第一幕2場 「ペチコートはクリノリンの下に穿くものではありません」
印刷所と縁ができて1年ほど経ったある日、仕事を貰いにいったら、所長室に呼ばれた。
最初の面接の時に少し話した、まだ若い所長が机に座って書類を広げている。
「マルファッティさんは、郷士の娘だよね。
貴族の礼儀作法や社交のやり方は、どれくらいわかる?」
「……一通りのことはわかっていると思います」
どういう話かわからなくて、曖昧に答えた。
「うちの出版部で、貴族の世界を舞台にした小説の校閲ができる人を探しているんだけど、どうかな?」
「……どういうことでしょう?」
校正ならわかるけれど、校閲という言葉がよくわからなくて首を傾げた。
「貴族社会を舞台にした小説で、登場人物の行動や言葉遣いがおかしくないか、チェックできる人を探してるんだ」
なるほど。
学院時代、おかしな描写をしている小説を誰かが見つけて、皆で笑ったことを思い出した。
「それならできると思います。
母は、貴族の家で侍女をしていたことがありますし。
男性同士の社交はわかりませんけれど」
お母様は結婚前、皇女殿下の侍女をしていたから、まるっきり嘘ではない。
「やっぱりね。字だけじゃなく立ち居振る舞いが綺麗だから、どこかで習ったんだろうと思ってたんだ。
じゃあ、とりあえずテストを受けに行ってみてくれるかな。
これからでも大丈夫?」
頷くと、ゲンスフライシュ商会の本部の住所と担当者の名前を書いたメモを渡された。
さっそく行ってみた。
商会の本部は、銀行の本店や高級店が立ち並ぶ地区にある。
貴族と思われる人もたくさん行き交っていたので、なるべく人目につかないように眼を伏せて足早に歩く。
大通りから一本入ったところにある、古びた大きな建物が本部だった。
受付に申し出ると、すぐに通され、1ページ分の文章をその場でチェックするよう言われる。
ペチコートをクリノリンの下に穿いているし、令嬢が街の広場で知らない男性に自分から声をかけて愛称を名乗るし、王女が伯爵令嬢にカーテシーをするだなんて!
めちゃくちゃすぎて、くすくす笑いながら、おかしなところに赤線を引き、どう修正すればよいのか全部書きだした。
最初のテストは合格。
校閲で使われる記号をまとめたマニュアルと、次のテストの課題の原稿を1章分受け取る。
印刷所の仕事と比べると報酬はかなり良いので、辞書を何冊か買い足して取り組んだ。
2回目のテストも合格した。
さっそく一冊目の依頼があり、月に1度ほど、貴族の少女を主人公にした少女小説や、歴史小説などの仕事が入るようになった。
食費を切り詰めなくても暮らせるようになり、少しずつ貯金もできるようになった。