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第6幕 今日も空から夢が降ってくる(3)

 結局、夕方になっても航也は見つからなかった。

 顧問のほうも、演劇部の発表に顔を出したあとの足取りは掴めず終いだった。

 その間枢子がしたことと言えば、自分のクラスのフリーマーケットで買い込んだスーパーボールやらトランプやらフリスビーやらに、茅逸の光り輝く〈反則〉を込めて墓荒らしたちに投げつけ、結果壁やら床やら天井やらを見るも無惨に破壊した程度であった。


「障害物が減って見晴らし良くなったよ。これぞ解体屋(スクラッパー)の真価だねェ」

「全然嬉しくないです……」


 人気のない廊下を並んで歩く。

 教室にも人影はほとんどない。

 大多数の生徒らは後夜祭に参加すべく表に出ているようだ。


「それにしても、こんだけ捜してんのに航也の奴、どこ行っちゃったのかね」

「そうですね」

「実を言うとさ、さっき痣の話聞いて、あたいも太鳳もちょっと安心したんだよね」


 安心した?

 そんな要素はなかったのでは。


「何がですか?」

「なんだかんだ言って、二人だけの秘密ができちゃってたってこと。愛の結晶ってやつ」

「そんなんじゃありませんっ!」

「おー顔真っ赤にしちゃって。初々しいねェ、若いね青春だねェ」


 三階南棟の角を曲がったところで、太鳳・エステラ組と行き当たった。

 猛攻を掻い潜ってきたのか、どちらもYシャツやスカートの至る所が擦り切れている。


「そっちにもおらぬか」

「いないねェ。よっぽど隠れんぼが上手みたいだ」

「スーコ、熱でもあるの? 顔火照ってるネ」

「な、何でもないよ。ほら、シャツボロボロだよ、これに着替えなよ」

「かたじけない。本当スーコは気が利くのネ。いいお嫁さんになれること請け合いヨ」


 エステラはそう言うと、その場でシャツのボタンを外し始めた。


「いやいやいや、何してるのエステラちゃん!?」

「平気ネ。誰もいないヨ。いたらいたで、ファンサービスみたいなものヨ」


 そのときだった。

 廊下のスピーカーから業務連絡用のチャイムが鳴った。

 続いて、


「生徒会より連絡致します。只今から〈水取りの儀〉を執り行いますので、参加希望者は第一グラウンドに集合して下さい」


 という部長の朗々たる美声が聞こえてきた。


「あ、そうか。部長、後夜祭に出なきゃいけないんだっけ」

「副部長もだ。こうなったら、ここにいる四人で捜すしかないぞ」


 太鳳の言葉に呼応するように、茅逸のスマホが慌しい呼び出し音を発した。


「おっと噂をすれば軻遇夜っちからだよ。はいもしもーし」


 三言ばかり会話を交わした茅逸はパタンとスマホケースを閉じて、


「ただの激励の挨拶だった。暫くの間うちらだけで頑張ってくれってさ」

「やっぱり副部長も後夜祭に行っちゃうんですか」

「キャンプファイヤーに火を点ける役目があるからな。今年は生で見られそうにないねェ」

「さっきのアレを点火に使うのネ?」着替えを終えたエステラは、薄暗い廊下に尚映える後ろ髪を縛り直しつつ、「あの火力なら、対スパイダーマンのときみたく速攻燃やせるネ。着火ウーマンよろし」

