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第5幕 前夜祭という名のミスコンあるいは前哨戦(2)

 そんな具合で出来上がった薪と枯れ枝は一箇所に集められ、空き地の片隅でひっそりと出番を待つことになった。

 次なる作業は中庭噴水の水汲み。

 一行は中庭に移動し、自転車の空気入れを思わせる水汲みポンプを用いて水を汲み出した。

 なお、どういうわけか噴水の水は減量したまま注ぎ足しをしないことになっていた。

 〈お祭り〉期間内は水を入れない決まりらしい。

 ホースを通過した水は渡り廊下向こうの(たらい)に溜まっていき、満杯になると次の盥に注ぎ込まれる。

 ポンプがなかった昔は手(おけ)を使い、半日掛けて汲み出していたという。

 盥の管理は茅逸とエステラに任され、枢子は航也と順番で水を汲み出す役に回った。


「ポンプ壊すなよ」

「うっさいわね。疲れたから替わって」

「もうかよ」


 噴水は残った量の水で――それでも全体の三分の一はあったが――循環され、〈お祭り〉の終了後、水道管から補給する手筈になっていた。

 これも毎年のことなのだという。


「この水、キャンプファイヤー終わったあとの消火に使うんですよね」


 航也とバトンタッチした枢子は、外壁に肘を乗せた太鳳の隣に座り、質問した。

 もっと天気が良ければ、左右に結わえた太鳳の美しい髪をキラキラと光る水面が照らして、それはもう幻想的で雅やかな光景だったことだろう。

 薄汚れた灰色の空が非常に悔やまれた。


「そうだ」

「でも、結構な数の薪用意しましたよね。あれ全部燃やしちゃったら、火力強すぎて水掛けても消えないんじゃ」

「うむ。消えぬ」太鳳はあっさり白状した。「だから盥の水を掛けたあとは、消化器を使うことになる。ならば最初からそっちを使えばいいのに、と思っておるのだろう、お主」

「は、はい」

「そうはいかんのだ。儀式とは得てしてそんなもの。これは単なるキャンプファイヤーでなく、〈水取りの儀〉という(れっき)とした儀式なのだからな。お主の個人的な一存で、そう容易く変えるわけにはいかぬ」

