第6幕 今日も空から夢が降ってくる(4)
「もしかして、あれがエステラの言ってた、」
「秘密兵器、というやつか?」
戦いの手を休めることなく、茅逸と太鳳が久方振りに口を開いた。
「ビンゴォ! とうとう完成したのネ」エステラの興奮した声が中庭の壁に反響する。「さあ来い、魔槍ブリューナク! テトリスの棒みたく落ちてこい!」
空を見上げた墓荒らしたちの間に緊張が走る。
「なんだあれは」
「ブリューナク?」
「秘密兵器だと?」
「そんな話聞いてないぞ」
「知ってるはずないネ! ウェールズ議会も担当相も知らない超極秘事項ヨ。〈聖ジョージの槍〉にヒントを得た魔槍ブリューナク……ロンギヌス・グングニル級のメジャーどころは敢えて避けて命名する、奥ゆかしさがいいのヨ。古代ケルト文明と現代科学技術が生んだ最強の破壊兵器の威力、トクと味わうがいいネ! 常若の国バンザーイ」
エステラが捲し立てている間に、空中を浮遊するヘリのドアが開き、細い棒状の物が投下された。
夕陽の残光をバックに照り輝くその物体は、落下地点を誤ったのか、中庭を少し外れた南棟の屋上に落ちてしまった。
「あっ」
「おい、あそこまで取りに行かねばならぬのか?」
ところが、中庭にいる面々の予想を覆す凄まじい音響と共に、槍は校舎を貫通して建物の内部を次々と破壊し、地盤に突き刺さったところでより一層の轟音と地響きを巻き起こした。
その威力は依然として留まるところを知らず、南側校舎の外壁には見る見る亀裂が駆け巡り、枢子の攻撃を生き延びた残りの窓ガラスも、面白いように割れていった。
南棟に取りついていた太鳳と鎖鎌の八握脛は、それぞれ鎖を用いて逆側の壁に空中移動した。
「と、とんでもないパワーだね。あたいの〈反則〉でも、あそこまでは無理だわ」
「何あれ? 部屋全体が点滅してる教室があるヨ」
「顧問のクラスだ。変な電気器具が満載だったからの。爆発などせねばよいが」
「この破壊力、後々厄介なことになるやもしれん」剣士は刀を引いて真っ先に駆け出した。「誤算だった。やはりイングランド支部の危惧は正しかったのか。打猴、八握脛、今の槍を捜せ!」
南棟へ殺到する墓荒らしたちを、太鳳らは身を挺して止めに掛かった。
「そうはいくか!」
再び始まる戦闘。
枢子は校舎の地響きでやっと我に返った。
先輩や同級生が不利な立場に晒されながらも懸命に拳を振り、鎖を飛ばし、剣を突き出している。
「お嬢ちゃん」後ろで寝たきりの陸耳が途切れ途切れに言った。「余計な、お世話かもしれないが、あんたのスマホ、さっき鳴ってたぞ」
知らなかった。
顔を下げ、取り出したスマホを開いてみる。
午前中に送ったメッセージの返信が来ていた。
航也からの。
〈ごめんな〉
たった四文字の、素っ気ない返事。
いかにも航也らしい。
それでも枢子は躰の内側から、沸々と力が漲ってくるのを感じた。
もう充分だ。
この文面だけで充分だった。
航也がスパイだろうと関係ない。
多くは訊かない。
今はただ、航也を捜すだけだ。
それしかないし、それでいい。
膝に力を入れる。
大丈夫、立てる。
膝に手を突き、慎重に立ち上がる。
どこからともなく現れた異様な姿のオスターバーグが、しっかりした足取りで枢子の許に近づいてきた。
異様に見えたのは、オスターバーグが相当長い棒を口に咥えていたからだ。
あの酷い有様の南棟から、巧みに運び出したらしい。
それは時折淡い虹色に輝く、水晶細工のように透き通った長槍だった。
不思議なことに、咥えている犬の歯や舌から、その長槍は僅かに浮き上がっているように見えた。
使えっていうの?