「火力はもっと抑えるがな。でなければ一瞬で消し炭だ」

「あ、あれ……?」


 枢子はまだ割れていないガラス窓の向こうを見て、ふと声を上げた。

 それから眼に映ったものを確かめようと窓際に近づき、両手をガラスに当てる。

 鼻先が軽く表面に触れた。


「どうした?」

「あそこに、誰かいます」

「何?」


 四人横並びに立ち中庭を見下ろす。

 円形の噴水がここからでも良く見える。

 中庭にいるのはオスターバーグと、その首輪の辺りに手を掛けている巨漢の男が独り。


「航也ではないな」

「てか誰だあいつ」

「アッ、首輪外したネ!」


 自由の身となった白犬はブルブルと上体を揺すったのち、傍らに落ちていたフリスビーを咥えて噴水周りを暢気(のんき)そうに歩き始めた。

 あのフリスビーは、枢子が投げてガラスを突き破った、フリマでの購入品だ。


「どういうつもりだ、あの男」

「とにかく降りるぞ!」


 手早く二枚の窓を全開し、出した鎖を中央のサッシに巻きつけると、太鳳は掌側の鎖で輪を作って枢子の腰に一度だけ巻いた。


「枢子よ、しっかり妾に掴まっておれ」

「は、はい」


 心の準備を待つまでもなく、太鳳は枢子の背に左腕を回し、三階の窓から飛び降りた。

 左手で鎖を出しながら、鎖を持つ右手で落下速度を器用に調節している。

 素手で持って滑るのは相当痛いはずなのに、これも〈反則〉の効果なのか、太鳳はなんともなさそうだ。

 〈反則〉を掌に集めた茅逸と件の白グローブ着用のエステラも、その後方から鎖を掴むとロープウェイの要領でスイスイ滑り降りていく。

 謎の男は足場を固めるように土を蹴り、四人の墓守部員に立ちはだかった。


「来たか、墓守ども」部員たちの到着を見越したような話し振りで、男が傲然と口を切る。「よくぞここまで持ち堪えたものだが、さすがに今の今まで戦い通しでは、体力の消耗は免れまい」

「生憎だね、こっちはピンピンしてるよ」


 不敵に笑い、茅逸は手指の関節を鳴らした。

 対する男は両腕に装着した鋼鉄のグローブを胸の前に翳すと、


「貴様が俺の相手か。土蜘蛛随一の豪腕たるこの打猴(ウチサル)に丸腰で立ち向かうとは、身の程知らずな」

「茅逸、妾も加勢するぞ」

「わちきも行くネ」


 それぞれ攻撃体勢に入った二人を、茅逸は手で制した。


「ここはあたい独りで充分。それよりも早くオスターちゃんを」

「フッ何を言い出すかと思えば」打猴(ウチサル)と名乗った男が意味ありげに笑う。「まあ貴様ら全員掛かってこようとも負ける気はせんが、折角ほかの連中も来ているのでな。そこの生意気な小娘以外は、すまぬがほかを当たってくれ」

「まだ墓荒らしがおるのか」

「上ネ!」


 エステラが叫んだ。

 枢子は北棟を見上げた。

 かなり高い壁にへばりついていた黒い影が、地上へ何かを投げつけたのが見えた。

 エステラが長剣(レイピア)を一閃させる。

 甲高い音がして、鎖の先に付いた彎曲(わんきょく)した鎌がふわりと宙に舞い、再度彼女に襲いかかる。

 それを受け止めたのは太鳳の鎖分銅だった。


「その鎖鎌には見憶えがある。さてはお主、八握脛(ヤツカハギ)だな。お主の相手は妾が引き受けた……いざ、勝負!」


 すかさず北棟の壁際に駆け出す太鳳。

 鎖鎌の男はあろうことか校舎の壁に垂直に立ち、最小限の所作で鎌を手許まで引き上げた。


「憶えていてくれて光栄だが、自分から鎖鎌の餌食になりに来るとは愚かな。今年こそ俺の言祝(ことほぎ)〈鎖鎌と壁面歩行〉のほうが上だということを思い知らせてくれるわ。その美しい顔に傷を付けてでもな」

