第17話 敵情視察
光里との待ち合わせが後30分後に迫った今、僕は必死に平常心を保とうと洗面台の前で集中していた。
奏多にあんまり意識するなとは言われても、やっぱり少しは意識してしまう。
一旦深呼吸をして、鏡に写っている自分の顔を見てみる。案の定顔全体が強張って、いつもより険しい顔をしている。
どうしよう......っていうか、どうしたらいいんだろう。
「奏多は『俺が後ろにいると思えばいい』って言ってたけど、そんなので本当に大丈夫かな......」
言われた時は確かに! と納得していたけれど、よくよく考えるとそんな単純なことで解決するなら、今日だって気持ちよく寝れていたはずなんだ。
だけど実際、全くと言っていいほど緊張で眠くならなかった。
不安になった僕は、今度はこっちから奏多に電話してみることにした。さっきのお姉さんの件があるから出てくれるかは分からないけど。
出てくれと祈りながら電話をかけてみると、その思いが通じたのか奏多は電話に出てくれた。
「あ? どした?」
「ずいぶん不機嫌だけど……どうしたの?」
「姉ちゃんと喧嘩してたんだよ。で? 要件は? お前もう直ぐ13時なるだろ?」
「まさしくその件だよ。奏多はああ言ったけどさ、だんだん約束の時間が近づいてくると余計に意識しちゃうって言うか? なにか助言が欲しくて......」
こんなことで電話すると後で色々言われそうだけど、今は頼りが奏多しかいないんだからしょうがない。
そういう心境で電話したのに、奏多から出てきたのは意外にも辛辣な言葉だった。
「初デート前の女子中学生かお前は。そんな女々しい相談なんざ、聞くのもバカバカしいんだが?」
「その言い方はないだろ……。しょうがないじゃないか。女子と2人で出かけるなんて一回か二回しかしたことないんだから」
「その原因を作ってんのはお前だろ? 第一、光里は誘ったらいつでも2人きりで出かけてくれるだろ。それをしなかったお前のミスだ」
「そんなこと言われたってさ……」
「とにかく、俺がさっき言ったことを意識できそうに無いってんなら、行き先を映画館とか変に考えるな。それこそ、学校に行くとか思ってりゃいいだろ」
なんだか凄く奏多の機嫌が悪いような気がする。朝電話してきた時はこんなに怒ってなかった。
お姉さんとの喧嘩がそんなに嫌だったのかな? っていうか、行き先を学校って考えるってどう言うことだろう。全く話が見えないんだけど。
「お前、光里と2人で出かけたことねぇとか言ってるけどよ。2人で登校したことは腐るほどあるだろ。そん時は変に意識しねぇんだろ?」
「まぁ確かにそう言う場面で意識したことはあんまり無いけどさ......」
「お前が光里をどんな時に意識するのかは知らねぇけど、変にキョドるのが嫌なら意識したことない場面を想像して乗り切るしかねぇだろ」
「あ〜そう言うことか。ありがと」
「悠人お前な? そんな女々しかったら振られるぞ? もっとしっかりしろや」
「うん。そうだね。ごめん」
イラつきながらも結構良いアドバイスをくれた親友は、そのまま電話を切ってしまった。
気が付けばスマホに表示されている現在時刻は12時40分だった。待ち合わせ時間まで、後20分しか無い。
両頬を叩いて気合を入れた僕は、急いで出かける準備をした。
いつも履いてる靴を履いて、いつも出かける時に持って行く小さめのカバンを持って家を出る。
待ち合わせ場所の公園に着いたのは、ちょうど約束の時間の15分前だった。
「うわ〜。なんだか久しぶりに来たなこの公園……」
僕が今いるこの公園は、小学生の時や幼稚園に通っていた頃、よく3人で遊んでいた思い出の公園だ。
だけど中学に入ってからは公園で遊ぶなんて年頃じゃなくなったせいで、この公園に来たことはなかった。
公園とは言っても、ここには滑り台も砂場も無いし、アスレチックなんて物も無い。
どっちかって言うと空き地とか、そんな言葉が似合いそうだ。
遊ぶものなんてなにも無かったのに、あの頃はただ3人で喋ってるだけで楽しかったんだよね。
中学に上がった頃からは自然とここに集まるなんてことは無くなったけど。
「ハル〜!」
僕がそんな感傷に浸っていると、僕が入って来た入り口とは反対側の入り口から手を振りながら光里が走ってきた。
待ち合わせ時間までまだ10分ちょっとあるのに、僕らはどちらも気が早いらしい。
一番に目についたのは、光里が着ている服だ。
いつもの光里なら、服の真ん中に謎の生き物が書いてあるシャツを着て来たりする。
