になったら真っ先に告白しに行くと思った」
「俺も今の悠人と同じ感じだったんだよ。あの頃は偉そうに色々言ってたけどさ、実際自分の事になると全然ダメだった。振られたらどうしようって迷って、結局だぜ。あれから時々夢にも出てくる。あの時告白していれば、あの子が悲しまずに済んだかもしれないってな」
遠い目をした奏多は、ちょうどお代わりを持ってきてくれたおじいさんにお礼を言いながら、また半分くらいを一気に飲んだ。
奏多が自分の事で悩んでいた時も、僕の相談には乗ってくれていたと考えると、意外と奏多は優しいのかもしれない。
友達想いなのは知っているけれど、まさかここまでだったなんて思いもしなかった。
「なんかごめんね。気付いてあげられなくて」
「そりゃこっちのセリフだ。お前が大変な時、光里は気付いたのに俺は気付いてやれなかった。それの罪滅ぼしじゃねぇけど、そのことがあったから俺はお前らをずっと応援してんだ。礼なんて言うな」
「ありがとう。なんだか、奏多にそう言われると変な感じだね」
「俺の過去の恋愛はこの際どうでも良いんだよ。大事なのは、お前がこの先どうするかだ。俺の話を聞いても、まだ告白する勇気はでねぇか?」
少しだけ心配そうに聞いてきた奏多は、僕の様子がさっきの話を聞いてから変わったことに気付いたんだろう。
安心したように残り半分のジュースを一気に飲み干した。そして、三杯目のお代わりを要求していた。
正直僕は奏多の話を聞いて揺らいでいた。
奏多の過去の失恋話は、まさに今の僕と状況が似ている。
どちらも告白への決心が付かずに迷っている状態。そこに好きな人を狙っている他の人が出てきた。
一歩間違うと、これは僕の失恋談にもなりかねない。
「まぁ良く言われてるけどさ。やらずに後悔するより、やって後悔しろって話だ。振られた奴だって、みんながみんな振られたって絶望してるわけじゃねぇ。もちろん疎遠になった奴もいるけど、逆に告白した後の方が仲良くなったって奴もいる。そんなに重く考えなくても良いってことだ」
「告白した後の方が仲良くなれたって言うのは多分レアケースだろうけどね。まぁ、奏多の失恋話を聞いて少し考え直そうって思ったのは確かだよ」
「おん。それなら俺が、こんなこっぱずかしい話をした甲斐があったってもんだ。まだ答えは出さなくても良い。ただ、夏休み前には決めとかないとやばいと思っておけ。告白するなら夏休みに入る前、それ以降はあのムカつく野郎に取られたとしても文句は言えねぇ。それだけは心の中にしまっておけ」
力強くうなづいた僕は、残っていたコーヒーを全て飲み干した。
奏多も3杯目になるジュースを飲み干して、お会計前にトイレに立った。まぁオレンジジュースを3杯も飲めば当然だ。
良い話をした後に相変わらずの奏多を見ていると、なんだか落ち着く。
「え!? なんかいつもより高くね!? なんで!?」
「はぁ......。そりゃ3杯も飲んだらそうなるよ。せっかく見直したのにガッカリさせないでよ」
「は〜そう言うこと言っちゃう!? お兄さんがカッコよく決めてあげたのに!?」
「奏多はそう言うところを直せば彼女できるんじゃないかな?」
苦笑いしながらそう言うと、奏多も笑いながら「なら一生できねぇわ!」なんて冗談っぽく笑っていた。
お店を出てから駅までの道で、奏多はさっき言えなかったことを言いたいと言い出して、駅近くの公園に寄り道した。
その公園は、錆びた遊具と砂場しかない小さな公園だったけれど、唯一あったベンチに腰を下ろし、奏多は話し始めた。
「さっき言えなかったことなんだけどよ。お前がどんな答えを出そうが、俺はその答えを尊重する。ここまで言って、告白しないって結論を出したのなら、俺はその答えを尊重する。お前なりによく考えた結論なら、俺は何も言わない。ただ......」
「ただ?」
少し間を置き、深く呼吸をした後、奏多は話を続けた。
「ただ一番考えるべきは、お前がどうしたいかだ。俺が無理やり告白しろって言って告白させても、なんも意味がない。自分で決めて、自分で告白することに意味があるんだ。お前が光里を幸せにしたいだの、付き合いたいだの、そう言った感情が少しでもあるならよく考えるべきだ」
「……。分かった。ありがとう」
「だから言っただろ。礼なんて言うな」
「それでも、ありがとう」
照れたように笑った奏多は、すぐに誤魔化すようにジャンプして、走って1人で駅まで行ってしまった。
残された僕は奏多のように走るでもなく、ただ歩いて駅まで向かった。