「ほざくな。そんななんの捻りもない平凡な名前に、負ける妾と思うてか!」


 すぐ近くで、二組の戦闘の火蓋が切って落とされようとしていた。

 茅逸の〈反則〉を借りることができない枢子は、ただオロオロと取り乱すばかりだ。


「スーコ」


 エステラに呼ばれ、はっと振り返る。

 渡り廊下の先に現れた新たな人影に眼を据えたまま、エステラは言葉を続ける。


「ここは危ないヨ。早く離れたほうがいいネ。ワンちゃんは任せたヨ」


 ……悠然と中庭に歩み出た人影は、あのいかつい外套を羽織った、白黒の仮面剣士だった。

 手首の返しで長剣(レイピア)をヒュンッと撓らせ、エステラは相手のほうへ足を進めた。


「ほほう、あの外国人、独りで罔象(ミヅハ)様とやり合うつもりか」両の拳をガシンと叩き合わせた鉄腕の打猴(ウチサル)は、エステラを見て呟いた。「確か前回の一戦では、剣を弾き飛ばされて勝負あったと聞いたが」

「どこ見てんだい?」両腕を明るく輝かせた茅逸が躍りかかる。「あんたの相手はこのあたいだよっ!」


 ぶつかり合う拳と拳。

 激突した周囲に、銀白の火花が大量に飛び散った。


「こないだのわちきと一緒にしないでほしいネ。この長剣(レイピア)はわちきと一心同体ヨ。その趣味の悪い仮面を切り裂くまで、攻撃がやむことはないからネ」


 瞬く間に間合いを詰める剣士とエステラ。

 日本刀と長剣(レイピア)が斬り交わす。

 ここでも戦闘が始まった。

 一方、太鳳と忍者のような鎖鎌の男は、空中戦と言ってもいい戦い振りであった。

 太鳳は枢子が初めて見る二刀流で、片手の鎖を外壁にめり込ませて空中を移動しつつ、もう片方の鎖で攻撃を仕掛けるという目まぐるしいものだった。

 それでも垂直の壁を平然と歩く忍者相手には苦戦を強いられた。

 枢子はそんな様子を噴水の縁に屈んでこっそり窺い見るしかなかった。

 動こうにも、どこに移動すればいいのかさっぱり見当が付かない。

 そんなとき、おおーっという歓声が、遥かグラウンドの方角から上がった。

 副部長が例の〈反則〉でキャンプファイヤーに点火したのだろうか。

 フォークダンスどころか、こっちは中庭を出ることすらままならない。

 校舎一棟を隔てての、あまりに違いすぎる状況の対比に、枢子の表情は泣き笑いのように歪んだ。

 ……いけない。

 こんなんじゃ駄目だ。

 わたしは墓守部の一員なんだから、やるべき仕事を果たさなきゃ。

 今しなきゃならない仕事は……そう、航也を見つけることだ。

 辺りを見回す。

 一本の楢の下の植込みで、白い犬が何やらうろうろしているのが眼に留まった。

 あそこに、何かあるのかも……。

 枢子は背を丸めて走り出した。

 途中、落ちていた硬いヘルメットのような物体をつい爪先で蹴ってしまったが、それがなんなのか確かめる余裕もなかった。

 そうして向かった先には、二度に渡り枢子を襲った、あの蜘蛛糸使いの陸耳(クガミミ)がぐったり横たわっていた。

 防火服は見るも無惨に煤で黒ずみ、眠っているのかもう死んでいるのか、その瞼は固く閉ざされぴくりとも動かない。

 犬はそこにいた。

 オスターバーグは犬特有の無遠慮さで、その男の顔を入念に舐めていた。

 そんなことをしたら意識が……と思っているうちに、ウゥーンと一声唸って男はゆっくり眼を開けた。

 どうしようどうしようと慌てふためく枢子を見上げながら、陸耳(クガミミ)は以前耳にした大音声とは似ても似つかぬか細い声で、


「し、心配すんな。当分動けねえよ俺……それに、あんなおっかない眼鏡女とやり合うのは、もうごめんだ」

「は、はあ……あの、ええと、カラダ大丈夫ですか」

「おお、俺の心配は、してくれるのね。優しいなぁアンタ。きっといいお嫁さんになれるよ」男は俄に涙目になって、「噴水に突き落とされて、全身打撲でこのざまだよ。どうにかここまで這ってきたが、限界だ。もう指一本動かせねえ。もっと水が多けりゃ、こんなひでえ目にゃ遭わなかったのによぉ。あの水量じゃ、噴水の意味ねえだろ」


