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第6幕 今日も空から夢が降ってくる(5)

 剣士の存外にほっそりした腕が、高々と持ち上がる。


「〈見よ、夜露に濡れし白銀の凶刃〉、哈ッ!」


 斜めに閃いた一太刀は、水飛沫と共に石と思しき台座を容易く両断した。

 その上部が断面に沿ってゆっくり滑り、ゴロンと水底に転がり落ちる。


「ムッ」台座の中に眼を走らせた剣士は、声を落として言った。「なんだこれは」


 切断された台座の内側は、人一人分ほどのスペースがあったが、がらんとしていて何もない。

 もぬけの空だった。

 剣士は幾度も内部の空洞を見返し、壁面に足を掛け、底面を更に切り崩してみたりした。

 けれども何も出てこなかった。


「どういうことだ……何もないとは。秘宝は一体?」


 剣士の声には明らかに焦燥が滲んでいた。

 異変は終わらない。

 それまで小康状態を保っていた航也が、上体をガクガク慄わせて空を仰ぎ、絶叫した。

 大地が再び震動を始める。

 枢子は膝から崩れ落ちた。

 空気を切り裂くような絶叫は長らく続き、枢子は思わず両耳を押さえた。

 助けに行きたい。

 行きたいのに。

 脚に力が入らない。


「航也!」


 茅逸が大声で呼びかける。

 航也の右手首から鮮血が滴り落ちる。

 なんで、どうして航也がこんな目に?

 枢子は眼を背けた。

 石塊(いしくれ)の山となった噴水の、かつて排出口があった辺りから、巨大な柱のような光が轟音を従え再び飛び出した。

 それは無軌道な弧を描いて校舎の壁を突き破り、予想もつかぬ弾道で中庭周辺を蹂躙(じゅうりん)し始めた。

 つい数分前とは比べるべくもない、強大な破壊力。

 砕け散る外壁。

 降り注ぐガラスの破片が強烈な光の反射で、ダイヤの欠片のように目映(まばゆ)く輝いた。


「なんだか知らぬが、これ以上勝手な振る舞いはさせぬ」


 鉄腕の打猴(ウチサル)が戦陣を離れ、見当を付けた場所で光の軌跡が近づくのを待つ。


「よせ、打猴(ウチサル)


 剣士が声を荒げる。

 中性的な高い声。


「痣の力が暴走している。迂闊(うかつ)に近づくな。ただの怪我では済まんぞ」

「心配ご無用、ただの力比べに過ぎませぬ。〈おお盤石なり我が金剛力〉ッ!」


 腰を充分に落とし、相撲の仕切りのように手を地に置く。

 前方の壁が内側から吹き飛び、暴走する光が右に逸れた。

 素早く横に飛び、雄叫びを乗せて拳を打ち出す。

 カウンターで光を捉えたかに見えた右腕は、次の瞬間、凄まじい衝撃と共に大きく弾かれ、打猴(ウチサル)の全身は独楽の如く回転しながら地にどうと倒れ伏した。


「うがっ、う、腕がっ……くそぉ!」


 のたうち回る打猴(ウチサル)

