第6幕 今日も空から夢が降ってくる(1)
明けて翌日、〈お祭り〉二日目にして最終日。
対になっていた航也と完全にはぐれてしまった枢子は、抜けるような蒼い空の下、芝生に屹立する大樹の木陰に座りすっかり塞ぎ込んでいた。
芝生に紛れた枯れかけの草花を見るともなく見ているところを顧問の月島に発見されるまで、それほど時間を要さなかった。
「おい、何サボッてんだ解体屋」
「休憩です」
「持病の癪か」
「違いますって」
「外回りかお前。もう一人はどうした。お前単独行動はしないはずだろ」
「どこか行っちゃったんですよ」
顧問はいかにも化学教師らしい白衣に身を包み、頭髪もいつも以上に入念に撫でつけている。
確か由良のクラスは、自作の湿電池を用いた大掛かりな電動装置の数々を発表すると言っていたので、担任として監修に当たっていたのだろう。
太陽の光を受け、白衣は一層白く照り映えている。
空に雲の気配は久しくなく、何かが降ってくるという一昨日の部長の予言は、残念ながら的中しなかったようだ。
「だからってこんな所で涼んでんのか。連絡先知ってんだろ」
座る枢子の膝許に置かれたスマホを見下ろしながら、顧問は言った。
「さっきから呼んでるんですけど、返事来ないんですよ」
「御厨からは?」
「そっちもないです」
「出ないってことは、忙しくてそれどころじゃねえってことだろ。お前も働けや」
「そんなこと言われても」枢子は唇を窄めて芝に掌を乗せた。「航也の奴、着替えなんか要らないって言うんですよ。それじゃあわたしの仕事が」
自分はやっぱり墓守部には不要なのかもしれない。
ネガティブな思いで溢れ返る胸中に、彼女は呼吸さえ苦しくなってきた。
「お前の仕事は荷物運びか?」
「まあそんなところです」
「違うだろ」顧問はきっぱり言い切った。「お前は物を壊すのが本業だろうがよ。お前がガラクタになってどうすんだ。壊せ壊せ。スクラップ・アンド・スクラップ」
「こ、壊すって……何壊せばいいんですか」
「色々あんだろ。墓荒らしの武器とか防具とか。連中の輝く未来とか野望とか夢とか精神とか」
「……メンタル面の破壊活動は無理かと」
反論しつつも、枢子は少しばかり思い直していた。
武器に手を出すのは怖いけれど、防具ならなんとかなるかもしれない。
「この学校のモットーは自立した精神に基づく自由だってことを忘れるな。悩んだところで事情は変わらん。指示がなけりゃ自分で動け。お前は部長の駒じゃねえんだぞ」
枢子は吹っ切れたように顔を上げた。
「判りました……どこまで通用するか自信ないですけど、やるだけやってみます。ありがとうございます、先生」
「礼は要らん。お前に言われても気持ち悪いだけだ。それにこんなことぐらい自分で気づけや」突き放すように言った顧問は、枢子が芝生に置いた右の手を見て、「おい、お前手で花潰してるぞ。いい加減気づけや」
「えっ?」
慌てて腕を持ち上げる。
掌の下敷きになっていた萌葱色の草花は、しかし丈夫な茎を伸ばしていて多少の荷重などものともしない様子だった。
枢子はそんな忍耐力の強さに元気を分け与えられた気がした。
「腕章を外してないってことは、まだやる気はあるんだろ?」
「……はい」
墓荒らしがこの腕章を目印に襲撃していることは昨日の早い時点で判ったし、実際外そうと思ったことも一度ならずあった。
けれどもそれだけはできなかった。
墓守部員の誇りを捨ててまで逃げ出すことはできない。
やむなく逃げるにしても、腕章だけは絶対に外したくない。
「なら行ってこいや。解体屋の名前が伊達じゃないことを見せてやれ」
「ちょっと不本意な名前ですけど、行ってきます」
立ち上がってスカートに付いたゴミを払った彼女は、一礼して立ち去ろうとした。
そのとき。
会話の途切れ目を狙い澄ましたかのようにチャイムが鳴った。
肩透かしを喰った枢子は拍子抜けして項垂れた。
「おっと時間だ。さあメシだメシ」
「はあ……あの、質問なんですけど、なんでこの時間だけは誰も襲ってこないんですかね」
枢子は昨日も思ったことを尋ねた。
「さあな。あっちだってメシ喰う時間がないと困るからだろ」
「そんなもんですかね」
とはいえ、栄養補給は重要事項である。
枢子は化学の成績に関して苦言を呈する顧問に閉口しながら、食堂に向かった。
――――――✂キリトリ線✂――――――
航也はあとから食堂にやって来た。
敵を追いかけて反対側の棟にまで行ってしまったらしい。
悪かったな、と一言だけ謝罪した航也は、またもやどこかへ出て行ってしまった。
もしかして、避けられているのか?