この前奏多と3人で出かけた時は、なんて書いてあるか分からないような英字のシャツを着て来たし。
後で意味を調べたら、確か『私は映画が大好きです』とかいう意味だったような? ある意味間違ってはないんだけどさ......。
そんな感じの洋服に対して、僕と奏多が中学の頃から何回突っ込んできたか分からない。
だけど今日は様子が違った。
今日は、肩を出してるストライプのシャツと白いプリッツスカートを履いていた。
いつも光里が着てくる服と比べると、センスが良すぎる服装だ。
「ごめんね〜。待たせちゃった?」
「いや。僕もさっき着いたよ。ねぇ光里? どうしたのその格好」
「え? 変かな?」
「いや、いつもより似合ってるよ。いつも変なやつしか着てないから余計に」
「なんだか複雑なんだけど! この前奏多に色々言われたから、つゆちゃんに選んでもらったの!」
なるほど。光里が選んだ物のじゃ無いならこのセンスの良さにも納得がいく。
光里や光里のお母さんは、洋服のセンスだけは壊滅的だから制服やスーツ姿じゃ無い時は、大概どちらも変な服を着ている。
2ヶ月くらい前に光里の家に遊びに行った時なんて、真ん中にかわいらしいクマが印刷されている服をペアルックで着てたし。
服のセンス以外は光里のお母さんもしっかりしてるんだけどなぁ......。
今度から光里の服は全部音無さんに選んで欲しいくらいだ。
「うわ〜なにそれ! ちょっと酷くない!?」
「いつもの光里の服装の方が酷いと思うよ……。去年の夏、3人で遊びに行った時なんて周りの視線すごかったでしょ?」
「あ〜あれは私も失敗したな〜って。でもでも! 今日は似合ってるんでしょ!?」
「うん。凄い似合ってるよ」
そう言った瞬間、凄く嬉しそうに笑った光里は僕の手を引いて公園を出た。
合流する前まではあれこれ考えていたのに、いざ本人を目の前にすると意外となんとかなった。
いたっていつも通りの光里を見ていると、あれこれ考えても仕方ないって気持ちになって来る。
ちなみに去年の夏に光里が着ていて大変なことになった服については、思い出したくないので触れない方向で。
「そういえば光里。今日は映画が終わったらどこに行くの?」
公園から出てすぐの信号を待っている間、僕は気になっていたことを聞くことにした。
どうせ映画館までは徒歩で10分か15分はかかる。その間にこの件は聞いておきたい。
僕だって光里と同じで、映画は楽しみにしてるから。その後のことが気になって映画に集中出来ないなんてゴメンだ。
「ん? ああ〜実はあの時なにも考えてなくてさ〜! とりあえず秘密って言っとこって思ってさ!」
「なんだそれ。色々考えた僕の時間を返して欲しいよ……」
「そんなに気になってたの?」
「そりゃ気になるよ。『今回は私の行きたいところに付き合って!』とか言ってたから、どこに連れていかれるのかなって」
光里と今日のことを決める時、僕は別に2人で出かけたかっただけで、特に行きたい場所があるわけじゃ無かった。それもあって、行き先は全部光里に任せたんだ。
ネットで調べたところ、少し遠くはなるけど、リアル脱出ゲームとかも明日まで開催しているらしかった。
光里も行きたい場所が無いんだったらそこを提案しようかなって思ってたんだけど......。
「ふ〜ん。そんなに今日楽しみだったんだ〜!」
「なんだよその目は……」
「いや〜? 私とのお出かけをそんなに楽しみにしてくれてたなんてね〜?」
ニヤついた光里は、笑いながら僕に挑発するような目を向けてきた。
なんか、光里のこの顔は調子に乗ってる時にしか見せないような顔だから、少しだけムカッとする。
「実はね? ネットで見つけたんだけど、リアル脱出ゲームがここら辺でやってるらしいのね? そこに行ってみたかったんだけど......」
「あ、それは僕も知ってる。でも往復1時間くらいかかるよね?」
「そうなんだよね〜! だから諦めて、ハルには色々やって貰おうかなって!」
光里がこう言う時は、本当に僕が色々やらされることになるのは経験から分かっていた。
しかも、今日の光里は凄くテンションが高いから本当になにをさせられるのか全く分からないのが怖い。
ちょうど信号が赤から青に変わって歩き出した僕らは、光里が僕の少し前を歩く形で映画館まで向かっていた。
すると、急に光里が僕の方を振り返って、今日一番の笑顔で「今日はよろしくね!」と言ってきた。
僕は歩くスピードを上げて光里の真横を歩きながら、不満を隠そうともせずにこう言った。
「なんだか凄く嫌な予感がするには気のせいかな?」
「気のせいなんじゃ無い?」
