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幕間 夜の校舎再び

 その夜。

 件の校舎、一階のとある教室内。

 最前より長らく窓側の席に陣取っている黒い影。

 以前はあとから遅れてやってきた、奇妙な服を纏った謎の人物。

 やはり僅かほどの動きも見せずに黙座している。

 と、何を感じたのか、その影は己の頭部を静かに(もた)げた。

 間を()かずにドアが動く。

 一昨日とは順番が逆になった二番目の影が、先客の姿を認めて足を止めた。


「先を越されたか。珍しいな」

「伝達事項がある。〈八意(やごころ)班〉から面白い情報を幾つか入手した。まあ座れ」


 言われるがまま、前回と同じ前のほうに着席する第二の影……八咫烏。

 何列もの座席を(へだ)てたおかしな席次を気にする様子もなく、第一の影は話の口火を切った。


「この地に眠ると語り継がれる究極の力、その力の正体が特定できた。我々の予想通り、転輪聖王(てんりんじょうおう)の秘宝でほぼ間違いないようだ」

「古代インドの伝説の王か」

「ああそうだ。お前も知っているだろうが、阿含経典(あごんきょうてん)に相当するパーリ文ニカーヤの〈長部〉第二十六「転輪聖王(てんりんじょうおう)獅子吼経(ししくきょう)」に詳しい記述がある。ただし、それによると転輪聖王の正体は仏陀の時代よりも遥かか以前の、ダルハネーミと呼ばれる偉大な王であったり、あるいは弥勒仏(みろくぶつ)と共に未来に出現する救世主であったりと、登場する時代がまちまちで一貫性がないのだがな。要するに今現在以外の時代であれば、いつでもいいということだろう」


 八咫烏が苦笑めいた吐息を小さく放った。


「暴論に聞こえなくもないが」

「極東の島国に、そんな実在性の限りなく薄い御仁の墓があるという時点で、充分噴飯(ふんぱん)ものだろう。ここに埋葬されたのが誰かなどという問い掛けは、瑣事(さじ)に過ぎない。正直どうでもいい。重要なのは転輪聖王の所有物であったと称される、その秘宝の持つ究極の力のほうだ。転輪聖王は、〈(ダルマ)〉によって世界全土をかつて統治した、あるいは将来統治するのだという」

「ダルマ? ダルマさんが転んだの、あのダルマか?」

「それは禅宗開祖の達磨禅師(だるまぜんし)だが、まあそれも法や秩序を意味するサンスクリット語〈ダルマ〉に由来する名前だから、まるきり無関係というわけでもない」

「専門外なのに詳しいんだな」

「こんな任務に就いていると、いやでも詳しくなる。希望があれば、またいずれ講義してやろう」


 第一の影は自嘲気味に鼻を鳴らしたが、すぐさま続けて、


「つまり〈(ダルマ)〉に匹敵するであろう究極の秘宝を(もっ)てすれば、〈高天原〉による全国支配にまた一歩近づくというわけだ」

「そんなにうまくいくかね」


 疑問調というよりは諦めに近い言葉遣い。


「まあ聞け。もう一つ、鍵の存在が明らかになった」

「鍵?』


 今度は完全な疑問形だ。


「何故、昨年までの襲撃が悉く不発に終わったのか。その長年の問いが(ようや)く氷解したのだ。新たに発見した例の古文書の断片のことだが、あれが転輪聖王墳墓説の根拠として解読を進めていた、十二世紀頃の書物〈金輪王陵(こんりんおうりょう)縁起(えんぎ)〉の後半部分だと判明したのだ。紙質、製作年代、文体のいずれも先の品と見事に一致した」

「ほう、全文見つかったわけか。で、解読結果は出たのか?」

「一応な」第一の影は声色に優越感を(にじ)ませて、「大意が()み取れる程度には解読できたそうだ。前半部分はお前も知っての通り、転輪聖王の由来や活動内容が矛盾だらけの文章で著された〈お話〉の部分だが、重要なのはそのあとに続く転輪聖王の墳墓の所在と、その秘宝が解放される時期について書かれた比較的正確な記述箇所だ。要約すると、場所は現在この雅ヶ丘高校の校舎がある敷地内のどこかで、解放の時期は〈稲穂の実りしハレのとき〉……つまり秋の収穫祭の頃、この学校でいうところの〈陵殯祭(りょうひんさい)〉に該当する。文化祭というのは外部の者の出入りが特に頻繁(ひんぱん)だからな、襲撃するにも都合がいい。……それはさておき、更に後半の解読を進めた結果、墓を暴くには〈白狛(しろこま)〉と、〈円形の〉〈(あざ)〉を持つ者の存在が必要なのだと判った。これは大いなる前進だ」


 八咫烏の輪郭が、今までになく大きく揺れた。

 よろめいたのかもしれない。


「白狛と、円形の……痣?」

「ああ。この転輪聖王というのは、転がる輪と書くことからも判るように、円環と深い関わりを持つ。元々転輪の輪とは即ち輪宝……古代インドのチャクラムという投擲(とうてき)用の武器を表している。輪宝を転ずる王、それが転輪聖王というわけだ」