今朝二人で見回った際にも、知り合い数名に冷やかされたのを思い出す。
盟らクラスの女子たちと摂ったその後の昼食も、部活や航也に対する錯綜する思いでほとんど味わうことができなかった。
――――――✂キリトリ線✂――――――
午後の部に入り、襲撃も佳境へ。
バックパックに着替えを詰め込んだ枢子は茅逸と組になった。
そして校内を見回るに当たり、先輩よりお手玉の手解きを受けることになったのである。
当然、遊具としての扱い方ではない。
飛び道具としてだ。
「はい、枢子ちゃん」
と茅逸に手渡されたお手玉は、元の茶色が視認できぬほど白っぽい光を帯びていた。
「暫くは平気だけど、あんまり放っておくと〈反則〉消えちゃうから気をつけてね」
「は、はい」
二人は階段の踊り場に潜んでいた。
下からの刺客を待ち受けていたのだ。
生徒の大半は教師らも参加するという演劇部の発表のため体育館にいたので、この時間帯は殊に人通りが少ない。
実地訓練には絶好のチャンスであり、もってこいの場所でもあった。
数人の一般人をやり過ごしたあと、遂に墓荒らしと思しき日本刀を佩いた着流しの男を発見した。
「よし、今だよ!」
「え、えいっ!」
指導された通りにお手玉を投げつける。
光の尾を曳いたお手玉は、咄嗟に顔面を庇った男の頭上を通り過ぎ、窓ガラスを割って外に飛んでいってしまった。
「おっさん、何ボーッとしてんだい。あらゆる物を立ち所にブッ壊す、〈解体屋〉様のお出ましだよっ!」
「茅逸先輩、あの、それすっごい恥ずかしいんですけど」
「て、てめえ」
踊り場の二人に気づいた男が鞘から刀を抜き出す。
「はい、もう一発」
「え、えいっ!」
次に投げたお手玉は隣のガラスを打ち壊した。
「今の惜しかったよ。はい、もっと続けて続けて」
「えいっ! えいっ!」
空を裂くお手玉の音とガラスの割れる硬質な音が、順序良く廊下に鳴り響いた。
「てめえ、ふざけるな!」
逆手に刀を構えた男は、独特の足運びで階段に詰め寄った。
「来たよ枢子ちゃん! 早く早く」
「は、はい! えいやっ!」
今度はボッ! と鈍い音がして階段の中ほどにボーリング大の穴が空いた。
「もっと上、上」
「上ですね、ええと」
「この野郎ッ!」
男はもう間近に迫っていた。
「キャー!」
思わず顔を覆う枢子。
「うごぁッ!」
直後、男の悲鳴が踊り場に谺し、ゴロゴロゴロと階段を転げ落ちる音が聞こえた。
うっすら眼を開けると、大の字に倒れた男の口にお手玉が投げ込まれ、プスプスと白煙が唇の狭間から噴き上がっていた。
「あ、ありがとうございます……」
「任せなさい。去年に比べたら断然精度上がってるからね」一撃で仕留めた先輩は、頬を掻きつつ、「けど枢子ちゃんの場合、お手玉だとちょい軽すぎるのかもね。もっと重いほうがコントロール定まりそう」
「あの、わたしお手玉取ってきましょうか?」
「あーいいっていいって。何か投げやすい物ほかにないかなァ。あ、枢子ちゃんたちのクラス、フリマやってんだっけ。あそこなら何かあるかも。行ってみよっか」
「投げる物とか、ないと思いますけど」
……あったとしても、使い途は売り子の皆に打ち明けないほうがいいだろう。
などと話しているところへ、質素な出立ちの一人の女性が近づいてきて、階段下の男の顔を覗き込んだ。
見慣れない情景にさぞや驚嘆し、倒れた男の身を案じているに違いない。
「あ、大丈夫です。その人ちょっと寝ちゃってるだけなんで。おしゃぶり代わりにお手玉咥えて。お行儀悪いですよね、あはは」
茅逸が見え透いた嘘を吐くと、女性はフフと笑って長い前髪を掻き上げた。
「知ってる知ってる。墓荒らしでしょ」
「えっ!」
意外すぎる返答に、相手の顔を無遠慮に見やる二人。
「墓荒らしのこと知ってるんですか?」
「もちろん。それにしても懐かしいわあ。あなたたち墓守部でしょ、ほらその腕章」
「あ、失礼しました。卒業生の方ですか?」
茅逸が問いかけた。
敬語が新鮮だ。
「ええ、卒業したのはもう十年近く前ね」そう言って女性は微笑ましげに後輩たちを見つめた。「あの頃はまだ古い校舎だったけど、〈お祭り〉が始まると、こんな感じで窓ガラスみーんな割れちゃってね。破片よけて歩くのが日課みたいなものだったのよ」
「すいません……」
ここの窓を破壊した張本人が、反射的に頭を下げた。
「なんであなたが謝るの?」何も知らない女性の素朴な疑問に続いて、「そういえば、月島くん顧問になったんでしょ、墓守部の」
「ご、ご存知なんですか?」
次に尋ねたのは枢子だ。
あの問題教師の過去を知る女性。
気にならないわけがない。
「もちろん。当時から有名だったのよ、変わり者で。今もそうだったりするのかしらね」
「ええと、まあ」
現役の墓守部員たちは、同時に愛想笑いを浮かべた。
「だけど、転校したての頃は、まだ大人しかったのよ。猫かぶってたのねきっと」
「! 転校生だったんですか」
「そうよ。だって最初に来たときは敵だったんだもの」
「敵?」
「ええ。墓荒らしだったの、彼」




