第5幕 前夜祭という名のミスコンあるいは前哨戦(1)
「光陰矢の如しネ」
「ど、どうしたの急に」
「わちきがこの学校に来てから、もう二週間ヨ」
空は今にも泣き出しそうな曇天だったけれど、校内は〈お祭り〉こと〈陵殯祭〉の準備に向け、大いに活気づいていた。
午後の授業が丸々潰れたことによる解放感も、そんな賑わいを後押ししていた。
文化祭前日。
墓守部の一年生部員三人は、独断と偏見によるクラス内フォトコンテストとフリーマーケットを出店するという一年一組の準備組に別れを告げ、集合場所である校舎裏に行く途中だった。
「そっかぁ。もうそんなに経つんだ」
「色々あったネ。ムラサメ使いに襲われたり、スーコとコーヤが仲良くミスコンに立候補したり」
「立候補してねえし仲良くもねえよ」
二人の後ろを歩いていた航也がすかさず突っ込む。
仲の良さまで否定して。
「盟が勝手にエントリーしちゃったんだよ。わたしたち参加できないって言ったのに、無料なんだしいいじゃんって」
そもそも学年を問わず選出するのだから、墓守部の部長と副部長で誰にも異論はないはずなのだ。
それが二人揃って出場を辞退するせいで仕方なくほかの生徒から選ぶということは、つまり実情の伴わない名前だけのコンテストに過ぎないのである。
「暇になったら是非出てほしいネ。わちき必ずや観に行くヨ。で、応援しまくり」
「絶対行かねえよ」
ともあれ、謎の刺客に襲われたのは、幸いにもエステラの転校初日のあれ一度きりだった。
ほかには大した出来事に見舞われることもなく、こうして無事〈お祭り〉の準備にまで漕ぎ着けたわけだ。
転校早々大立ち回りを演じたエステラも、一見取っつきにくいその美貌からは想像もつかない愛すべきキャラクターで、今やすっかりクラスに馴染んでいた。
枢子を差し置いて航也と親密に結びつくようなこともなく、どちらかというと航也がエステラを避けている挙動さえ見られた。
何か彼女に対して思うところでもあるのだろうか。
玄関から自転車置き場やブロック塀に挟まれた脇道を通って裏手に出ると、手斧を持った先輩の一人が坂を登った先の雑木林手前で大きく手を振っていた。
「おーい、こっちこっち」
「スーコ」枢子の耳許にエステラが囁きかける。「チハヤサン、ヘンデックスがお似合いネ」
「ヘンデックス? ……あ、ハンドアックスね。って、聞かれたら攻撃されるよ」
「心配ご無用。受け止めてみせるネ。脳天唐竹割り対わちきの真剣白刃取り。名勝負ネ」
「お前絶対日本人だろ」
三人並んで坂の上へ。
他の部員も先に来ていたらしく、顧問以外はこれで全員集合だ。
のみならず、上下ジャージの男子生徒の姿も四、五人ほど見える。
彼らが運搬係だろう。
枢子はふと不思議に思った。
私有林を伐採すると聞いていたので、もっと大掛かりな道具を使うのかと思いきや、それらしいものと言えば茅逸の片手サイズの斧と、あとは太鳳の刀剣くらいだ。
三年生の二人は何も手にしていない。
その部長は、男子生徒らと一年生部員に少し離れるよう命じると、
「では太鳳さん、茅逸さん、お願いします」
繊細な声で言い、自身も僅かに身を引いた。
「ほいきた。んじゃ、ちゃっちゃと片付けちゃおっか」
別個の樹木の傍らに立つ茅逸と太鳳。
いずれも夏服姿である。
山毛欅にしては細目の幹だったが、樹の高さは三、四メートルあまり。
「のう茅逸。賭けの内容がまだ決まっておらぬぞ」
「あ、そうだったねェ。じゃあ、負けたほうは巫女さんルックで阿波踊りにしよっか」
