第6幕 今日も空から夢が降ってくる(6)
「来たぞ!」
噴水の残骸を吹き飛ばしながら迫り来る光に、身を固め立ち向かう墓守と墓荒らしたち。
「みんな気張るんだよ! 〈輝きな! 邪魔な奴らをブチ壊す砕破の気合よッ〉!」
「〈おお盤石なり我が金剛力〉!」
「聖像戦士の誇りに掛けて!〈右手に長剣、左手に短剣〉」
「〈鎖鎌と壁面歩行〉、略して鎖鎌」
「……まあよいわ。〈柔にして剛なる羂索〉!」
光が到達した瞬間、全身を襲う衝撃。
髪が舞い、服が裂ける。
「ぐおおおおっ!」
「こ、怺えろ!」
「うぐぐぐ……!」
「……!」
「……!!」
地を滑る靴跡が次第に伸びていく。
ジリジリと躰が押し込まれる。
背が浮き上がる。
気が、遠くなる……。
――――――✂キリトリ線✂――――――
……背後からの声は、いつしか全く聞こえなくなっていた。
光は……。
みんなは……?
握り返す手の力が、少し弱くなった気がした。
枢子は、はっと手許を覗き見て、それから航也に顔を向けた。
神出鬼没のオスターバーグが航也の側に控え、頬をペロペロ舐めていた。
航也はというと、汗も収まり穏やかな表情に戻っている。
荒かった呼吸も、気を静め、整えるためのそれに変じていた。
手首の傷は跡形もなかった。
痣もだ。
おまけに名無しの彼も姿を消していた。
振り返ると、ボロ切れ同然の服を纏ったまま、放心状態の五人が声もなく立っていた。
生きている。
全員無事だった。
「太鳳先輩! みんな!」
「正直、死ぬかと思ったぞ」軽妙な口調で言いながら、太鳳は手を振った。「まあ、これにて一件落着であろうな」
にこやかに微笑み合う二人。
けれどもその傍らにいる茅逸とエステラは、それほど楽観的な様子ではなかった。
「……茅逸先輩?」
「なんだかとってもまずい気がするよ」
「えっ?」
「あそこ見るよろし」
エステラが指差した先。
亀裂だらけの南棟校舎の一室が、不可解な光の明滅を繰り返して、窓から煙を上げている。
「まさか、まださっきの光が?」
枢子の顔は蒼白になった。
「いや、それはないって。航也の手首、もうなんともないだろ? ありゃあ……月島先生の教室だよ。ちょい前からあんな感じだったろ」
「煙と一緒に、バチバチいう音が聞こえるネ。何かショートしてるヨ、きっと」
……ショート?
瞬時に湧き上がったイヤな予感が、爆発的に膨れ上がる。
問題の部屋から爆発音が轟いた。
一度では終わらない。
二度、三度、四度。
次々と発せられ重なり合う爆発音に、音の回数を聞き分けるのは早い段階で困難になっていた。
今にも崩れそうな校舎は、パラパラと落ちてくる壁の破片がいよいよ多く、かつ大きくなっていくことで、見る者たちに共通する何かを思い起こさせた。
「こりゃ崩れるわ……さっさとトンズラしなきゃ」
「三十六計逃げるに如かずネ」
「お主、そんな言葉どこで憶えたのだ?」
一方、墓荒らしの二人は、最前より仰臥したきりの陸耳の許に赴いていた。
「陸耳よ、聞こえるか」
「……おお、打猴に八握脛。今頃、なんの用だ?」
「建物が倒壊しそうだ。逃げられるか?」
「一歩も動けん。助けてくれ」
「そうしたいのは山々だが、我らも満身創痍なのだ」そう言って、八握脛は刃毀れ甚だしい鎖鎌を放り捨てた。「陸耳、その服を脱いで身を軽くしろ。鉄爪も外せ。さすれば、我ら二人でお前を引っ張って行こう」
「おお、連れ出してくれるのか。有り難い。それにしても、地を這う土蜘蛛の端くれが、まさか裸同然で、仰向けで引き摺られようとはな……フハ、フハハハ」
呵々と笑い出す陸耳。
それを見る二人にも爽やかな笑顔が浮かんでいた。
「このまま帰れば、大目玉では済まぬだろうな」
「何、命あっての物種だ。命なければ、汚名の返上もまたありえん」
外衣を脱ぎ捨てた陸耳に手を差し出す二人。
その手を彼はしっかと握り締めた。
――――――✂キリトリ線✂――――――
南を向いた窓には、黄昏の残光が残っていた。
以前、数度に渡り深夜の会合が開かれた一階の教室。
棟が違うため、戦闘の被害をほとんど受けていない室内に、奇妙なマントを背負った仮面の人物が教員用の椅子に深々と凭れ、項垂れていた。
校庭からも遠く、夕方の学校行事と切り離された孤島さながらの空間に、しかし静寂は長く続かなかった。
ドアが開く。
白衣を着た墓守部顧問・月島がそこに立っていた。
感情の伴わない、冷ややかな面持ち。