 鋼鉄のグローブの残骸がべっとりと腕にへばり付いていた。

 裸の腕だったら、もっと恐ろしいことになっていただろう。

 事態は墓守部員の願いはおろか、剣士の思惑すらも大きく裏切る展開を迎えていたのだ。

 所狭しと荒れ狂う、制御を失った光の暴威に、万策尽き果て呆然と立ち尽くすしかない一同。

 枢子は眼を見開いた。

 航也を見た。

 歯を喰い縛り、震えの止まらない右腕を必死に押さえつけている。

 両肘の先から滴り落ちる血の雫。

 枢子は周りを見た。

 エステラの許に茅逸が、打猴(ウチサル)の許には鎖鎌の男が付き添っていた。

 少し離れたところに太鳳の姿が。

 凛然たる美しさの上級生は膝を突いたまま、一歩も動けずにいた。

 乱れた前髪に遮られ表情までは判らないけれど、噛み切らんばかりに口の端を喰い縛っているのだけははっきり見えた。

 そこから顎の先まで濡らす、血の鮮やかな紅まで。

 五人は敵味方の別なく庭の外れに退避し、武器を執る様子もない。

 誰もが傷を負い、痛みに苦しみながら、必死に耐えている。

 噴水跡に独り立つ剣士も、光の行方を眼で追うばかり。

 反撃に出るなど以ての外なのだ。

 何もできない。

 力ある、選ばれた者たちでさえ。

 なんの異能もない枢子に、固よりできることなど何もなかった。

 枢子は瞼を閉じた。

 祈りを捧げるために。

 ()()はすぐに通じたようだった。

 土を踏む音がした。

 不意に、枢子の耳許で。


『おいおいなんだこりゃ、どこのヤンキー高校だよ。荒れ放題じゃねーか。あーあ噴水まで壊しちまって』


 透明に近いショールをはためかせながら、()は久方振りの外の空気を胸一杯吸い込むのも忘れ、中庭の惨状を(つぶさ)に、かつ物珍しげに観察していた。

 そして変わらぬ勢いで飛び回り続ける彗星状の光を見上げ、


『おお、あれが主犯格か。怖えー怖えー。校内暴力なんて今どき流行んねーってのな』


 枢子は思った。

 航也は悪くない。

 悪くないのだと。

 思い出したのだ。

 一昨日、前夜祭のあと、帰り際に感じた何かを思い出せないようなもどかしい感覚を。

 そしてその正体を。

 同じ日の夕方、航也が集合時間に来なかった理由はなんなのか。

 そんな疑問を、無意識裡に感じ取っていたのだ。

 その答えも、今の彼女には判っていた。


『なぁおい、こんな場所に呼び出して何をさせるつもりだ? 暴力沙汰はごめんだぜ』


 航也はきっと陸耳(クガミミ)が来ることを事前に知っていて、捜していたのだ。

 だから陸耳(クガミミ)とステージ上で相見えたとき、航也は「人質を取るような卑劣な真似は許さない」と言った。

 結局騒動を未然に防ぐことはできなかったけれど、航也はこんなことが起こらないよう、予め陸耳(クガミミ)に釘を刺しておきたかったのだ。


『おい枢子、聞いてんのかコラ。てめー独りで地べたにしゃがみ込みやがって。わざわざ喚び出しといて無視ってなんだよ。どんなイヤがらせだ。放置プレイかコラ』


 航也は自分の手首に謎の痣が浮かんだことを知り、しかもそのことを誰にも打ち明けられず、たった独りで苦しんでいた。

 いや、それでも航也は昨日になって、一人だけにはヒントを告げていたのだ。

 一人にだけは。

 わたしにだけは。

 わたしが何も知らないと言うと、航也はほっとした顔をした。

 わたしに痣の力が及んでいないことを知って、安心したのだ。

 わたしはそう信じたい。

 だから航也は悪くない。

 絶対に。

 わたしは信じる。

 航也は悪くなんかない。

 枢子は傍らに立つ彼を下から見上げた。


『なんだよ』

「一生のお願い」


 枢子の頬を、涙が伝った。


「航也を助けて」


 運命共同体の涙を見て、遠くで苦痛に喘ぐ航也に眼を移し、最後に彼はもう一度枢子を見下ろした。


『しょうがねーな』溜め息を吐いて彼は首筋を掻いた。『二度目はねえ。これっきりだからな。走れるか?』


 何も言わずに頷く。

 航也のところへ行くのなら、脚が潰れるまで走る。

 脚が潰れたら、這ってでも行く。

 その覚悟はできている。


『よっしゃ。んじゃ、どっちが速く着くか競走な。用意、』


 彼が走り出す姿勢になる。

 枢子も立って横に並んだ。


『ドン! って言ったらスタートな……っておい』


 枢子は続きの台詞も聞かずに走り始めていた。

 完全に出遅れた彼は、体勢を崩しながらもどうにか駆け出した。