「たわけ。妾はともかく、お主なら喜んでやりかねんではないか」
「あんたさ、あたいをなんだと思ってる?」
「〈カフェ・ド・モルガン〉の高級メニューを奢る、でどうだ?」
「乗った」
何やら校舎の辺りが騒がしい。
振り返ると、どこで嗅ぎつけたのかラグビーの試合ができそうな人数の見物客がざわざわと屯していた。
「では行くかの、せーの……」
「どぉりゃあーっ! 〈輝きな! 邪魔な奴らをブチ壊す砕破の気合よッ〉!」
「〈柔にして剛なる利剣〉、ふんっ!」
それぞれの気合を発して、二人はほぼ同時に樹の幹に刃を打ち込んだ。
明暗は一瞬にして別れた。
尚も剣を振るい、幹に幾筋もの深傷を与えていく太鳳に対し、茅逸の斧は最初の一撃で幹を両断していた。
スローモーションの映像のように、ゆっくり向こうへ倒れていく樹木。
「う、嘘ぉ……」
「なんという膂力ネ……!」
随所から挙がる、呻きにも似たどよめき。
「スーコ、チハヤサンのアックス、刃の部分が変ネ」
エステラが鋭く指摘する。
確かに刃の色がおかしい。
薄ぼんやりと光っている。
「あれが茅逸先輩の〈反則〉だよ。物体にオーラ型の〈反則〉を乗せて攻撃力をアップさせるの」
枢子が説明する。
初めて見たエステラは、こちらも斧に負けじと瞳を爛々と輝かせた。
「オー、魔法付加マスターね。チートモード発動、マジパネっす、マーヴェラス!」
倒れた樹木に駆け寄り、更に第二撃、第三撃と打ち下ろす茅逸。
振り上げた手斧は、幹にぶつかる際に一層その蒼白い輝きを増すかに見えた。
そうして茅逸が矢継ぎ早に切断を進める頃、漸く太鳳も一本の樹を伐り倒し終えた。
その後の進捗状況は、太鳳も負けてはいなかった。
力で劣る分、樹を正確に切り分ける細かい作業は太鳳のほうが遥かに秀でていた。
「よっしゃー、一丁上がりィ! モルガン特製ケーキセットいただき」
乱雑に転がる大量の材木を前に、茅逸が斧を置いてガッツポーズを取る。
自然と沸き起こる拍手やら歓声。
遅れることおよそ三十秒あまり、終了の合図代わりに額の汗を拭った太鳳は剣先で相手の足許を指して、
「お主な、サイズがてんでバラバラではないか。そんな手抜き作業で、どうやってキャンプファイヤーの土台を組むのだ」
手厳しく指摘するだけあって、太鳳の足許に積まれた材木は形も整っており立派な仕上がりだった。
これにもスゲースゲーと野太い声が上がる。
「えーっ、スピード勝負なんだから別にいいじゃん」
「ふん、ノーカンだこんなもの。そんな見苦しい切り方でいいのなら、妾のほうがもっと早く終わっておったわ」
「なんならもう一回仕切り直すかい?」
「茅逸さん、今年の分はもう充分ありますわ。どうしても白黒はっきりつけたいとおっしゃるのでしたら、来年にでもお願いします。今回は両成敗ということで」
「ちぇーっ」
決着はお預けとなった。
キャンプファイヤー用の木材を男子生徒に運んでもらい、校舎裏には墓守部員だけが残った。
ここでの作業はまだ終わっていない。
燃やすための薪作りと、枯れ枝拾いがある。
「枢子ちゃんもやってみれば? 結構面白いよ」
「何言ってんですか」軍手を嵌める動作をピタリと止め、枢子はブルブル頭を振った。「無理ですよ。百パー無理」
「できないこたないって。あたいが〈反則〉乗っけてやれば。そうすりゃ切れ味増すんだから」
「遠慮します……」
この手の作業に不向きな枢子は、独りで落ちている枝や燃えそうな物を集めることになった。
部長と航也は少し離れた足場の良い箇所で、早くも手斧を使って薪を割り始めている。