 〈お祭り〉の期間中は仕方がないのだ。

 男の口吻(こうふん)は次第に愚痴っぽくなった。


「〈高天原〉の連中は、誰も助けてくれねぇしな。畜生、お高くとまりやがって」

「高天原?」

「おうよ、俺たち土蜘蛛は、〈高天原〉の連中に雇われてんのよ。けったいな仮面つけた剣士がいたろ? あれが罔象(ミヅハ)さ。高天原の一味なんだ。大将クラスの大物だよ」

「はあ」


 その高天原というのも気にはなったものの、先に航也のことを訊いておかねば。


「ああ、おとつい体育館で戦ったあいつか」途端に男の顔は険しくなった。「あいつも、一言言ってくれりゃいいのにな。ま、奴を知らなかった俺も、悪いんだけどよ」

「! 航也を知ってるんですか?」

「昨日、一時帰還してから、聞かされたんだ。墓守部に潜り込んだ、スパイがいると」


 スパイ?

 この人は何を言っているのだろう。

 まさか顧問のこと?


「あの、すいません。わたし航也のことを訊いてるんですけど」

「だから、その桐沢航也が、〈高天原〉の送り込んだスパイなのさ。素早さの〈言祝(ことほぎ)〉をまんまと見出されて、そのまま居座ったってわけ。今日だって、痣の持ち主を捜すのと、墓を暴くために犬をけしかける役目を、仰せつかってたはずだぜ……おや、なんでその犬が、こんなとこにいるんだ? うわ、顔舐めるな、やめろ、こそばい」


 枢子は思考の奔流に押し流され、木の葉のように揺れ続けた。

 航也との出逢い。

 教室での何気ない会話。

 軽口を叩き合いながらの部活動。

 合宿での笑顔。

 夏休み最後の日の邂逅。

 そして前夜祭の壇上での、あの腕の温もり。

 ……そんなはずはない。

 そんなはずは。

 どうしてそんな。

 そんなことが。

 懐で何かが鳴ったが、気に掛ける余裕もなかった。

 枢子は何も考えられなくなった。




――――――✂キリトリ線✂――――――




 中庭で繰り広げられる三様の戦いは、いずれも墓守側が劣勢に立たされていた。

 茅逸の言葉に反して、やはり度重なる戦闘による疲労は、短い休息では回復しきれなかったのだ。


「砕け散れい! 言祝(ことほぎ)〈おお盤石なり我が金剛力〉!」

「くっ!」


 茅逸の指の甲に血が滲む。

 咽喉を(えぐ)るような強烈なフックに、胸許のリボンが弾け飛ぶ。


「ぬう……」


 鎖鎌が太鳳のスカートもろとも(もも)の皮膚を切り裂く。


「アウチね!」


 エステラの頬を日本刀の切っ先が掠め、血液と刃の水滴が顎に伝う。

 三人とも体力の限界だった。

 遠くで、コロブチカの軽快なメロディーが鳴っている。

 フォークダンスの伴奏だろう。

 それに混じり、別の物音が少しずつ大きくなっていく。

 何かが迫ってくるかのように、少しずつ、大きく。


「来たー!」エステラが声を振り絞って叫んだ。「来ました来ちゃった来やがった! 最高のタイミングね」


 今や、夕空全体が鳴っていた。

 騒音は大気を震わす轟音へと変わり、かつてエステラを連れてきたヘリコプターが、その姿を中庭上空に現したのだった。

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