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第1幕 合宿という名の特訓(3)

 その後は自由時間と相成り、茅逸と航也は学生服に着替えるべく各々の更衣室へ。

 枢子はスカートの煤汚れを拭き落とすのもそこそこに、オスターバーグの前肢(まえあし)から無理矢理取り上げた柄頭と柄頭の取れた剣を持ち主に返却すると、大いに不満顔の白犬を連れ立って中庭の犬小屋に向かった。

 所々に花壇が設置された校舎脇のテラスはもちろんのこと、明かりの消えた渡り廊下にも他の生徒らの姿は皆無。

 夏休み終了を目前に控えた今日まで強化合宿を敢行(かんこう)するような奇特な部活は、どうやら枢子たちだけらしい。


「そういえば、さっきスマホが鳴っていたようだが」

「あ、はい。母親からです。どうせ買い物を頼むとか、そんなですよ」


 あとで掛け直せば問題ないだろう。

 それより、今一度剣のことを謝っておかないと。


「あの、本当にすいませんでした」

「ん? ああ、これのことか。気にするな」


 太鳳は手慣れた所作(しょさ)でヒュンヒュンッと刀身を宙に舞わせると、チャキッと軽い音を立ててその柄を握り締め、斜めに構えた。

 ふわりと浮いた緩いウェーブの長い髪が、再び背中に掛かる。

 簡単な動作に見えたが、流れるような一連の身熟(みごな)しは後輩を魅了するのに充分過ぎるほどだった。


「むしろこのほうが、自分の握力で柄の(すべ)りを制御せねばならぬから、練習には向いているやもしれん。(しばら)くはこれを用いてみようと思う」


 気を(つか)わせまいとしての発言だろうか。

 枢子はただただ恥じ入るばかり。


「枢子よ、初めての合宿はどうだった?」


 水を向けられ、枢子は頬を緩めながら、疲れました……と力なく応じた。


「まあ違いあるまい」苦笑を浮かべる太鳳。「終盤はほとんどお主一人に対しての特訓になっておったからな」

「実戦形式の訓練って言われても、いまいちピンと来ないんですよ」

「なるほど。妾も去年の今頃はそう思っておったわ」


 太鳳の双眸は昔を懐かしむような遠い眼差しに変じていた。

 それまで俯きがちにとぼとぼ最後尾を歩いていたオスターバーグが、広大な中庭に入った辺りで突然四肢の動きを速めた。

 宵闇が迫った薄暗い場所ながら、犬特有の鋭い嗅覚により、片隅にある質素な犬小屋の前に置かれたドッグフードを素早く嗅ぎつけたのだろう。

 夕暮れ迫る中庭。

 四方を校舎の高い壁に覆われた箱庭空間には、中央に鎮座まします円形噴水と規則的に植えられた(なら)の木のほかは、これといって眼を()く建築・オブジェの類いも見当たらない。

 一クラス分の人数なら水遊びできそうな(おお)きな噴水に来訪者たちの注目を(ゆず)恰好(かっこう)で、犬小屋は目立たない一角にぽつねんと建っていた。

 生憎(あいにく)当の噴水は円筒形の排出口から一滴の水飛沫(しぶき)すら(こぼ)しておらず、青々と張られた水盤は随分と静かなものだったのだけれど。

 枢子はこの中庭に来るたびに言い知れぬ懐かしさを覚え、思わしくなかったテストの点数に気落ちしたときでも、ここに来ると不思議と心が落ち着くのだった。

 大人しく食事中の犬の首輪に銀の鎖を()めてから、太鳳はオスターバーグの背を体毛の流れに沿ってゆっくりと(さす)っていたが、ふと天然芝に垂れた鎖の表面に眼を留め、


「この鎖もそろそろ新調したほうが良いな」


 誰にともなくそう呟くと、片膝を突いた姿勢のまま何もない地面の一点に右の掌を(かざ)す。

 (しば)しの沈黙。

 変化は急激に訪れた。

 ジャラ、ジャラジャラジャラ……ジャックポットを思わせる軽快な金属音。

 下に向けた掌の付近から、同じ色合いの鎖が滝のように落ちてきて、芝の上に小高くとぐろを巻いた。

 その様子をまじまじと見下ろす枢子。


「このくらいか」


 最後の切れ端がカチャリと天辺に乗っかり、鎖の滝は銀塊の山を形成した。

 掌から湧き出るように(あふ)れ出す鎖。

 何度見ても幻想的な光景だ。

 そんな畏怖の入り混じった複雑な思いを胸に、枢子は、それわたし持って行きます、と努めて声を張り上げた。

 太鳳の横に並んで座り、首輪から外した古い鎖を手にする。


「すまぬな」

「いーんです、わたしも何かお手伝いしたいんで」

「そうか……もしやお主、<反則>のことを気に病んでおるのではなかろうな?」

「え、あ、いや、そんなんじゃないですよ」


 矢庭(やにわ)狼狽(うろた)える枢子に、太鳳は和らいだ口調で、


「やはりか。お主らしくもない。お主とて、此奴には認められておるのだ。思い(わずら)わずとも、いずれ開花するだろうて。気にするな、焦る必要などない」

「はぁ。だといいんですけど」


 語尾を弱めつつ、空いた手でオスターバーグの頭部を撫でようとした瞬間、それを察知した白犬に敢えなく()けられ、返す刀で小指の側をガブリとやられた。


「ひゃっ!」

「はは、ほれ見ろ」太鳳は整った相好(そうごう)を崩してみせた。「柄にもなくシリアスになるから、此奴も戸惑っておるぞ」

「何すんのよもーう! 足の次は手ってわけ?」


 ふて腐れて立ち上がる枢子。

 太鳳は嬉しげに舌を出すオスターバーグをポフポフと頼りがちに叩いた。


「お陰で元気になったではないか。結果オーライよのう、オスターバーグや?」

「太鳳先輩、早く行きましょっ。みんな待ってますよきっと」

「そうだな、ではさらばだオスターバーグ。次会うのは三日後だな」


 イーッと唇を左右に結んで威嚇する枢子と、対照的に慈母(じぼ)の如き表情の太鳳に平等に眼をやると、白犬はクリーム色の(わん)に満杯に注がれた水を一心不乱に飲み始めた。

