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第1幕 合宿という名の特訓(1)

 面白いように吹き荒れていた生温い夕刻の風が、事情を察したと言わんばかりに不意に()いだ。

 (もと)より動くものは何もない。

 微風の名残もない唐突な静寂に、硬く張り詰めた両の頬がむず痒く感じられる。

 人影が絶えて久しい校舎裏。

 昼間のうだるような暑さはとうに去っていたけれども、風がなくなると額に汗が(にじ)む。

 闇の色濃い雑木林に面した裏庭は、自分以外の生き物の気配など微塵もない。

 だが次の襲撃に備え、枢子(すうこ)は刀剣の柄を強く握り締めた。

 西洋風の諸刃の刀身は三本指の幅でも余るくらい細身で、小回りは利くが攻撃を(かわ)すには(いささ)か頼りない。

 そんな不安もあって、長らく背を預けたきりの校舎の外壁から、なかなか一歩踏み出す勇気を持てずにいた。

 こんなときは、そう集中だ。

 精神統一。

 心頭滅却。

 耳を研ぎ澄ませ、外界のあらゆる事象に気を配れ。

 ブクチャカブクチャカブクチャカブクチャカ……。

 しまった。

 マナーモードにし忘れた。

 シリアス極まりない現場に、不似合いにも程がある電子音がけたたましく鳴った。

 音を消そうとスカートのポケットに手を伸ばしかけて、枢子はふと思い直した。

 柄から手を離すのは非常にまずい。

 いくら重量のない剣とて、片手で捌ききれるほど剣の腕は上達していない。

 というより両手で扱える程度にすら上達していないのだ。

 身を焦がす思いで着信音が止むのを待つ。

 こちらの所在は最早相手方に筒抜けだろう。

 ……ブクチャカブクチャカブク。

 ポケットの中の喧騒が収まった。

 (つば)を飲み、ほっと胸を撫で下ろす。

 今の設定音は確か……。


「おい」


 頭上で声がした。


「ひっ……!」


 思わぬ方向からの呼びかけに全身が凍りつく。

 恐る恐る天を仰ぐと、見上げた先には一抱えほどもあるガラス窓。

 その(ひさし)の上に、誰かが立っているようだ。


「だっ誰よっ!」


 震える声もそのままに枢子は叫んだ。


「おい俺の声も判らないのか。テンパり過ぎだお前」


 やっと正体を看破(かんぱ)できた。


「お前取り囲まれてるぞ」

「し、知ってるって。てかその登場の仕方は何? あんまり脅かさないでよね」

「俺がせっつかなきゃ、いつまで経っても動こうとしないだろ」影の輪郭がもぞもぞと(うごめ)いた。「夜が明けちまうぞ。そうやって悠長に構えてると」


 これのどこが悠長な構えだというのだ。

 頭上からの悪態に、枢子の眉間は(しわ)の数を増す一方だった。


「そんなこと言ったって」


 柄を握り直し、弱音を吐く。

 泣き言に相応しく、涙声が音声成分の大部分を占めていた。


「包囲されてんのが判るなら、隠れ場所の見当もついてんだろ?」

「う……」


 さっきの台詞はもちろん出任せだ。

 第一相手の居場所が判明していれば、こんな校舎裏の一隅に身を潜めているはずがない。


「取り敢えず打って出ろよ。あとは教わった通りにやればいいんだ。難しく考えるな」

「うーん」

「仕方ないな。一つだけヒントやるよ」


 ここから見て右手側……一台の車もなくがらんとした駐車場を頭上の影は指差して、


「あそこから感じる人の気配はダミーだ。残りの三つが正解」


 なんだよダミーの気配って。

 何をどうやったら、そんな芸当が可能だというのか。

 ともあれ差し当たりの問題は、ダミーどころか正しいほうの気配も枢子には全く感じ取れていないということだった。


「じゃあな、〈解体屋(スクラッパー)〉。適当に頑張れ」

「あ、ちょっ……」


 呼び止める声も聞かないで、影は更に上階の窓の向こうに姿を消してしまった。

 再び独りぼっち。

 四方に眼を走らせる。

 難しく考えるな。

 確かにそうだ。

 その点に関しては、あいつの言う通りかもしれない。

 ガサリ。

 と、林の手前の草叢(くさむら)が少しだけ(そよ)いだ。

 気がした。

 あそこに誰かいるんだ。

 と思う。

 多分。

 よし、動くぞ。

 動かなければ何も始まらない。

 脇を締め、剣を()る指に一層力を込める。

 握りの先端に付いた金属の()を見つめたのち、意を決して記念すべき第一歩を踏み出す。

 その足首を、何者かにがっちり掴まれた。


「う、うん?」


 驚きと共に足許を見る。

 舗装された路面すれすれに(うずくま)った可愛らしいオスターバーグが、あろうことか彼女の左足首に、その濃紺のソックスの上からガブリと()みついていたのだ。


「やだ、ちょっと……コラ」


 痛くはないけれど、引き()って歩くことも(まま)ならない、絶妙な強さの程良い咬み具合。


「何してんの、離しなさい、離しなさいってば」


 小声で叱りつけても効果はないに等しかった。

 美しい毛並の北海道犬は、最初からそれを命じられたかの如く細い足首に(かじ)りついたきり微動だにしない。

 再びガサッという物音。

 前方に眼をやる。

 どこからともなく飛来した謎の物体は、既に彼女の眼前にまで迫っていた。


「キャッ!」


 額に衝撃。

 枢子は眉間を押さえて俯いた。

 何かが足許にポトリと落ちた。

 動きを封じた動物と封じられた人間の視線が、お互いの視座から地上の一点を捉える。

 丸形をしたそれは、布製のお手玉だった。

 草叢の、後ろ……?

 枢子は脇を締めて身構えた。

 予想通り、草叢の背後で何かが蠢くのが見えた。

 直後、今度は複数のお手玉が続けざまに飛んできた。


「キャーッ!」


 視認できただけでも十個近く。

 移動による回避はまずもって不可能。

 ならば剣で弾いて……いや、とてもじゃないけど(さば)ききれる数でも速度でもないし、そんな卓抜した剣の技量も持ち合わせてないし。

 Yシャツの二の腕にぶつかる。

 両方の肩口に同時に命中する。

 スカートの裾を(かす)める。

 胸許を飾る赤紫のリボンに当たる。

 決して豊満とは言い(がた)い胸部に襲いかかる。

 構えた剣の刃先に運良く当たって直撃を免れることもあった。

 頭上に降りかかる柔らかな球体を、辛抱強いオスターバーグは動じることなく甘んじて受け止め続けた。

 お手玉の猛攻が三十を過ぎた辺りでやっと収まり、あっさりとオスターバーグが足首を離したところで、枢子は柔らかい凶器の転がる地面にへなへなと座り込んでしまった。


「こ、降参でーす、もームリー」

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