ある日の私の独白
暗いまま始まって暗いまま終わります。
救いはないです。
繰り返しはこれで何回目なのだろう。
何回繰り返せば終わるのだろう。
殿下の婚約者に選ばれたのは五歳の時だった。
はちみつ色のこっくりとした柔らかそうな金の髪に深い湖の底を思わせる碧の瞳。おとぎ話に出てくるような王子様然とした、優しげな風貌に一目ぼれした。ままごとのような殿下との逢瀬を、大人たちは微笑ましげに見守っていた。殿下は紳士的で、たった二歳しか違わないのに私からは随分と大人に見えた。
いつ頃からか魔物が少なくなった、作物が良く育つようになった、と人々の口に登りだした。殿下の婚約者になってから十年が経った頃、「数百年ぶりに聖女の刻印を持つ少女が現れ、神殿にて保護した」と発表された。
やがて聖女さまは学院に通うようになった。平民だったその少女は小柄……というより小さくて華奢で年齢よりずいぶん幼く見えた。幼女のような容姿に誰もが貧しくて満足に食べられなかったか、虐待でも受けていたのだろうと囁き合った。
殿下は聖女さまにつきっきりになり、私を顧みてくれることはなくなった。「聖女がいるだけでその国は潤う」それは理解している。でも、私は殿下の婚約者で王妃教育も受けている。婚約者以外の女性と二人きりでいるなど、醜聞になるのだから私も聖女さまといるときは同席させてほしいと言っても聞いて貰えなかった。いくら護衛や侍従がいるから二人きりではないと言っても、彼らはいないものとして扱われるのだから。
その言葉が私を窮地に追い込んだ。まさか、聖女さまともあろう方が私に襲われたなどと虚偽の報告をするとは思いもしなかったから。階段から突き落とされたり、学院の中庭にある噴水に向かって突き飛ばされたりしたと。怪我を負ったのだと、命の危険を感じたのだと、生徒で賑わう昼時の食堂で涙ながらに語りだした。
私は常に王家の用意した護衛と一緒にいたから、彼らも私はやっていないと証言してくれた。聖女さまの言っている時間には王城で王妃教育を受けており学院にはいなかったと、自分の日報を見てくれれば証明できると細かく証言してくれた。
それなのに…王家に忠誠を誓う騎士の言葉も聞き入れられず、私は人として、女性としての尊厳を散らされ処刑された。
それが一回目だ。
二回目に気付いた時、覚えている限りの聖女さまの振る舞いを真似た。殿下の好みが彼女なら、私が彼女のようになれれば、優しかった殿下が戻ってきてくれると思ったから。
でもダメだった。やはり彼女が現れたら殿下は私を見てくれることはなくなった。一回目よりも二回目の方が、民の聖女さまを求める声が大きかったように思う。
元々、私は彼女に危害など加えていない。何もしていないのだ。殿下は私が聖女さまに近づくことを嫌がったし、一回目には気づかなかったが聖女さまには護衛と侍女が付いていて、一人になることはなかったから。
一回目同様、聖女さまに何もしなかったけれど私に待っていたのは……断罪だった。一回目よりも罪が増えていることを疑問に思った。いくら侯爵令嬢とはいえ、領地から出もしない鉄鉱石の横流しなどできるわけがない。嵌められたというより、仕組まれていた……のだと、断頭台の前でようやく気が付いた。
三回目は……ああ、またか……。というのが一番初めに浮かんだ言葉だ。
それでも五歳で殿下の婚約者になり十八歳で処刑されるまでの十三年間、私だけを見てほしくて恋焦がれた人を簡単に嫌いになれるわけがない。政略結婚とはいえ聖女さまが現れるまでの十年の間、私の一方通行な恋心だとしても、それなりにうまくやっていたのだ。
聖女さまさえ現れなければ……。王太子妃として、次期国母として、考えることすらしてはいけないことだ。
それでも……口には出さないけれど、思ってしまう。きっと今回も聖女さまは現れ、国と民に豊かさをもたらすのだろう。その中に私が……私唯一人が入っていないだけだ。
好かれはしなくても共に国を治めていける同志にはなりたい。
好かれはしなくても殿下の隣には立っていたい。
厳しい王妃教育に耐えられたのは、偏に殿下に対する恋心だ。そんなに簡単に諦められはしない。でも……今回を最後と決めて、もし次があるのなら次は殿下に縋らないと決めて、今回だけは頑張ると決めて、殿下に好んでもらえるように努力した。