ドアを閉め、腕組みのまま歩を進めると、月島は教壇の真向かいの座席を足だけで引き出し、どっかと腰を下ろした。
「何から話せばいいものか」
返事はない。
月島は早くも痺れを切らしたように、
「俺も早いとこ向こうに行かにゃならんのでな、手短に言わせてもらう。ま、今更行っても、どうせ後夜祭には間に合わんけどな」
「いつから、知っていたのだ」
「? 大抵のことは知っているつもりだが、どれを指しているのか判らん」
お互い全く顔を見合わせない。
言葉だけが交わされ、僅かな残響を残して希薄な空気の中に消え入っていく。
「墓の主がとうに復活していたことだ」
「おっと、そっちかい。俺はまたてっきり、あんたの正体を見破ったのがいつなのか訊いてると思ったんだが」
「…………」
「まあいい。リクエストに応えてやるよ。俺がそいつの不在を知ったのは、初めてこの学校に来たときのことだ。今から十年前」
「貴様がまだ……〈墓掘班〉の一員だった頃のことか」
「おう。俺もまだ十代、血気盛んな年頃だったからな。〈法〉に匹敵する力を手に入れようと躍起になってた。そいつが甦っていたとも知らずにな。とっくに墓は暴かれていたんだ。自覚なき〈解体屋〉の手でな」
「嗣原……枢子か」
「あんたらつい最近まで古文書掘り当ててたんだろ? 何か書いてなかったのかね。〈最悪の破壊者来たりて墳墓毀たれり!〉とかなんとか」
「そんな記述はなかった。よもや〈八意班〉が解読ミスなど犯すはずもない」
「おお〈八意班〉! 文献調査グループか。あいつらまだいやがるのか。思兼のアホは元気か?」
「答える筋合いなどない」
「ふん、まあいいさ。とにもかくにも、そこに書かれていた墓の暴き方は、その時代における数ある方法の一つに過ぎなかったんだ。たった独りの突然変異が、世界を一変させちまったわけだ。未来の事象の予測なんざ、そう簡単にできるもんじゃないのさ」
「煩い。どのみち貴様は我らを裏切り、この学校に寝返ったのだ。裏切り者め」
「そうカッカしなさんな。あんただって墓荒らしに配属されてから、まだ日が浅いんだろ。十年前もお互い面識はなかったんだし、そんなに鼻息荒くしなさんな」
「黙れ。墓荒らしなどと言うな。貴様はそれから十年にも亘って、〈高天原〉を欺き続けたではないか。さも〈法〉の如き力が眠っているかのように。ここの自治会を墓守部として編成し直してまで」
「おうとも。そんな積年の苦労がとうとう実って、ようやっとそいつの正体を見出すことができたってわけだ。十年騙してきた甲斐があったってもんだ」
「黙れ! あんな力、絶対に認めん。わたしが求めていた秘宝は、あんなものではない。あんな力のどこが究極なのだ」
「当てが外れて残念だったな。どうせ他人を屈服するための、最強の力でも見込んでたんだろ。けどな、最強じゃないとしても、ありゃ間違いなく最高の力だ」
「戯れ言を……それに、嗣原枢子に宿った墓の主がかような能力を有していたことなど、貴様とて知らなかったろう」
「バカ言え。オスターバーグの鼻と俺様の眼力をなめるなよ。ほんの萌芽だろうが見逃さない自信はあったぜ。あいつはあんたに襲われた簓木の手の打撲だって治したし、前夜祭で土蜘蛛相手に苦戦した、桐沢の体力回復にも一役買ってた。今日だって、芝生の枯れ草を元の元気な草花に戻したりしてたぞ。本人がおとぼけなせいで、さっぱり自覚がなかったようだが。それでも予兆はあった。傷を癒し、疲労した人間や老いた生物に活力を与える、能力の予兆はな」
「…………」
「ただまあ、そうは言ってもあんたの正体に気づいたのはつい最近だ。この時期に中庭に探りを入れてたんで、こいつぁ怪しいなと思ったまでのこと。内心驚いたのなんのって。白が黒だったわけだ。あんたが被ってる、その仮面みたいにな」
「生籟エステラを呼び寄せたのも貴様か?」
「いや、ウェールズの連中が勝手にうちの理事と話を付けたんだ。あんたらがそこいら中にちょっかい出すから、気を揉んでたんだろ。俺にゃ関係ない話だね」
「八咫烏のことは?」
「全っ然気づかなかった。スパイとしては桐沢のほうがよっぽど優秀だったのさ。罔象、あんたよりもずっとな」
「だが寝返った。月読……貴様のように」
「懐かしい名前で呼んでくれるねえ。誰から聞いた? 思兼のアホか、それともお屋形様かな」
「フン、今や裏切り者の代名詞だ」
