第二幕3場 『乙女座の淡き星影』
数日、ぼんやりと過ごした。
公園を散歩したり、カフェで休憩していても、頭の中は新作がもやもやうごめいている。
「本気の作品」としてなにを書くべきなのかはまだわからないけれど、もし「リアルな作品」──貴族学院を舞台にした恋の物語を書くなら、ヒロインはクラウディア様だ。
ヒロインが貴族学院に入学し、貴公子と出会って恋に落ちる。
でも、貴公子には婚約者がいて、嫌がらせを受けた上に厭な噂を流され、貴公子にも誤解を受けて一度疎遠になってしまう。
けれど、ひょんなことで誤解が解け、二人は手を取り合い、恋を成就させる?
でも婚約者はどう出るかしら。
2人の恋を認める?どうして?
いやここは、恋の成就の前に婚約者が改心し、誤解を解いて身を退くのがよい。
改心のきっかけは……誰も婚約者を助けてくれない時に、ヒロインが助けてくれるエピソード。
なにかの発表会での失敗?魔力暴走?
魔力暴走がいいわ。
下手をしたらヒロインも巻き込まれて死んでしまうかもしれないのに、自分をいじめた人でも助けてしまう。
ヒロインはそういう子。
クラウディア様をそのままヒロインとして描写したら、分かる人にはわかってしまうので、変えなければならない。
特徴となる要素、①地方の領から出てきた下位貴族の令嬢②上位貴族の令嬢にいじめを受けても凛とした対応ができる強い性格③男性を魅了する容姿の、①②は残して、容姿を変えよう。
行きつけのカフェのウエイトレスのローズのようなイメージが、良いかもしれない。
ローズは、ピンクブロンドの髪を2つに分け、耳の上でふわふわのお団子にした子で、弾けるような笑顔が愛らしい。
私もそうだけど、常連はみんな彼女が大好きだ。
性格や喋り方も少し変えよう。
庶民風の生き生きした感じがいい。
明るくて活発な、でも芯が強い女の子。
学院の生徒達にとっては一種の異邦人で、帝都の貴族社会の常識にとらわれない行動が波乱を巻き起こす。
この際、①も変えて、魔力があることがわかって領主の養女になった平民の子にしてしまおうか。
これなら平民の読者も感情移入しやすいはずだ。
貴公子はどうしよう。
容貌も能力も悪くはないけれど、私と同じく優柔不断で臆病だったフランシス様は全然参考にならない。
明るく強いヒロインにふさわしい、素敵な王子様でないと。
架空の王国を設定して、ほんとに王子にした方が良いかもしれない。
王太子にするか、王太子ではない王子にするか……
王太子の方が、婚約者が必死になる理由が強くなる。
でもそうすると、平民のヒロインが王太子妃になるにはよほどの理由が必要だ。
魔法が使えるだけじゃ足りない。
めったに使える者がいない、光魔法を使えることにしようかしら。
王太子は、美しく強くとても優秀な少年。
でも王太子の立場に疲れているところがあって、心の奥に虚しさを抱えている。
ヒロインは、苦しんでいる人を見たらつい手を差し伸べてしまう優しい子。
王太子の身分を知らないまま知り合って好きになり、生まれ持ったものではなく、彼の努力を評価する。
婚約者は王妃になるために厳しく育てられた少女で、王太子と結婚できなければ自分そのものが否定されてしまうと感じている。
王太子に執着しているけれど、彼自身を見て、愛する余裕なんてない。
どれだけ頑張っても認められないかもしれない、その不安がヒロインへの攻撃に向かってしまう。
この3人だけだと結局は善良な人ばかりなので、婚約者の取り巻きに、わざとヒロインとの対立を煽る令嬢を足した。
最後に悪事がバレて、社交界を追放される。
ベースになったのはコンチェッタ。
彼女、私がわざとクラウディア様にワインをかけたように大声で責めたけれど、私が後ろから突き飛ばされたことは見ているはずなのよね……
もちろん、名前も容姿も身分も喋り方も変えたけれど、いつもきっちり巻いていた縦ロールだけは特徴として残させてもらった。
6作目、『乙女座の淡き星影』の脱稿は早かった。
書く手が追いつかないほど言葉が湧き出し、ヒロインや王太子が自由に私の中で動き回る。
婚約者がヒロインに謝罪する場面は、ぼろぼろ泣きながら書いた。
侯爵家から出て、別の人間として暮らしている私は、今更クラウディア様に謝ることもできない。
その代わりというわけではないけれど、婚約者は自分が悪いことをしたと認め、ヒロインに謝る。
ヒロインは婚約者を受け入れてくれて、なぜかほっとした。
『乙女座の淡き星影』は売れた。
びっくりするほど売れた。
手応えを感じたゲンスフライシュ商会は本腰を入れて宣伝を始め、ヒロインと王太子がよりそう姿に、婚約者が身を退く時の「わたくしの愛は偽りの愛、あなたの愛こそ真実の愛なのですわ」というセリフを大きく入れたポスターが、書店だけでなく街の目立つところに何枚も張り出されて面映ゆかった。
ルーハンさんは調子に乗って、表紙カバーの絵を変え、ヒロイン版、王太子版、婚約者版の3種にした。
またどーんと書店に平積みになった。
最初から3種をセットにしたものも売れたそうだ。
本当にありがたいことだけれど、中身はまったく同じ本なのに、なぜそんなものを買ってくださるのかよくわからない。
舞台化したいという話まで来た。
すぐに各国を巡業したいという話になり、翻訳本を出したい、歌劇にしたいという話が来て、権利の管理が複雑になりそうだったので、ジーヴスに信頼できる弁護士を紹介してもらって契約した。
フィリップス先生という方で、著作権の管理に詳しい若手の弁護士だ。
侯爵家との関係も打ち明けて、代理人として動いていただくことになった。
思いがけぬお金が入ったけれど、たまたま宝くじを当てたようなものだから、暮らしぶりは極力変えなかった。
引き続き校閲の仕事もしながら、貴族学院を舞台にした作品を書く。
でも、半年ほど経つと困ったことになった。
『乙女座の淡き星影』に似た作品が続々と出版され、まとめて「真実の愛」物と呼ばれるようになったのだけれど、「婚約者」の断罪に力を入れた作品が出てきたのだ。
「婚約者」は「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、公の場での婚約破棄から追放、投獄、はては娼館送りに、拷問の果ての死刑まで酷い目に遭うのだ。
しかも、過激なものほど売れ行きが良いらしい。
私も書いてみてはどうかと言われ、いくつか読んでみたけれど「断罪物」は好きになれないし、書けないと思った。
私は断罪された側でもあるけれど、クラウディア様を断罪しようといじめてしまった側でもある。
人は弱いし、過ちを犯しやすい。
断罪物が売れるということは、それを読みたがる人がいるということなのだから、否定する気はない。
でも、わざわざ、人の黒いところを煽るような作品は、私は書きたくないと思ってしまう。
「悪役令嬢」のベースはもともと私自身なのだし、憂さ晴らしの藁人形のようになってしまった流れは少々辛かった。
試しに、コメディタッチで、ヒロインと「悪役令嬢」が王子をめぐって切磋琢磨し、最後には2人が意気投合してヒロインは王子と、「悪役令嬢」は弟王子と結婚する『二人の令嬢』を書いてみた。
それなりに好評ではあったけれど、こんな作品でももっと「悪役令嬢」が酷い目に遭うところが見たいという感想がいくつも来てがっかりした。
ルーハンは、バージョン違い商法を編み出した!