「……飛び道具を使うのか。弥勒とはだいぶイメージが違うな」

「二人並んで古拙の(アルカイック)微笑(・スマイル)を浮かべても意味がないだろう。仏の世界もしっかり()み分けができているのだろうさ」


 それには答えず、続きを促す八咫烏。


「縁起の後半には、この〈円形の〉〈痣〉は生来のものではなく、()()()()が近づくにつれ〈徐々に〉皮膚のどこかに浮かび上がり、秘宝解放の到来に至り最も鮮明になり、〈昇龍の如き光輝を放つ〉とある。ここまでお膳立てをしなけれは、秘宝解放は成就(じょうじゅ)しないというのだ。鍵として選ばれし者の存在がなければ。かつての先任者やお前の伝え聞くところによれば、ここの生徒たちはこの学校に秘められた墓の伝承についてほとんど知らないという。となると、今まさに〈円形の〉〈痣〉が浮かびつつある者が仮にどこかにいたとしても、自身が究極の力を見つけ出す鍵なのだという自覚を持ってなどいないだろう」


 八咫烏は半ば呆れたように、


「待てよ。じゃあどうやってそんな痣を見つけ出すんだ。インチキの医者でも派遣して、偽の身体検査でもやらせるつもりか?」

「それも悪くないが、準備が煩雑(はんざつ)な上に面白みがない。大体そんな必要はないのだ。〈痣〉の持ち主を、墓の許まで導いてくれるものがいる」

「……〈白狛〉か」

「さすがだな。察しがいい」いつもの囁き声ではあったが、比較的語気が荒い。「我々〈高天原〉は、あの忌々しい墓守どもと幾年にも(わた)(しのぎ)を削ってきた。がしかしだ、闇雲に戦っていては駄目だったのだ。〈痣〉の持ち主を見つけ出すためには、まず〈白狛〉を連れ出す必要があった」

「それが〈白狛〉……白い犬と」

「ああ」

「中庭のオスターバーグのことだな」

「そうだ。関連性は今一つはっきりしないが、まず〈白狛〉は来たるべき日の襲来に備え、〈反則〉――まあ我らが〈言祝(ことほぎ)〉の卑近(ひきん)な亜流だが――を有する者らを集め、墓を護らせる。そして我ら〈高天原〉との戦闘により墓が危機に(ひん)したとき、何者かの持つ〈円形の〉〈痣〉が秘宝解放の鍵として作用するのだと」

「質問がある。墓が危機に瀕したときって、具体的にはどういうことなんだ?」

「そこだ」第一の影は黒手袋に覆われた手を軽く振り上げた。「それを判断するのが、つまり〈白狛〉なのだ。我々は墓守の連中に対し仮借(かしゃく)なき攻撃を加え続け、〈白狛〉に危機感を抱かせなければならないのだ」

「それが究極の力を得る正しい方法なんだな」

「恐らくは。古文書に嘘がないと仮定すればな。まあ〈白狛〉は実在するのだ、〈痣〉だけありませんでしたなどということはあるまい。あとは死力を尽くして戦うのみだ。最終的に襲撃の日程は変わらないのだから、例年通り限られた時間内で思う存分暴れ回ることになろう」


 ここに来て、第一の影が更なる動きを見せた。

 すうっと席を離れ、そのまま廊下側の壁に達する。

 外界の頼りない明かりすら入って来ない壁際で、不思議な衣装を着た人影は真の闇にすっかり呑み込まれた。


「近年でも類を見ない、激戦になるはずだ。お前も指折り数えて楽しみにするがいい」

「思うんだが、今墓守部の部室に行って、ロッカーにある武器を全部持ち出しておけば、ずっと戦いが楽になるんじゃないか」

「それができれば苦労はない。お前でなくともそう考える。お屋形様の意向で、最初から(・・・・)武器を持たぬ者との戦闘は固く禁じられているのだ。それが墓守どもであろうとな。戦い自体が成り立たなくなるような、一方的な殲滅(せんめつ)は行うこと(あた)わず、というわけだ」

「大した余裕だ。にしても、随分とお屋形様に肩入れするんだな」

「口を慎め。肩入れではない。絶対的な忠誠だ」第一の影の声に殺意にも似た不穏な響きが籠もった。「……ところで、今日も〈陵殯祭(りょうひんさい)〉の情報はなしか?」

「無茶言うな。学校が始まってからでなきゃ情報なんて手に入らない」

「違いない』一転して上機嫌な口調になり、第一の影は戸口へ滑り込んだ。「では、そろそろお開きとしよう。凡ては〈高天原〉の安寧のために」

「凡ては〈高天原〉の安寧のために……あんたのほうから切り出すなんて珍しいな。こんな夜中にお出掛けか?』

「おい、符牒(ふちょう)のあとの会話はご法度だぞ」

「知ってるよ」

「お前と違ってこっちは忙しいんだ。そんな下らないことで引き留めるな」


 不敵に言い捨て、第一の影は揚々(ようよう)と引き揚げていった。

 前回の会合とは正反対の出入りの順番に、それでも八咫烏は同じ座席に着いたきり、いつまでも己の組んだ指先に視線を落とすばかりだった。

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