これを。
「枢子! 出かしたぞオスターバーグ!」
太鳳が高らかに叫ぶ。
槍を持つ枢子を見つけた仮面剣士の動きが、はたと止まった。
「しまった……いつの間に」
「隙ありネ!」
繰り出した長剣の鋭い尖端が、仮面の額を捉えた。
瞬間、色違いの左右を隔てる境界線に、ピシッと一筋、隙間が入った。
左手で顔を覆う剣士。
エステラはここぞとばかりに反撃に出た。
「スーコ、今ネ! 早くブリューナクを」
「罔象様!」
「大丈夫ですか!」
いきなり苦境に陥った剣士を見て、別の二人も動揺を露わにする。
その間隙を太鳳が見逃すはずはなかった。
両掌より二本の鎖を放ち、それぞれ地と壁を這わせながら二人の背後に回り、後頭部に痛烈な一発。
ウギャッと悲鳴を上げる二人を腕ごと縛り上げ、太鳳は枢子をきっと見据えた。
「急げ、枢子!」
迷っている時間はない。
みんなの努力を無駄にしてはいけない。
枢子は勇気を出して、犬が咥えた槍の柄を握り締めた。
奇妙な手触り。
まだ完全に掴んでいないのに、確かに握っている感じがする。
ドクン、ドクンと脈打つ感触。
重量はほとんどない。
不思議な槍だった。
我が意を得たとばかりに、オスターバーグは顎を離し、数歩後退った。
鉄筋の校舎を半壊に追い込んだ、背丈とさほど変わらぬ長さの槍を両手に持ち、枢子は言い知れぬ興奮の最中にあった。
そうするのが当然であるかのように、彼女は槍を天に掲げた。
……ポロッ。
「……あれ?」
なんの前触れもなく、槍の先にあった鏃が取れた。
そして近くに落ちていたフリスビーと、いつか見た柄頭の円環の上にゴトリと落ちた。
「…………」
「…………」
「ファッ!?」
身動きを忘れた人々や身動きの取れぬ人々の中にあって、最初に聞こえたのはエステラの放った不思議な発音の悲鳴だった。
奇っ怪な出来事は、それだけに留まらなかった。
枢子の手の中で。
握った槍の感触が瞬時にして冷たく、そして重いものに変わった。
更には透明だった槍の内部が、墨でも流し込んだように黒く濁っていった。
「えっ、ええっ?」
「おい……」
「オーマイガッ! オー、マイガッデス!」
魔槍がその強大な効力を失ってしまったのは、誰の眼にも明らかであった。
「こ……壊れてしもうたネ」今度は意気消沈したエステラの声が、中庭に虚しく響いた。「あれは、ただの槍じゃないのネ。アイルランドで見つかった、島のケルトの遺産〈太陽の涙〉を一年以上かけて削り出した、世界に一本しかない極上の特注品だったのヨ。鏃だけとか、柄だけじゃ、真の力を発揮できないのネ」
再び一同の動きが停止する。
役目を終えたヘリコプターは、無情な唸りを上げて遠い空へと飛び立っていった。
「いいのかエステラ、ヘリが行ってしまうが」
「お役御免ヨ。一箇所でも欠けてしもうたら、ゴミ同然。削り出しだから元通りにもできない」
「屋上から落ちてきた衝撃で、壊れちゃったのかい?」
「ケルト文明と現代科学の精髄ヨ。そんなやわじゃないヨ」
「確かに……オスターバーグが持ってきたときは、なんともなかったのだぞ」
直接言ってはこないが、三者の考えは同じベクトルを向いていたに違いない。
当人の意思とは全く関係なく、〈解体屋〉がその恐るべき本性を発動したのだと。
全員の視線を一身に浴び、枢子は冷たい柄を掴んだまま凍りついた。
これじゃ顧問に合わせる顔がない。
敵の武器を壊すどころか、エステラが待ちに待った秘密兵器を早速駄目にしてしまった。
剣の柄頭が取れたのとは訳が違う。
逃げたい。
走って逃げ出したいところなのに、状況がそれを許してくれない。
またしても心が挫けそうになった。
……そこに救世主が現れた。
「航也!」
一階廊下から中庭に出る石段付きの戸口に、航也が現れたのだ。
航也は、何故か右腕をきつく押さえていた。
「お主、どこへ行っておったのだ」
「コーヤ怪我でもしてるの?」
航也の異変は誰の眼にも明らかだった。
まず顔色が尋常でない。
それに両方の腕がブルブル慄えている。
抑えようのない右腕の慄えが、左腕にまで伝播してしまっている。
亀裂の入った仮面を片手で支えながら、剣士は航也の前に立った。
「その様子では、〈痣〉を持つ人間は見つからなかったようだな。八咫烏よ」
「あ、痣だって?」
叫ぶ茅逸の声は、それを凌駕する咆哮に打ち消された。
