「海に浮かぶ『物体X』の正体」
ある夏の日、ウインドサーフィンをするため出掛けた葉山の海岸で沖にうかぶ不思議な物体を見つけた
その意外な正体とは?
これは自身が体現した事実の物語である。
~これは、事実の物語である~
今でも忘れることは無い、それは1985(昭和60)年8月13日の早朝の出来事だった。その日は朝からとても良く晴れていた僕の休日であり、当時20代の僕はウインドサーフィンに没頭していた時代であった。
その日、世間では丁度お盆の休みに入った日であり、三浦半島葉山町の海沿いにある駐車場が満車となる前にと早朝から支度を整え「大浜海岸」へとやって来た時の事である。
「大浜海岸」は、葉山の中でもマイナーな海岸である。その名前に反してとてもこじんまりとした海岸で、この海岸を挟んで南側には横須賀市との境となる「長者ヶ崎」があり、北側には天皇の御用邸の裏側にあたる「一色海岸」という、松林の美しいネームバリューの大きい海岸があるために、陰のように存在感が薄い海岸なので有る。唯一の賑わいは真夏になると慶応大学広告研究会が運営する海の家、「ケイオーキャンプストア」が出来て、小さなイベントが行われる位の海岸だったのだが、後方には「葉山公園」というバーベキューも出来る長閑な場所もあって、そこに通り沿いからは見えないちゃんとした駐車場もあるので、夏のシーズンには、ボクにとっては行きつけの海岸だった。
僕はその駐車場へと車を停めて、ボードや用具を車から降ろし荷物をひとまとめにすると、それを漁師が船を出入りさせる幅の狭い浜への入口を通って砂浜へと運び入れた。海水浴場の端に自分の拠点を設け、マストにジョイント・セール・ブームと、リグ部を組み立てて行く。リグをボードに装着すればセッティングは完了だ。
この日は陽射しはとても強かったが風は微風という所だ。大きめのセールを用意したものの、クロスに入るオンショアであり、沖へと出て行くのはかなり手間取りそうだ。ビーチサンダルとタンクトップを脱ぎ捨て、軽くストレッチを済ませてからサーフパンツ一丁の軽装にハーネスを着用して波打ち際からのビーチスタートで沖へと向かった。
ゆっくりとタッキングを繰り返し、小さな防波堤を越え沖へと進んで行く。太陽から放たれた光が、波間からキラキラと反射し瞳の前を横切っていく。長者ヶ崎の先端を越えると一気に視界は拡がった。そこは太平洋の一部に違いなく、水平線も見渡せる。すると間もなく沖合いに浮かぶ小島「尾が島」が見えてきた。島迄は、約一㎞。その島を一周して戻るのが、今朝のルート目標だ。島を目標にタッキングクロスしながら風上へとあがり、島は段々と近付いて来た。
すると、その島の近くに異様に光り輝く物体が海上にプカプカと浮いていることに気が付いた。鏡のごとく、日光を反射し銀色に渋い光を放つその物体は結構巨大にも見え、僕は興味津々で近付いて行く。向かい風だったので少し時間はかかったが、ようやくその「謎の物体」の側に来て僕はセールを海面に落とした。
見ると、その物体の大きさは3m✖5m位とかなり大きい。全体に放射状の楕円形の片側をギザギザに切った様な形をしていてシルバーの光を放ち、金属の一種と思われた。まるで破壊された巨大な建造物の断片の様でも有る。僕は、
「一体これは何だろう?不思議な形をしているし、船の部品とも思えない。それに、金属なのに海に浮かぶなんて、なんか変だ…」と独り言を呟き頭を捻りながらその物体を触ろうとしたその瞬間、僕は閃いていた。
「こ、これは…墜落したUFOの残骸に違いない」
僕はその物体に触ることを止め、
「これはえらいものを見つけてしまった。大変だ!」と、興奮渦巻く中で慌ててブームをつかみ、セールをあげ陸を目指した。ビーチへと向かうのは追い風だったので、帰りは比較的走りやすかったが、それでも長い時間に感じていた。ビーチへと辿り着き急いでボードを陸に上げ、ビーチサンダルを引っ掛け慌てて公衆電話へと走った。
海上保安庁への電番を回し電話が繋がると、担当者に興奮口調でこの事態を伝えたが、その担当者は落ち着いた口調で、
「その案件でしたら、先程、漁師の方から通報を受けて、既に保安庁の船が向かって降ります。ご連絡ありがとうございました」と、素気ない返事で電話はあっさりと切られた。
僕は急に躯の力が抜け、
「なーんだ。第一発見者じゃないから取材も無いなあ」と、ガッカリしてとぼとぼと歩いて浜に戻り、砂の上に座り込んでいた。暫く沖合いの海を眺めていると間もなくして灰色の大きな船体がその場所へと近付いてきてその物体の回収を始めた。僕はビーチに佇んで、静かにその作業を眺めていた。
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その物体の正体を僕は数日後に知ることとなった。その謎の物体は、僕が海へと出掛けた前日の8月12日に群馬県御巣鷹山の尾根に墜落した日航123便ジャンボ機の垂直尾翼の一部と判明したのである。その物体の存在で、ジャンボ機の垂直尾翼が壊れたのが三浦半島上空の飛行中と断定される証拠品となったのである。あれ程大きな物体が、良く陸上に堕ちなかったと、そして壊れたままの機体で良く群馬県まで飛んだものだととても複雑な心情が僕の内部を駆け抜けていった。
時を経た今でも車を走らせR134を通る時、長者ヶ崎のカーブから沖合いに浮かぶ尾が島を望み見てしまう。海も島も、そして遠くに見えてる江ノ島も富士山も昔と全く変わらぬ姿でそこにある。変わってしまったのは、初老を迎え老いていくボクの姿と、この海に魅せられ熱中していた頃の情熱を失っていく心の方なのだと静かに想うのみである。