三回目はとにかく目立たず騒がず過去二回以上に空気に徹し、周りがどう動いているか、どんな思惑を持っているのかを観察した。そう、誰が仕組んだのかを知るために。
そして気付いたのは中立派で純粋な中立の立場なのは代々の宰相家だけだということだった。王妃派の筆頭は現王妃を輩出した侯爵家。反王家派は代々の王弟が継ぐ公爵家。王家簒奪を目論むと新しい王弟が当主になる度に、噂になる家だ。建国時、当時の王と一緒に国を平定した旧貴族たちからなる、旧王家派の筆頭は我が侯爵家だ。そしてそこに、新たに平民出の聖女さまを崇める新興貴族派が出来た。中立派の貴族たちが聖女派に流れたことによって、微妙なバランスで成り立っていた各派閥の均衡が崩れたのだ。
誰が仕組んだのかわからないまま、同じように断罪が待っていた。それでも、今回はきちんと頭に叩き込んだ。誰がどんな証言をしたのか。どこの家がどんな犯罪に手を染めているか。
……私が邪魔だったのはどこの家か。
三回目になってようやく処刑の場で周りを見回す余裕ができた。音として私に届いていた喧騒は民による罵詈雑言の言葉だった。「聖女さまを害した」という言葉を鵜呑みにした、私への誹謗中傷だった。私は何もやっていない。でもその言葉を信じてくれたのは、私を庇う証言をしたせいで先に処刑されてしまった護衛だけだった。家族ですら私の言葉は信じてくれなかった。
王族と並ぶ席に聖女さまがいる。殿下の婚約者は彼女がなるのだろう。
突然、聖女さまの周りに黒く禍々しい靄が立ち込め始めた。黒い雲が立ちこめ空も暗くなり始めた。その時、聖女さまの左の鎖骨の下にある聖女の刻印が、眩い光を放ち始めた。聖女さまを覆い尽くそうとしていた黒い靄に対抗するように、聖女さまを守るように光が聖女さまの体を包んだ。が、やがて黒い靄に押され始め、徐々に弱くなっていった光は黒い靄に飲み込まれていった。聖女様を覆いつくしていた黒い靄は聖女さまの体に吸い込まれて消えていった。その後には聖女さまの、愉悦を浮かべた歪んだ満面の笑みがあった。
今のは何だったのだろう……。
はっきり見えていたのは断頭台にいた私だけだったようで、聖女様自身にも隣に立つ殿下にも周りを取り囲む民衆にも見えなかったのか、誰一人として何事もなかったかのように喧噪をまとっている。
視界が暗転する前、最後に目にした聖女さまからは聖女の刻印は消えてなくなっていた……ように思う。
四回目以降は三回目に調べたことがその通りに起こっているのかを毎回確認していった。新しい事実もポロポロと出てはきたけれど、大きな違いはないようだった。
そして、断罪の場で見た黒い靄と聖女の刻印の発光の現象が、過去にも起こっているか、消えた刻印は何を意味するのかを調べ続けた。が、全く何もわからなかった。
私はもう殿下に恋はしていない。婚約者も辞退したかったがそれはどうしてもできなかった。何度も何度も殿下の婚約者になる。
殿下は優しい男の仮面を被りその裏では奴隷を飼っていた。奴隷禁止のこの国で。
正確には奴隷ではない。でも扱いは…奴隷以下、家畜以下だろう。王城は平民の下働きも雇っている。その中から、運悪く殿下に見つかってしまった者達が暴力……と一言で括るには壮絶すぎる仕打ちを受けていた。それも自分の憂さ晴らしのために。時には剣の鍛錬だといって、時には閨の相手をするようにと。平民に王族の命令が断れるわけはない。例えそれで命を落としても。男も女も関係なかった。それで使用人が死んでも変わりがすぐに用意される。
それを知った時は王族としての前に、人としてどうなのだと。そんな男が王に成るこの国は大丈夫なのかと思ったが、その時にふっと……私も殿下にとっては憂さ晴らしするために飼っているにすぎないのだ。と腑に落ちてしまった。
何度も繰り返して身に付けた王妃教育や淑女としての教育は、習う前に体が動くことが増えていき復習にしかならなかった。が、何かに打ち込んでいた方が楽だったから手を抜くことはしなかった。