「はぁ。ほどほどに頼むよ」
「分かった!」
絶対に分かってない笑顔でそう言った光里は、楽しそうに鼻歌を歌い始めた。
今日は休日だから、歩道にはそれなりの人がいる。
道行く人が僕達を変な目で見て来るから、はしゃぐのはやめて欲しいんだけど……。
なんとか落ち着いてもらうために、僕は奏多からの課題を消化しに行くことに決めた。
もちろん光里が僕のことをどう思ってるかなんて探る勇気はない。消化するのはもう一個の方だ。
結構僕にとってもハードルは高いんだけど、横で鼻歌を歌われながらはしゃがれるよりはマシだ。
「ねぇ光里。ちょっと聞きたいことがあるんだけど良いかな?」
「ん〜? なに?」
「いや、最近奏多ともよく話すんだけどさ、あの転入生のことだよ」
奏多が聞いてこいと言っていたことの1つに、転入生のことをどう思っているのかって言うのがあった。
僕もそれは気になっていたから、光里がはしゃいで妙な目で見られるくらいなら、この話題を消化しようと思ったんだ。
最近、僕は奏多と今日のことについてあれこれ考える時間が多かったせいで、転入生のあの人がどう言う行動を起こしているのかは知らない。
奏多にはそこまで言われていないけど、できればその辺りのことも聞きたい。
「ん〜。別になんともだよ? 言ったじゃん! 私はああ言う人苦手だって」
「そうだっけ? じゃあなにか話したりとかも無いの?」
「ん? なんか変なこと聞くね? 私は学校だとそもそも男子とはあんまり話さないからね〜。あ、でも一回だけ話しかけられたかな?」
「そうなの? なに話したの?」
「ん〜。つゆちゃんと話してた時に『好きな人いる?』って聞かれた! 急だったから凄いびっくりしたんだよね〜」
待って? いきなり喋ったことがない女子に対して「好きな人いる?」はちょっと考えられないんだけど。
本当に意味がわからない。なにがしたいんだろうあの人……。
「それで? なんて答えたの?」
「それはね〜? 秘密!」
「……。だからそれ忘れてって言ってるよね!?」
そう言うと、光里は心底面白そうに笑った。僕は恥ずかしくて死にそうになっていたけど。
あれは今や僕の黒歴史になってるんだから即刻忘れて欲しい。
なんであの時の僕は、こんなバカなことをしてしまったのか。
だけどこれはちょうど良い。光里の好きな人が誰なのか分かれば、どのみち奏多からの課題を全てクリアすることに繋がる。
「ふざけないで教えてよ。なんて答えたの?」
「別に〜? 逆に、初めて話す人なのに好きな人なんか教えると思う?」
「まぁ普通なら教えないね。っていうか、初対面でそんなこと聞かれたら結構怖いんだけど」
「うん。そうだよね〜。私ももちろん教えなかったよ? もちろんハルにも内緒ね!」
「そう。でも好きな人はいるんだ」
「そりゃ〜? こう見えても高2の女の子ですから!」
ドヤ顔をしながら無い胸を張る光里は、小学生か中学生くらいにしか見えなかった。
僕が身長170ちょっとに対して、光里は156とかだった気がする。
その身長差もいい感じに働いて、どう見ても中学生の女の子にしか見えない。
「小さく無いし! 女子だと平均だから!」
「去年クラスで一番小さいとか言って愚痴ってたよね? あれは僕の記憶違いかな?」
「知りません〜! それに、小さい方が女の子は可愛いんだから!」
「自分で小さいって言っちゃってるじゃん……」
そう言うと、光里は混乱したように頭を抱えた。
なにやってるんだ光里は……。恥ずかしいから道の真ん中で蹲らないで欲しいんだけど。
「じゃあ聞くけど! ハルは小さい女の子と身長が高い女の子のどっちが良いの!?」
「いや、なんでそこで僕の好みの話になるの……?」
「良いから! 私の好きな人聞いたんだからハルの好きなタイプくらい聞いても良いでしょ!?」
「僕、光里の好きな人が誰なのか知らないんだけど……」
「良いから答えて〜!」
呆れながらも正直に小さい方が好きだと答えると、光里はまたもドヤ顔をしながら、両手でピースを作った。
別に目の前の人が背が低い方だから小さい方が好きって答えただけなんだけど。光里以外の女の子には興味ないし。
奏多のお姉さんに関しては、向こうが一方的に僕に干渉してくるってだけで。
「あ、着いたよ!」
そんなこんなで映画館に着く頃には、僕は光里の妙に高いテンションと、休日の人の多さで少し疲れていた。
ただ、ここからは僕も楽しみにしていた映画なんだし思いっきり楽しまないと損するだけだ。
気持ちを切り替えていこう。そう前向きに考えて僕は映画館の中に足を踏み入れた。