「はぁ……そうですね」


 名前からすると、この汲み取り作業のほうが儀式に近い感じがする。

 なんとなく。


「まあ、かくいう妾も去年お主と同じことを口にして、副部長に(たしな)められたのだがな」


 そう言って太鳳は小さく舌を出した。

 枢子も釣られて笑い出す。


「それも含めて、伝統というものは代々受け継がれていくのだ。オスターバーグの名を襲名した、彼奴のようにな」


 鎖から解き放たれたオスターバーグは、しかし草を(むし)っている副部長の横で従順にお座りをしている。

 何故にこうも自分に対する態度と違うのか。

 枢子は草毟りの姿すら可憐な副部長を、羨ましげに見つめた。

 校舎の高い窓から、おーい航也ァ頑張れよー、と声が掛かる。

 クラスメイトの男子だ。

 片手を挙げて応じる航也。

 直後、チャポンという水音。

 ふとした弾みで水面を跳ねた水の粒が航也の腕に飛びついた。


「リストバンドが濡れてしまったな」


 太鳳が気遣わしげに言う。


「…………」


 航也は無言のまま作業に戻った。


「肌身離さず身に着けておるようだが、お主のプレゼントか、あれは?」

「そんなわけないですよ」


 やがて、渡り廊下の方角から茅逸の声がした。

 交差するように大きく両手を振っている。

 ストップの合図だ。

 水汲みポンプを片付けたのち、一同は手分けして校内の見回りに取りかかった。

 部長と副部長、茅逸とエステラ、そして太鳳と枢子という組み合わせだ。

 航也は独りである。

 太鳳に続き校舎に入った枢子は、職員室前の廊下で早速珍妙な光景に出くわした。


「いやーそうですな。明日明後日は快晴ですから、まぁ外のほうは問題ありませんよ、あっはっは」


 きびきびした足取りで廊下を歩くスーツ姿の若宮先生の隣に、鼻の下を伸ばしまくった顧問の月島が揉み手をするように付き従っていた。

 そういうことは、せめて人のいない場所でするのが大人の嗜みではないのか。

 枢子は愛想を尽かしてこめかみを押さえた。


「月島先生、何をしておるのだ」


 呆れ顔で言う太鳳。


「おお簓木か。いやな、若宮先生が中庭の様子を見たいというんで、案内して差し上げようかと……なんだお前ら、もう見回りか。やけに早いな。水はちゃんと引いたのか」

「若宮センセ、気をつけたほうがいいですよ」

「えっ?」


 枢子に言われた担任は、薄いアイシャドーに彩られた眼を円くした。


「おい嗣原ッ。煩いぞお前コノヤロー。おら、どっか行け」


 教師にあるまじき悪態に、枢子はベーと舌を出して通り過ぎた。


「あんなんでよく教師が勤まるものだ」


 終始デレデレしっ放しの月島と、思いっきり困惑していた担任の姿が角を折れて見えなくなったのをいいことに、太鳳が正直な感想を洩らした。


「ホントですよ。こないだも、たまには部活に顔出してくださいって言ったら、訳の判らない化学式の説明なんか始めて」

「酷い煙の巻き方だな。一度モンスターペアレンツの餌食(えじき)になってしまえばよいのだ」

「はい……でも、あの調子だと月島先生には靡きそうにないですね、若宮先生。良かった良かった」

「そうか? あの二人がくっつけば、桐沢を狙う女狐(めぎつね)が一人減って、お主には好都合ではないか」

「なな、何言ってんですかもう。しかも女狐って」

「なら女豹(めひょう)かの」

「そういう問題じゃないです」


 一つ一つ、ドアの前に立って教室の中を眺めてみる。

 床に模造紙を並べ、何やら集団で書き(つづ)っているクラスや、お化け屋敷でも造るのか暗幕を張っていて室内が全く窺い知れないクラス、校舎の精巧なジオラマを製作しているクラスもあった。

 室内の作業内容は当然バラバラなのに、どの教室にも歴然たる共通点がある。

 それは文化祭が差し迫ったとき特有の、あの奇妙な高揚感だ。

 着々と出来上がっていく舞台を見るような、全員で何かを協力して作り上げていくときの、あの不思議な連帯感。

 協力者はおろか、非協力的な者まで強制的に巻き込んでしまう、あの浮き足立つような心躍る感じ。

 根拠は乏しくとも、何かが起こりそうな期待感。

 廊下にまで蔓延(まんえん)する、熱病っぽい浮ついた感覚。

 各教室を巡る枢子の心を否応なく満たしていくのは、そんなそわそわするような、焦燥感にも似た気分の高まりだった。


「みんな楽しそうですね」

「妾たち墓守部員には、それを楽しむ余裕などないがの。ま、今だけでも共有させてもらおうか、この心地好い興奮を」

「はい!」


 そんな二人の気持ちを察してか、窓ガラスの向こう、折しも(よど)みきった西の曇り空はモーセの訴えを受け容れるが如く裂け始め、遥かなる大地に神々しく陽の光を降り注いだ。


「うわーきれいな空ですね」

「ヤコブの梯子(はしご)だ」

「へえ、ヤコブの梯子っていうんですか」

「うむ。チンダル現象ともいうが」

「オー、ジェイコブズ・ラダーね! ヤコブの梯子ヨ! チハヤサーン、見るよろし」


 聞き慣れたエステラの高い声が、反対側の廊下から聞こえた。


「はいはいヤコブヤコブ。ただのチンダル現象だってのに、テンション高いねェあんた」


 明らかに持て余し気味の、茅逸の低い声がそれに続く。


「あなたロマンなさすぎネ。今日びのジャパニーズは皆そう? 神秘を解さない人、わちき嫌いヨ」

「はいはいロマンロマン」

「ちっともロマンを感じてない言い方ネ!」

「なんかマロングラッセ食べたくなってきたよ。あんた持ってない? なんならマカロンでもいい」

短剣(マンゴーシュ)喰らわせたいね!」

「マンゴーも悪くないねェ」


 軽口と怒号の応酬に、枢子は吹き出す寸前の太鳳と見つめ合う。


「……楽しそう、ですね」

「だな」


 そして同時に笑った。

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