犬だ。
滅多に啼かないことで知られるあのオスターバーグが、あらん限りの力で吠え始めたのだった。
オスターバーグは噴水の中にいた。
水位が下がったことにより、成長した北海道犬なら四肢を水底の高い段差に乗せて立つことが可能だ。
オスターバーグは非常事態を告げるかの如く、中央の塔に向かって飽くことなく吠え立てた。
普段の寡黙な姿を知っているだけに、けたたましく叫ぶそのさまは枢子にぞっとするような戦慄を催させた。
「ぐあっ!」
苦しげに呻く航也。
咆哮に導かれるように、ふらふらと歩を進めている。
宙を掻き毟る右腕のリストバンドが、鈍い音と共に千切れ飛んだ。
その下から現れたのは、手首をぐるりと取り巻いたリング状の青黒い刻印。
……痣だった。
「あ、痣が」
「航也の、手首に?」
「なるほど、手首を一周した痣とはな……それも立体的な円環形というわけか」独り頷きながら刀の先で航也を指し示し、剣士は言った。「皮肉なものよ。八咫烏、よもやお前自身が〈痣〉の持ち主だったとはな。何故に今まで黙っていたのだ?」
その問いに答えることなく、航也は一際高く叫んで右腕を掲げた。
額が汗でびっしょり濡れている。
痣のせいで相当な苦痛を感じているようだ。
大気中の微粒子が手首に集約されていく幻覚めいた現象が、中庭にいる全員の眼の前で展開された。
刹那、手首の痣が強烈な光を放った。
それは茅逸の蒼白いオーラとも、副部長の紅の炎とも異なる、日光をその手に宿したかの如き、鮮烈な光輝だった。
「おお、解き放たれた犬が危機を訴え、痣がそれに感応し始めた。墓が、遂に墓が動き出すぞ!」
航也の右腕から、帯状の光が解き放たれた。
「光の、槍ネ……〈聖ジョージの槍〉!」
溢れんばかりの輝きを放射しつつ、その光は轟音と共に宵の空へ飛んでいき、不意に向きを変えると、今度は流れ落ちる流星になって中庭に落下してきた。
「あっ、オスターバーグが!」
光の槍は少しも速度を緩めず、塔最上部の排水口に激突した。
その間ずっと吠え続けていたオスターバーグが、衝撃で吹き飛ばされる。
宙を舞い、その躰は近くの壁へ。
「危ない!」
「出でよ〈柔にして剛なる羂索〉!」
辛くも太鳳の放った三本目の鎖に絡め取られ、オスターバーグは壁への直撃を回避した。
光は姿を消し、円柱形の塔はズズズという摩擦音を発しながら噴水の下へ呑み込まれていく。
代わりに中央の台座がせり上がる。
長方形をした、さながら棺桶のような台座が。
「おお、あれこそ求めていた墓標。見たところ、結界らしき障りもなさそうだ」
「行かせないネ、白黒仮面!」
駆け寄らんとする剣士の行く手を阻むエステラ。
しかし相手は立ち止まらない。
「邪魔立てするな。〈見よ、夜露に濡れし白銀の凶刃〉」
片手で仮面を押さえながらの一振り。
だが、水飛沫を飛ばしながらの一撃は、受け止めたはずの長剣の刃を二つに切り離していた。
「な、なんてことネ……長剣が」
動揺するエステラに更なる一撃。
短剣を使うどころか受け身すら取れず、首筋に刃を貰ったエステラはがっくり膝を突いた。
「エステラ!」
「安心しろ、峰打ちだ。斬ってはいない」
「おのれ!」
オスターバーグを救出した太鳳は再び三本目の鎖を剣士に向け飛ばした。
「フン、スピードが鈍っているぞ。無理して三本も使いこなそうとするからだ」
狙いを定め、剣士は迷いなく刀を振り下ろした。
「最早言祝の必要もないわ、哈ッ!」
刃を返し、踵を返す。
分銅とその後ろの鎖は、垂直に切り落とされていた。
「む、無念」
がくりと頽れる太鳳。
片膝を突き、どうにか倒れるのは防いだものの、これ以上鎖を操る体力など残っていなかった。
無理矢理鎖を引き剥がし、自由の身となる鉄腕と鎖鎌。
「てめえら!」
茅逸が駆け出すも、二手に別れた墓荒らしたちに前後を取られてしまい、結局動きを封じられた。
「おっと、それ以上暴れるんじゃないぞ。抵抗しなければ、我らも手出しはしない」
「罔象様が最強の力を手に入れる瞬間を、お前も眼に灼きつけておくがいい」
「くそッ……ちっきしょおォォ!」
剣士はブーツが濡れるのも厭わず噴水に入り、台座の前で足を止めた。
感情の窺い知れぬ仮面の奥から、静かに台座を見下ろしている。
「凡ては〈高天原〉の安寧のために」