「そいつぁ光栄だ……なぁ、あんた。この高校、いい所だと思わないか? 俺みたいな裏切り者や、あんたみたいな敵対者でも、分け隔てなく受け容れてくれるんだ。〈高天原〉じゃそうはいかないだろ」
「言うな。こんな学校に、もう用などない」
「あぁそうかい。んじゃ好きにしな。親はなくとも子は育つ、況んや担任をや……ってな」
月島はふらりと席を立ち、振り返りもせず教室を出て行った。
ドアが閉まり、空気の動きも鎮まる。
今まで着けていた仮面を教卓に置き、この一年一組のクラス担任である彼女は、その白と黒の冷たい表面に涙を落とした。
――――――✂キリトリ線✂――――――
倒壊した南側校舎が北棟に激突し、中庭一帯が壊滅状態となっていた頃、枢子たち一、二年の墓守部員は夕暮れのグラウンドに到着した。
前夜祭ほどではないが、数十名余りの男女が未だ燃え盛る中央のキャンプファイヤーを囲み、それを遠巻きに眺めやる大勢の生徒らがいた。
既にダンス用の楽曲は鳴りを潜め、遠くで建物の崩れる音がはっきり聞こえていたにも関わらず、人々はとある不思議な現象にすっかり心を奪われていた。
「うわぁマジか」
「すげーな、これ」
「嘘だろおい」
「でも、きれい……」
学校の周辺に、雪が降っていた。
まだ残暑厳しい九月の下旬だというのに、三日月の浮かぶ空には雲一つ見当たらないのに、雪が降っていたのである。
舞い降りる粉雪を見上げ、生徒たちは感嘆の声を口々に上げた。
今年も降ったね……上級生からはそんな声も聞こえた。
「まあ、皆さん……!」
お立ち台の近くにいた副部長が、コントさながらのボロ服を巻きつけた仲間たちを見つけ、駆け寄ってきた。
その後ろには部長の姿もあった。
「お手伝いできなくてすみませんでした。航也くんも無事でしたのね」
オスターバーグが一同を離れ、副部長の足許に擦り寄ってくる。
砂や土で汚れた首を掻き抱き、副部長は白犬の頭を愛おしげに撫でた。
「みんな、ありがとう」部長がにこやかに微笑み、言った。「弱めの地震が起きたりエステラくんのヘリが来たりしたようだけど、君たちのお陰で〈水取りの儀〉は滞りなく終了したよ。あとは消火活動だけだ。本当にありがとう、感謝している」
そして眼を伏せ黙したきりの航也に、真珠状の球体を差し出した。
「航也くん、忘れ物だよ」
「俺には……受け取る資格ないです。すいません」
「君は腕章を着けているじゃないか」部長は航也の左腕を指して、「それを着けている者は全員墓守部員だ。墓守部員はこれを受け取る義務がある。さあ航也くん」
航也は居並ぶ部員たちの顔を見渡し、最後に部長を真っ向から見据えると、小さく頭を下げて球体を受け取った。
「だけんどもブチョーサンの聖像すごいネ。ホント予言した通りになっちゃったヨ」
「わたしもびっくりしました。まさか雪が降るなんて。疑ってた自分が恥ずかしいです」
「まるで和音島ね。やっぱりエキゾチック物質を使ったの? ものすっごく興味あるヨ」
部長と副部長が、もういいかな、といった様子で視線を交わし合った。
太鳳と茅逸もなんだか含みのある表情だ。
「部長の能力は、エキゾチック物質とは関係ありませんのよ。もっとロマンチックでファンタスティックなものですわ」
部長はいよいよ暗さを増す空の一点に眼を懲らすと、
「僕は雪を降らせることができるんだ」あっさりとそう言った。「孔雀明王の反則〈今日も空から夢が降ってくる〉。結構な準備期間が必要で、暫く屋上にいないといけないのが少々面倒なんだけどね」
呆気に取られ、返す言葉もない一年生たち。
そんな枢子の隙を突いて、フッと躍り出た人影があった。
『夏に雪ってか! 風流だねー』彼である。『いや、サイコーだよあんた。あんたの〈反則〉とやらが一等だ』
突然現れた謎の男に、些か面喰らった部長と副部長だったが、ふと彼の足先に視線を落とし、眦を和ませた。
「会うのは初めてだけど、どうやら僕らの仲間と見て間違いなさそうだね」
「そうですわね、ふふふ」
『ああん、なんだ?』
訝しげに自分の足を見る彼、及び周りの一同。
思わぬ降雪にテンション爆上げ中と思しきオスターバーグが、美味そうなものを見つけたとばかりに、その足首にかぶりついていた。
『何しやがんだ、このワン公! お前は雪でも喰ってろ』
「ワフ?」
「もっと強く噛んでいいよオスターバーグ」
「アグアグアグ」
『ぎゃあ! ひでえ!』
おーい、と遠方から呼びかける顧問の声にも気づかず、墓守部員たちは愉しげに笑い惚けた。




