第二幕2場 「私の本気の作品」
転機は、エリゼとなって5年、はじめて本を書いて2年目の夏に来た。
ルーハンさんとの打ち合わせで応接室で待っていると、栗色の髪をおさげにした、眼鏡をかけた小さな女の子がひょこっとやってきた。
私を見つけて、ブラッドリー先生でしょうか?と首を傾げる。
頷くと、ちょこんとカーテシーをした。
「当商会会長、フリーレ・ゲンスフライシュが娘、ヨハンナと申します。
ブラッドリー先生の作品はすべて拝読しておりますのです」
少女小説とはいえ、こんな小さな子が読んでいるの?とびっくりした。
思わずそう言うと、「こう見えて11歳なのです」と眼鏡をくいっとしながら口を尖らされた。
あらあら、失礼しました。
「わたくし先生の作品は大大大好きなのですが、端的に申し上げて、先生は本気の作品をまだお書きになっておられません。
もっとリアルな作品、人の苦しみや悲しみ、喜びや憧れが全力で籠められた先生の作品を読みたく……みぎゃあああああ!」
そこでルーハンさんが現れ、彼女の首根っこを掴み「ヨハンナお嬢様!こっちに来ちゃ駄目ですってば!」と半分ぶら下げるように雑に連れていった。
確かに、私は職人感覚で流行りにあわせて書いているところがある。
そうではない作品を読みたいと、ヨハンナちゃんは思ってくれているということ?
ルーハンさんはヨハンナちゃんを誰かに引き渡したのか、少しして戻ってきた。
「やれやれ失礼しました。
本を読むのがとにかく好きな子で、先生方を掴まえて感想を言ったりするのですが、たまに先生の心をぽっきり折ることがあって……
先生は大丈夫でしたか?」
「大丈夫です。
大変な宿題をいただいた気はしますけれど」
笑いながら言うと、ルーハンさんはほっとした顔になった。
「本気の作品」「リアルな作品」とはなんだろうと考えながら家に帰った。
ふと思い出して、引っ越しの時に箱に詰めたままだった、昔の日記を出して並べてみた。
手癖で書くのではなく、人の心のありようと向きあって書くのなら、私自身の過去を捉えなおさなければならないだろう。
ぱらぱらと学院入学前から入学後の日記を繰り、あまり思い出したくない3年生の時の日記を開いた。
クラウディア様とのいざこざが起きた年だ。
日記にクラウディア様が初めて出てくるのは3年の5月のこと。
1年生に派手なブルネットの子がいて、男子生徒にしなだれかかるような真似をしているらしいという噂があると書いている。
そして中旬、学院の近くの街に、男子数名とクラウディア様で遊びに行ったのがきっかけで、誰彼かまわず粉をかけていると噂が立った。
一緒に街にいった男子生徒の中に、私の婚約者のフランシス様もいた。
どういう経緯でそんなことになったのか、私は訊いていないし、あちらもおっしゃらなかったのでわからない。
噂を聞いて数日後、彼女と街に一緒に遊びに行った男子生徒の婚約者に相談を受けた。
私達がしっかり彼女を監視しなければという話になり、クラウディア様をお見かけしたら、その様子を情報交換するようになった。
私は学年も違うし、避けようと思えば避けられるのに、わざわざ彼女を見に行って、男子生徒と喋っていればやっぱり浮ついた方だとと憤り、お一人でいらっしゃればお友達もいない方と蔑み、女子生徒と喋っていれば自分の行いを誤魔化そうとしているのだと警戒している。
毎日毎日そんな記述が続く。
我が事ながら気味が悪いほどの執着で、読み返すだけで胃がきりきり痛くなってきた。
フランシス様とは形式的なつきあいしかしていなかった。
どうしてこんなにクラウディア様を憎んでいたのか、今となっては全然理解できない。
「婚約者に粉をかけられた」者同士で「情報交換」を重ねるうちに、どんどんクラウディア様が許せないという気持ちが強くなってしまった、としか言いようがない。
大好きなお母様が亡くなられた半年後くらいのことで、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚がまだ残っていた私は、なんでもいいから誰かに頼られたかったのかもしれない。
そのうち、監視だけでは収まらなくなった。
クラウディア様がお一人でいらっしゃるタイミングを選び、彼女を苦々しく思うコンチェッタや他の女子生徒5、6人と押しかけて、罵詈雑言を浴びせるという、令嬢にあるまじきことを2度もしている。
1年生の男爵令嬢一人に、上位貴族令嬢の上級生が何人も押しかけてくるのだ。
私だったら泣いて家に逃げ帰るところだけれど、クラウディア様は「お友達と出かけてなにが悪いのですか」と毅然と立ち向かわれた。
2回目は、逆上して、クラウディア様を突き飛ばした人までいた。
でも6月のなかばに、クラウディア様への嫌がらせ──そう、これは嫌がらせでありいじめだ──は収束した。
まず、従姉妹のエマから、「最近の私の言動が危惧されている」と言われた。
これが警告だとわかっていなかった私は、「別に間違ったことはしていない」と突っぱねてしまった。
その翌週、シャルロッテ皇女殿下のお茶会に呼ばれ、「クラウディア様の件で、私が評判を落としていることを心配している」と直接お叱りを受けてしまった。
殿下のお心を煩わせるなど、あってはならないこと。
次は私にではなく、侯爵家への「注意」になると震え上がった。
以降、クラウディア様は、日記には出てこない。
お茶会の後、クラウディア様については一切耳に入れないでほしいと周りに宣言した。
それでもコンチェッタが色々言ってきたこともあったけれど、「聞きたくない」と拒絶して逃げたのでそれ以上のことはわからない。
日記には書いていないけれど、そうやって情報を遮断してしまうと、一週間も経たずに憑き物が落ちたようにクラウディア様のことが気にならなくなり、自分でも驚いたことを覚えている。
侯爵令嬢である私は、反クラウディア様派の旗頭のようになってしまっていたから、私が動かなくなったことで、少なくとも直接的な行動はなくなったはずだ。
そして秋季はなにごともなく過ぎ、学院舞踏会でクラウディア様が私達のところにいらして──あの顛末に至る。
家ではなにも言われなかったけれど、エマから叔母様経由で話は伝わっていただろう。
お父様やルーシアが、私を信じてくれなかったのも当たり前だ。
目を背けていた自分の醜さをほじくり返すような作業に疲れて果て、この日は早めに寝床に入ったけれど、悶々としてちっとも寝付けなかった。