『てめーフライングじゃねーか! 待てコラおいっ』


 足場は決して良くなかった。

 瓦礫やガラス片で幾度も靴を滑らせ、膝頭を切り、掌に傷を付け、それでも枢子は走るのをやめなかった。

 横の壁が爆発し、慌てて屈んだ枢子の数十センチ上を光の柱が直進する。

 だが隣にいた彼は、気づくのが遅れた。

 直撃を喰らい、一瞬にして地面に叩きつけられた。


『グガッ!』


 地表にめり込む彼を、心配そうに覗き込む枢子。


「だ、大丈夫?」

『なわけねーだろ、メチャメチャ痛え』


 けれども一般の人体とは造りが違うだけあって、致命傷には至らなかったようだ。

 頭を抱えつつむっくり起き上がり、自分で作った地面の窪みから素早く身を乗り出した。


『これだから暴力は嫌いなんだよ。どいつもこいつも力でねじ伏せようとしやがって。野蛮人どもめ』


 枢子と彼が辿り着いたとき、航也は尚も右腕を襲う激痛に悶え苦しんでいた。


「航也、しっかりして!」


 手を掛けようとする枢子を払い退け、航也は肩で大きく息を吐いた。

 鮮血に染まり、血管の浮き出た右腕が痛々しい。


『枢子、こいつ押さえつけろ』

「でも」

『でもじゃねえ! 右腕だけでいい、動かねーように押さえつけとけ。絶対に放すんじゃねーぞ』


 枢子は無我夢中で右腕に縋りついた。

 肘の下を掴んだ右手が血糊(ちのり)で滑る。

 枢子は航也の右手を左手で握り締めた。

 思った以上の握力で握り返してくる航也に、枢子も一層力を込めた。

 枢子の腕を払おうと伸びた左手が宙を彷徨い、ピクピクと痙攣したのち、意を決したように己の二の腕を掴んだ。

 枢子の視界はとめどなく溢れる涙で、航也の歪んだ形相をグチャグチャにしてしまっていた。


『今から傷を治す』


 傷を、治す?

 動きを止めた右手首に、彼は自身の両手を翳してゆっくり近づけた。

 血に濡れた痣が淡く輝き、徐々にその輝きが和らいでいく。


『痣は消せねえが』彼は小さく呟いた。『傷なら癒せる。それが俺の()()だからな』


 仕事と彼は言ったけれど、これはまるで。


「〈反則〉……?」

『かもしれねえ。が、ぶっちゃけ呼び名はどうでもいい』ぶっきらぼうに言い返された。『略称でもなんでもな。ただし、どんなに急いでも完治するまであと二分は掛かる。こればっかりは短縮できねえ』

「なんで、そんな大事なこと……黙ってたのよ」

『黙ってたんじゃねー忘れてたんだ。あのクソ忌々しい流れ星みてえなの見てたら、急に思い出した』


 渡り廊下に消えた光が反転し、忌まわしい凶弾となって襲来する。

 もう逃げ場はない。

 直撃は避けられない。

 枢子は航也を匿うように背を向けた。

 と、その背後から、


「妾も助太刀するぞ」太鳳の声が掛かった。「可愛い後輩に無理はさせられぬのでな」

「先輩!」


 そんな太鳳の両脇に、二つの人影が相次いで並び立つ。


「奥手中の奥手だった二人が手ェ繋いで、いい雰囲気なんだ。邪魔はさせないよ」

「あんなの〈聖ジョージの槍〉じゃないヨ。アレじゃまるで退治された悪龍ネ。大事な仲間を傷つけるものは、例え〈聖痕(スティグマ)〉の意思だろうと許せないヨ」

「茅逸先輩、エステラちゃん……」


 動けない枢子たちを護るべく、光の前に集結するボロボロの制服の三人。

 驚いたことに、そこに加勢する者が現れ出た。

 なんと二人も。


「僭越ながら、我らも手伝わせてもらう」

八握脛(ヤツカハギ)! 打猴(ウチサル)まで」

「正気かい、あんたら」

「虫が良すぎるかもしれんが、我らの計画は頓挫(とんざ)した。完膚(かんぷ)なきまでにな」

「左様。究極の秘宝なぞ既になく、罔象(ミヅハ)様もどこぞに身を潜めてしまわれた。お前たちと相争う理由もない」

「物好きな連中だね。あんたらも逃げりゃいいのにさ」

「逃げるは性に合わず」鎖鎌を腰に差し気を張る八握脛(ヤツカハギ)。「ここで散るならそれまでよ」


「フン、恰好つけおって」


 五人は銘々の構えで凶悪なる光に面と向かった。


『これだけは言っとく』そんな中、彼が不機嫌そうに口を開いた。『傷は多少なりとも回復してんだ。物を壊すしか能のねえあちらさんの威力は、その分弱まってる。ちゃんと全員で喰い止めろ。逃げるのもくたばるのも許さねー』

「やれやれ、誰だか知らないけど人使いが荒いねェ」

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