会話は少な目だが、なんだかお互い和気藹々としていて楽しそうだ。
男二人の怪しい雰囲気に、少なからず羨望の眼を向ける枢子であった。
「エステラさんだったら、長剣で似たようなことができるのではありませんか?」
「こんな太い樹はさすがに伐れないヨ」エステラは持参した短剣で木材をざくざく削りながら、「わちきが使うケルトの戦女神マッハの聖像は、蝶みたく舞って蜂みたく刺すタイプの剣だから、重労働には不向きネ。だけんども、あれがあれば、ものの数分でこの山を禿げ山にしてしまえるけんどもネッ」
「あれって何?」
「あ」と口を押さえ、言ってしもうたと顔を歪ませたエステラだったが、周囲より突き刺さる好奇の視線に耐えきれず、観念したように息を吐いた。「本当は届くまで内緒にしたかったけんども、しょうがないネ。今言ってしもたのは、わちきの秘密兵器ヨ」
「秘密兵器?」
「わちきの母国で開発中なのヨ。〈聖ジョージの槍〉の話は前にしたよネ」
こっくり頷く枢子。
キリスト教伝説に登場する聖人の一人である聖ゲオルギウス――ラテン語形らしい――は、英語名を聖ジョージといい、十一世紀から十二世紀にかけて成立したとされる悪龍退治の逸話で人口に膾炙している。
むろん、枢子には初耳だったが。
エステラが伝え聞いたウェールズ地方の口伝によると、復活祭の折、聖ジョージの所有物たる〈槍〉が墓地のどこかに出現し、プレスター・ジョン復活の先触れとなるのだという。
一時はミスコンの景品がそれなのではと真剣に疑ったりもした彼女だが、さすがにそういった事実はなかった。
ただ、問題の秘密兵器というのはその威光を借りたというか、伝説の槍を模したものであるらしい。
「今月初めの段階で最終調整に入ったみたいだから、もうじき完成すると思うのネ。詳しくは言えないけんども、コレ凄まじいヨ。悪い墓荒らしどもを一網打尽ヨ。他国のスパイにも全貌を知られていない重要機密だし」
「その重要機密を、ついうっかり喋っちゃったの?」
「そ、そうなのネー」泣きそうな顔で枢子にしがみつくエステラ。「国の同志にバレたら打ち首獄門免れないヨ。今の、どうか聞かなかったことにしてほしいネ、ネ、ネ?」
「心配要りませんわ。ここにはスパイなんておりませんから」
うむうむと頷く太鳳。
茅逸はグッと拳を握り、
「でも、もしその槍届いたら、絶対あたいたちに見せてよね。約束だよ」
「オーケーオーケー、必ずや見せてご覧に入れます、見せます、見せる、見せてやるネ」
「どうして言い方を悪いほうに変えるのだ」
どんな兵器なのか気になるところだけれど、それ以上蒸し返されるのをエステラがとてもいやがったので、枢子は袋片手に林の中へ入ることにした。
「わたし行ってきますね」
「うん、頼んだよ。独りで行くのが怖いなら、部長んとこにいるもう一人のエントリー相手連れて行ってもいいよ」
「……独りで行ってきます」
皆と離れての単独行動。
刺客に襲われることはなかったものの、枝や枯れ葉に取りついた虫の類は枢子の肝を大いに冷やしてくれた。
本気で名無しのあいつに追い払ってもらおうかと考えたほどだ。
「なんか、独りでキャーキャー言ってたねェ」
袋一杯に小枝を入れて戻ってきた枢子は、絵に描いたような疲労困憊状態だった。
「話し相手もいないのにあれだけ騒げるのは、一種の才能だぞ」
「自分の背後霊にでも出くわしたの? 不思議ちゃんは霊感強いコ多いのネ」
「うーん喚ぼうか迷ったんだけどね……」
「なんだそりゃ」