殿下との交流も家族との関りも必要最小限にし、侍女たちも遠ざけていった。未来の国母たる者、侍女の手を借りなくてもできるように知識だけは持っておかなくてはいけない。そのためには自分一人でもできるように練習しなくてはいけない。などと、最もらしいことを言って。どうせ信じては貰えないのだし、断頭台の上で聞いた罵詈雑言が頭の中で鳴り響き監視されているように感じてしまったから。
誰とも必要最小限の交流しか持たなくなった何回目かのやり直しの中で、今までにはなかった聖女の刻印が私の右の腰骨の上にうっすらと浮かぶようになっていた。そうして断頭台に上がる頃には、聖女の刻印ははっきり認識できるほどの濃さになっていった。
そして……もう何回目かもわからない断罪に向かう時が始まる。
何度も同じ人生の同じ時間分を繰り返しているのは、なぜなのだろう。
何か……をなすためなのだろうか。
そもそも、一回目とて私は何もしていない。冤罪だったのだ。それでも何度もこうして断罪を繰り返している。この繰り返しの人生が私の犯した罪への罰ならば、一回目より前の覚えていない生での罪がよほど大きなものなのだろう。
もしそうならば、貴方達は……私を陥れた貴族たち、罵詈雑言を浴びせた民衆、王家に私への暴行と呼ぶには悍ましい行為を命じられた騎士たち……はどうなのだ? 誰も覚えていなくても私は覚えている。誰かの小さな偽りの証言が、例えそれが脅されたものだとしても、私への悪意によるものだとしても証言をしたという事実は変わらない。
小さな小石が池に波紋を作り、底にいた魚に当たり驚いた魚が朽ちかけた木に当たり、その木がたまたま緩んでいた箇所から激流になる。鳥が運んだ小石なら、風が巻き上げた小石なら、それを自然の摂理と呼ぶのなら、自然自身が望んだものとして扱ってもいいのではないだろうか。
何十回目かのこの断罪が、私が犯した罪への私自身が望んだ罰ならば、その報いは受けよう。それが後何回あろうとも。結末はわかっているのだ。
脅されたり、陥れられたりした家が分かった時点で、救済に動いた。できる範囲で。家族を人質に取られたりして、どうしても従わざるを得なかったのも理解できたから。他人の私と大切な家族の命なら、家族を取っても仕方がないだろう。でも、そうして助けても次の繰り返しでは戻っている家がほとんどだった。
助けてとも言われていないのに、自分が助かりたくて勝手に手出ししたことがいけなかったのだろうか。
自分のためであって、その家族の為ではなかったのがいけなかったのだろうか。
今回の断罪は何かが違う。
断頭台から見る空は、いつも清々しいほどに青く澄んでいた。今回は……以前聖女さまの刻印が消えた時のように、黒く厚い雲に覆われている。
聖女さまの刻印が消えた理由も、黒い靄が立ち上った理由も、私を陥れたかった貴族……特定の貴族だったかどうかさえ、どれもわからないままだった。
聖女さまは、聖女だと発表され学院に入学したが、聖女の刻印は浮かんではいなかった。豊かだった国はここ何年か災害と害虫による不作に見舞われ、人々の顔は疲労の色が濃くなっていった。
聖女さまが聖女でなくなったのか、私が聖女になったのかもわからなかった。
この世界が今まで通り、私を断罪することに変わりはない。ただ……私には聖女の刻印が浮かんでしまっている。見せられる場所にないだけで、誰の目にもはっきりわかるほどに。侍女も遠ざけているから、私以外誰も知らないだけで。
この国がどうなるのかはわからない。聖女さまは歪んだ笑みを浮かべていて、殿下は優しい笑みの下に歪んだ狂気を隠している。
仰向けに寝かされ刃が目に入る。何度経験しても慣れない。
ゴクリと唾を飲み込んだ時、黒く厚い雲に覆われていた空から一筋の光が私へと差し込んだ。
暗転する視界の中、途切れがちになる意識で、これで繰り返しも終わってほしいと切に願った。
聖女を害せば国が滅んでも文句は言えない。
だって、自分たちが選んだ結末だもの。
二作目の投稿です。
お時間を取ってここまで読んでくださってありがとうございました。
2月7日追記
ブックマーク、応援ポイント、コメント等ありがとうございます。
こんなにたくさんの方に読んでいただけるとは思わず、嬉しい限りです。