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幕間 夜の校舎

 微小な月明かりに照らされながらも、闇が濃すぎるためその巨躯を誇ることなく厳かに佇立する、とある学校の校舎。

 ミッションスクール風な外観。

 校門に面した南棟。

 そこの一階に居並ぶ教室の一つ。

 その室内。

 廊下側に近い前の座席に、照明も点けず、もう長いこと微動だにしない一つの人影があった。

 生命の兆候が全く感じられない、異様な居住まい。

 呼吸の音すら発していない。

 まるで墨を全身に被った彫像か、はたまた景色に溶け込み完全に周囲と同化した名黒子か。

 それが任務ででもあるのか、壁掛け時計の秒針の振動すら聞こえそうな静寂の中、謎の影は永遠とも思える時間を暗黒と暗灰色に塗り込められた肖像画の一部のようにひたすら坐していた。

 と、前触れなく教室のドアが開き、止まり、同一の速度で閉じられた。

 次の瞬間、最初の影と相対する広い黒板の前に、新たな人影が朧気な輪郭を伴って出現していた。

 そのはっきりしない容姿の意味するところは、身に纏う奇妙な服装に起因するものだろう。

 惜しむらくは、衣装の形状共々すっかり闇に紛れてしまい……あるいはそれを意図してなのか、全容を把握するのが肉眼ではおよそ不可能だったことだ。


「お屋形様から伝言を預かっている」


 極限に声量を落とし、囁きを更に小さくしたような不明瞭な呼気が、あとから来た影のほうより発せられた。

 高めの周波数成分は女声を思わせるが、如何せん地声ではないのでその辺は判然としない。


「くれぐれも体調管理には気をつけるようにとのことだ。人数を増やせばお前の負担は軽減するだろうが、露見するリスクを考えると、そう何人も間諜を送り込むわけにはいかん。今はお前一人に頼らざるを得ない状況なのだ。判るな?」

「増員なんて端から期待してないさ。報告はそれだけか?」


 着席していた一つ目の影が、感情の籠もっていない口振りで尋ね返した。

 こちらも気持ちを伝えるには全くもって小さすぎる、辛うじて聞き取れる程度の囁き声。

 相手の声に比べると幾分低い声色だが、性別はやはり藪の中ならぬ闇の中。


「何を急いでいる。いや、怒っているのか?」

「眠いんだ。用があるならさっさと言ってくれ」

「フッ」第二の影が鼻で嘲り笑った。「餓鬼の言い分だな、八咫烏(やたがらす)


 そして滑るように教壇の後ろへ移動する。

 交わす言葉もない。

 がしかし、沈黙はそう長くは続かなかった。


「お前こそ我々に伝えることがあるんじゃないのか? 〈陵殯祭(りょうひんさい)〉の情報はどうした」


 八咫烏と呼ばれた第一の影は、返答する代わりに闇に埋もれた頭部を微かに動かした。

 首を左右に振ったようだ。


「なんだ、また手ぶらで来たのか。フン、まあいい、時期が来れば自ずと判ることだ。お前はこれまで通り調査を続けていろ」


 第二の影は更に教室の奥へと進み、窓際でぴたりと脚を止めた。


「こちらだけ一方的に情報を明かすのは釈然としないが、疲れているらしいお前に免じて今回はまあ良しとしよう……今朝のことだ。イングランド支部から連絡があった」

「イングランド?」

「ああ。しかも通常の連絡と違う、第一級の緊急連絡網を通じてだ。どうもこの学校の上層部と縁のある何者かが、ここに編入してくるらしい」


 転入生か? との問いに、そこまでは知らん、と突き放す第二の影。


「我々に確認できたのはそこまでだ。三日後の始業式の日には間違いなく姿を見せるだろう。目的その他に関しては追々調べねばなるまいが」

「そいつ、本当に関係者なのか?」

「それを見極めるのもお前の仕事のうちだ」と、第二の影は月影に乏しい窓に沿って進みながら、「向こうから接触を図ってきたなら無論だが、そうでなくと本件の最重要人物として一目置かれているのだ。判りませんでしたの一言では済まされない」

「そんな遠くからわざわざ派遣するってのも、何か裏がありそうだな」

「判ってるじゃないか。念を押すまでもなかったか。できるだけ早いうちに、敵か味方か見極めて報せてくれ。どうせ敵だろうがな」


 それまでの押し殺した声とは若干異なる、肉声に近い声つきで第二の影は言った。


「八咫烏よ、我々はお前の実力を見込んでいるのだ。毎年のように、ここの連中には煮え湯を飲まされてきた。こうして〈墓掘班〉に配属された以上、二度と失敗は許されない」

「それも判ってるよ」八咫烏が半ば遮るように口を開いた。「もう少し時期が近づけば、こっちの作業も捗ると思う。で、次回の会合はいつだい?」

「追って報せる。さほど間は空くまい」

「古文書の断片がまた見つかったんだろ? そっちの調査は進んでるのか」

「解読も大詰めに入った。もし間に合えば、その結果も伝えよう」

「了解」

「二学期が始まれば、授業のあとにでも連絡は取れるしな」

「そうだな」


 痺れを切らしたように席を立ち、戸口へと歩み寄る八咫烏。

 待て、と、小さくはあるが反論を許さない厳しい声が背後から飛んだ。


「まだ何か?」

「……いや、なんでもない」

「休み明けにやって来るとかいう奴が、そんなに気になるのか?」


 言いながら振り返る。

 弱々しい光源と圧倒的な漆黒に浮かび出た第二の影は、一番後ろの机と一体化して見えた。

 天板の上に腰掛けているらしい。


「とにかくそいつへの注意を怠るな。言いたかったのはそれだけだ。もう帰っていいぞ」

「言われなくたってそうするよ。にしても、えらく行儀が悪いな」

「フン、お前が告げ口でもするか?」

「やめておこう、あとが怖い……凡ては、〈高天原〉の安寧のために」

「さらばだ。凡ては〈高天原〉の安寧のために」


 そう呟いたのを最後に、八咫烏は跫音の一つも立てず深夜の教室を立ち去った。

 あとに残された第二の影はというと、場を離れた先客を追うでもなく、やがて上空に垂れ込めた分厚い雲が細々とした月を覆い尽くしたのちも、暗中にあって時間の制止した只中の如く根気強く黙座し続けていた。

 光は費え、物音の絶えた教室は全き闇の世界に……。

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