第二幕1場 『目が覚めたら伯爵令嬢になっていた時に読む本』
でも、何冊か校閲の仕事をするうちに、間違いではないのだけれどひっかかるところが増えてきた。
よくわからないところを、ごまかして書いているように見えるところがあるのだ。
編集のルーハンさんにお訊ねしたら、少女小説を書いているのは作家志望の男性が多く、貴族女性の生活の実際がわからないまま、手探りに書いていることも珍しくないそうだ。
それでは自由に創作しにくいだろう。
だから、定番の展開から踏み出さない作品が多いのだと納得した。
仕事の合間を縫って、昔を思い出しながら貴族の女性の暮らしぶりに関するメモを作ってみた。
令嬢の朝の身支度から、家族と挨拶して朝食を摂り、母親と刺繍を楽しみ、家を出る支度をして友人同士の茶会に出かけ、帰宅して着替えて夕食を摂り、湯浴みをして眠るまでと、よくある一日を順を追って説明したものだ。
チェックが済んだ原稿を戻す時、作家の方々のご参考になればとお渡しして家に帰ったら、メッセンジャー・ボーイが先回りして待っていて、「申し訳ないけど、もう一度来てください」という伝言を渡された。
慌てて戻ると、編集のルーハンさんが本部の玄関前で待っていらした。
すぐに応接室に通される。
「これいいですよ。面白い!
改稿して出版しましょう!」
……はい?
「でも、こんなもの、どんな方が読むのですか?」
少女小説の書き手なら参考にしていただけると思うけれど、貴族には当たり前の話だし、平民には縁のない話だ。
「これから屋敷勤めに上がる人、貴族との付き合いが増えそうな人、なによりも貴族の暮らしに憧れている人が見込めます」
「マナー本はもうたくさん出ているじゃないですか」
書店に行くと、一角に必ずマナー本コーナーがあるくらいだ。
「あのへんの本のほとんどはマナー教師が箔付けのために自費出版したもので、正直説教がましいんですよ。
マルファッティさんのメモは具体的な上、文章そのものが明るい。
単純に読み物としていけます!」
作文の授業で一度も褒められたことがないのに!?
本当に私の文章が本になるのかしらと半信半疑だったけれど、とりあえず、全体のページ数(なるべく少なめでお願いした)、盛り込むべき要素を絞って、章立てを決めてしまう。
最初のメモの、朝起きてから夜寝るまでという流れは踏襲して、友人とのお茶会編、婚約者宅への訪問編、舞踏会編と3日分作ることになった。
「仮でよいのですが、タイトルがあった方がいいですね。
なにかありますか?」
ルーハンさんは、自分で『レディ・○○のある一日』とか、『素敵な令嬢日記』とかどんどん案を書きながら訊いてきた。
一般的なマナー本や小説と間違えられそうなタイトルは避けたい。
中身は全然違うのだから。
「もし、目が覚めたら令嬢になっていたらこうしましょう……みたいなタイトルはいかがでしょう」
「……はい?」
「もし、ある朝ルーハンさんが目が覚めたら令嬢になってしまっていても、この本を読んでいたら3日分はごまかせます。
そういう本だと思うので……」
自分でもなにを言っているのかわからなくなって、尻すぼみになってしまった。
「ええええと?」
ルーハンさんは30歳くらいのがっしりした男性だ。
自分が令嬢になる?というのがなかなか飲み込めなかったようで、ようやく腑に落ちると「マルファッティさん、わりと天然ですか?」と笑われた。
企画は一発で通った。
校閲をするのと、著者として書くのは全然違う作業で、本当に難航したけれど、私がエリゼ・マルファッティとなって3年目、『目が覚めたら伯爵令嬢になっていた時に読む本』を「とある令嬢」という名義で出版することができた。
サラが久しぶりに様子を見に来てくれた時に渡したら、「お嬢様が本をお書きになったのですか!?」と腰を抜かさんばかりにびっくりされて、笑ってしまった。
『目が覚めたら伯爵令嬢になっていた時に読む本』は、そこそこ売れた。
引き続き校閲をしながら、小説を自分でも書いてみないかと言っていただいた。
お母様が好きだった花、お父様が好きな詩人を組み合わせて筆名をアイリス・ブラッドリーと決めた。
まず書いたのは、領が隣同士の幼馴染の貴族の男女の恋物語。
次に男性に不器用な女騎士が警備の都合でドレスを着て舞踏会に出たら、王子様に見初められる話。
5作目、馬車の事故で記憶喪失になった貴公子を介抱した田舎貴族の娘が、紆余曲折あって貴公子と結ばれる話で初めて2刷まで行った。
本は出る度に、サラに託したり、ジーヴス宛に送ったけれど、侯爵家から特に反応はなかった。