 その(かたわ)らには、太鳳が故意に置き残した円環の柄頭が、鎖と同じ銀色に鈍く輝いていた。

 古い鎖を所定の場所に置いた二人が手荷物を提げて表側の校門に到着すると、先客は着替えを終えた茅逸独りだけだった。

 首許のボタンを外してYシャツの裾を出したラフな服装が、長身で抜群のスタイルを持つ彼女にはとてもマッチしている。

 リボンに至っては着用する気すらないようだ。


軻遇夜(かぐや)っちからメッセージ来てた。〈合宿お疲れ様、顔出せなくてごめんなさい〉だって」

「そうか。航也はまだか?」

「先帰ったよ。用があるんだってさ……ってあれ? 枢子ちゃんは急がなくていいの?」

「いえ、わたし関係ないですよ」


 なんの用だろ……ぼんやりそんなことを考えていた枢子の肩を、相対する上級生二人が申し合わせたように同時に掴んだ。


「なな、なんですか?」

「どうも全っ然進展してないみたいだねェ、お二人さん」

「進展も何も、最初っから別に」


 やれやれと肩を竦めて、茅逸はここぞとばかりに息巻いた。


「あたしゃてっきり、枢子ちゃんとつがいで帰るんだとばっかり思ってたからさァ。こんなことなら、あいつの首根っこ捕まえて用件訊いときゃ良かったよ」

「さっきの特訓のときも、何やらお主の頭上で話しかけておったようだが、あれはその、デートか何かの約束ではないのか?」

「違いますって。あれはただのアドヴァイスで」


 落胆した調子で顔を見合わせたのち、二人はどちらからともなく門の外に歩み出した。


「せっかくお似合いのカップルだと思ってたのにねェ」

「全くだ」

「なんですか、それ……」

「お似合いだってばさ」茅逸はくるりと反転し、後ろ歩きのまま言った。「航也はほら、感情表に出さないタイプだから何考えてんのかよく判んないけど、取り敢えず顔のほうは問題ないでしょ。枢子ちゃんは枢子ちゃんで、ちょっとっていうかかなりっていうか大幅に変なコだけど、見た感じボーイッシュで可愛らしいじゃん」


 うむうむと神妙に(うなず)く太鳳。

 枢子は顔から噴火を起こすかと思うほど紅潮した。


「そ、そんなことないですよ」

「でもねェ、いくら枢子ちゃんが可愛くても、気持ちを伝えないことにはどうにもならないよ。向こうからモーション掛けてくるとは到底思えないし、うかうかしてると他の女に取られちゃうかもよ。あいつあれで人気あるんでしょ?」

「はぁ……まあそうですねぇ」

「もう誰かと付き合ってるとか?」

「ま、まさかぁ。それはないと思いますよ」


 一瞬ドキリとしたものの、枢子は平静を装い、そういうのに興味なさげですから、と付け足した。


「だとするとお主ら、当然キスはまだなのだな?」


 文脈を徹底的に無視した質問が飛ぶ。

 枢子はあわわと手を振って、


「ととと、とんでもない! キスどころか、手だってその……」

「ナニそれ。手も繋いでないのォ?」呆れがちに眼を丸くする茅逸。「今どき幼稚園児だって手ぐらい繋ぐでしょーに。こりゃ重傷だわ」

「お主……犬に咬ませとる場合ではないぞ」


 航也との仲を矢継(やつ)(ばや)(ただ)され、枢子は先の特訓を上回る疲労を感じずにいられない。

 クールで名の通っている太鳳まで、すっかり茅逸のペースに乗せられている。

 茅逸さん悪い人じゃないんだけど、こういう話題になると凄い喰いつきなんだよね……格闘に長けているせいか、メンタル面での間合いの詰め方が尋常(じんじょう)じゃない気がする。

 半分、とまでは言わないけど、せめて副部長の十分の一くらいお(しと)やかでいてくれたらいいのに。

 太鳳の長い髪がふわりと戦いだ。三人のスカートが緩やかにはためく。


「んー気持ちいい風だねェ」


 肩に掛かる短めの髪を揺らしながら、眼を細める茅逸。

 下級生いじりが一段落ついたようだ。

 枢子は安堵(あんど)の吐息を()らした。

 見上げた空には、限界ギリギリまで細くなった純白の爪のような月が、早くもその姿を覗かせていた。

 名前との連想が、十二単を纏う副部長の容姿を思い浮かべさせ、枢子は刹那(せつな)の間、中空に漂うかぐや姫の空想に(とら)われた。

 スマホが鳴った。

 例の着信音。

 母からだ。


「おっ、航也からじゃない?」

「違いますっ」

「さては妾たちと別れたあとに落ち合おうという寸法か?」

「そうまでしてあたいらに知られたくないってわけだ。枢子ちゃん随分手の込んだ真似してくれるじゃない」

「違いますって……」


 夕飯の食材を二品ほど買ってきてほしいという母親の言葉を気も(そぞ)ろに聞きながら、二週間もの強化合宿の間に果たして航也との距離が少しでも縮まっただろうかと、己のペースまでもが茅逸に引き摺られている事実に、ちっとも気づかないでいる枢子なのであった。


 ……〈お祭り〉開催まで、あと二十四日。

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