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第三幕1場 『もし王立学院の悪役令嬢がジョナーリの「観光客の視線」を読んだら』

 もやもやしているところに、サラが様子を見に来た。

 来月で仕事を辞めて故郷に帰るので、こちらにうかがうのも最後ですと言う。


 思えば、サラには世話になった。

 子供の頃、流感にかかってしまい、お母様にも乳母にも感染させて寝込ませてしまった私を、最後まで看病してくれたのはサラだった。

 家から出た後に一人で生活できるよう色々教えてくれたのもサラ。

 それからも、ジーヴスと代わる代わる、私の様子を見に来てくれている。

 

 ふと、風光明媚で名高い湖水地方を旅行してみたいと、サラが昔言っていたのを思い出した。

 帝都からサラの故郷に行くには、遠回りになるけれど、逆方向ではない。


 費用は私が持つから、一緒に行かないかと誘った。

 サラは喜んでくれつつ、色々理由をつけて辞退しようとしたけれど、そこはゴリ押しで説得する。

 でも、帰りは私一人の旅になってしまうのでそれはどうかという話になり、紆余曲折の末、弁護士のフィリップス先生が、ちょうど休暇を取ってお母様と旅行をする予定だったとのことで、途中で合流して私を連れて帰ってくださることになった。


 初めての女二人旅は、脱線しまくりの珍道中で本当に楽しかった。


 ある夜、寝床に入り、灯を消してから、ふと「お父様はご壮健なのかしら」と呟いてしまった。

 家を出てから、侯爵家の様子を訊いたことはない。

 要所要所で助けてもらってはいるけれど、それは家名をこれ以上汚さないため。

 もう家族と考えてはならない人たちだと思っていたからだ。


 月明かりが差し込んでいるけれど、互いの表情はほとんど見えない。


 少し沈黙があって、サラは「ご壮健でいらっしゃいます」と答えた。


「……お兄様は?」


「アンジェリカ様とご結婚され、お子様がお二人いらっしゃいます。

 上がお嬢様、下が坊ちゃまで、お二人とも可愛らしい盛りで」


 予定通り、婚約者と結婚したのだ。

 良かった。

 知らないうちに叔母になっていたのね。


「……ルーシアは?」


「カヴリアーギ伯爵家の三男、ジュリアーノ様とご結婚されました」


「カヴリアーギの三男ですって!?」


 ファブリーツィオ侯爵家からすると、ただ一人残った娘を嫁がせるのには、格下の相手だ。

 私のせい?と肝が冷える。

 婚約者が決まっていなかった妹は、一番私のスキャンダルの影響を受けやすい立場にあった。


「お二人は学院で出会って熱烈な恋に落ち、両家を説得したのです。

 ジュリアーノ様は財務省に出仕され、ルーシア様は大層お幸せなご様子です」


「よかった……

 ずっと、心にかかっていたけれど、なかなか訊けなくて」


 ほっとしてため息をつくと、サラは「お訊ねくださって、ようございました」と呟いた。





 そんな、しんみりした夜も挟んで湖水地方をめぐり、サラの故郷まで来たところで、驚いたことがあった。

 

 滔々と流れる川の向こう、切り立った崖いっぱいに藤の花が咲いている!

 甘い、優しい香りがほのかに流れてきて、心が浮き立つよう。

 それがどこまでも続いているのだ。


「本当に素敵だわ。

 たくさんの人が見に来るのでしょうね」


「まさか。なにもない田舎ですもの」


「なにを言っているの。

 あるじゃない、この素晴らしい眺めが」


 それでもサラはピンとこない様子だった。

 宿で訊ねても、昔からあるものだからみんな慣れていて、わざわざ見に来る価値があるものだと誰も思っていないのだ。


 無事、サラを送り届けて餞別を渡し、フィリップス先生と先生のお母様に合流した。

 結婚前までは女学校の先生をしていたというお母様は、気さくでとても話しやすい方。

 幅広い話題で話がはずんだ。


 ふと、藤の崖のことをお話した。

 先生は、近年、富裕な平民が増えてきたこともあって、観光が産業として注目されているのだけれど、色々難しいところもあるのだと教えてくださった。

 お母様は、最近話題の観光地や、一時期テコ入れしていたけれど火がつかなくて聞かなくなった観光地についてお話してくださった。

 3人で帝都に戻りながら、どういう条件が揃えば成功し、なにが足りなければ失敗してしまうのか議論するうちにまたもやもやと新作がうごめきはじめてきた。



 帝都に戻ってから、ルーハンさんにお願いしてリサーチャーを頼み、近年の観光産業やその問題について、特に最近注目され始めた新興観光地がどうやって発展したかを詳しく調べてもらった。

 あわせて、そもそも観光とはなんなのか、どういう経緯で発展してきたのかも自分で調べる。


 次の作品は、妙な結果になった。


 主人公はいわゆる「悪役令嬢」。

 子供の頃に一人っ子の王子と婚約し、立派な王妃となるべく努力を続けていた公爵令嬢が、王子が男爵令嬢と恋に落ちたことから舞踏会で婚約破棄され、思わず抗議してしまったことから辺境に追放されてしまう。

 追放された地で、いままで見過ごされていた渓谷の美しさに気づき、観光地として整備して辺境の地を豊かにしようと奮闘しているうちに、渓谷を描きに来た風景画家(優男系の美形)や隣国から来た商人(に偽装した隣国の王子・ワイルドな美形)、開発を巡って衝突する間柄になる政府の役人(眼鏡・クールな美形)などと知り合い、結局令嬢をずっと支えてくれた若い執事(実は腹黒な美形)の手を取るという話だ。


 8作目『もし王立学院の悪役令嬢がジョナーリの「観光客の視線」を読んだら』は、少女小説のコーナーにも経済書のコーナーにも並び、『乙女座』を大当たりとすると、中当たりくらいには売れた。

 『観光客の視線』というのは、評論家のジョナーリが「観光」という行為の誕生と社会の変化を結びつけて論じた研究書で、難解だけど観光論ではほぼ必ず言及される本だ。

 ヒロインはジョナーリの考えを咀嚼しながら観光業について学び、実践していくので、期せずして『観光客の視線』の解説本としても読める本になった。


 購入者は6割が男性。

 今までの少女小説とは違う読者層にアピールできたということになる。


 となると、例によって類書が続々と出版された。


 悪役令嬢が会計学を学んで領地経営を改善し、隣の領主と恋に落ちるという作品あたりまでは良かったのだけれど、造船術を学んで新たな大陸を発見し(略)、戦術論を学んで世界を征服し(略)という作品がそこそこ売れ、哲学を学んで世界の究極の智に至り、神になって(略)といった作品まで出るうちに、「悪役令嬢」は難しい専門知識をわかりやすく解説してくれるお約束のキャラクターになってしまった。


 ある日、気がついたら書店に「『もし悪役令嬢が(もし悪)』コーナー」ができていた。

 商法から考古学、獣医学から土木工学まで、なんでも追放された悪役令嬢が教えてくれる。

 

 便利だ。とっても便利だ。


 私が『もし悪』で書きたかったのは、たとえ断罪されても人生は続くし、楽しいことだってあるのだということだったのだけれど、細かいことはもう気にしなくていいのかもしれない。

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