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幕間 夜の校舎三たび

 その夜。

 完全に陽が没して数刻のち、果てしない漆黒の空に君臨するはずの月は、広く立ち籠めた厚い雲にその顕現を阻まれ、下界は人工の光のみで不自由な視野を補うしかなかった。

 中でも物寂しいのは深夜の校舎である。

 森閑(しんかん)と静まり返る中庭。

 地中に喰い込む杭と繋がった細い鎖は、そのまま犬小屋の中へ続いていた。

 生き物の気配の全くない直線廊下。

 教室の内側に映り込む矩形(くけい)の窓枠は、生憎の悪天候で机や床に朧に浮かぶばかりだ。


「なんの真似だ、あれは」


 相手が来るのを待ち侘びていた八咫烏は、もう一つの人影が入ってくるなりそう切り出した。

 ついぞ聞いたことのない、感情を乗せた声色である。


「そう息巻くな。一刻も早く転入生の正体を知りたかったんでな。小手調べに過ぎん」


 (なだ)(すか)すように言い、あとから来た影はマントの下から顔を持ち上げた。

 不吉な笑顔を(たた)えた仮面が、薄ら寒い白さと黒さを真ん中の境界線を挟んでくっきり際立たせていた。


「ついでに簓木太鳳の実力も判ったしな。我が〈言祝(ことほぎ)〉の敵ではなさそうだ。嗣原枢子は……去る直前に暫し様子を見てみたが、よく判らなかった。まあ無視しても構わんだろう」

「…………」

「問題は件の転入生、生籟エステラだ。どの程度の実力かと思いきや……正直、拍子抜けだ。恐るるに足らん」

「強気だな」

「弱くはない。剣捌きには見るべきものがある。だが、あの程度ではわざわざ第一級の緊急連絡網を用いて通達を受けるほどではない。イングランド支部も誇張が過ぎたようだ。とはいえ、〈痣〉の持ち主という可能性もある。用心に越したことはないがな」

「〈痣〉か」八咫烏が虚ろに呟く。「その転校生なんだが……他にも妙なことを口にしていたぞ」

「ん?」


 仮面は虚空を見据えたまま、続きを促した。


「プレスター・ジョンという伝説の王の墓が、ここにあると言っていた。それだけじゃない、〈陵殯祭(りょうひんさい)〉が実はその王の復活祭でもあるとか」

「ほう。プレスター・ジョンとは、珍しい名が出てきたな」

「知っているのか」

「かつて東方の三博士の子孫と目され、インドの王と署名された手紙が中世ヨーロッパに流布したことがあったという。その逸話の発端である伝説上の君主がプレスター・ジョンだ」

「インドの王なのか」

「現実的な答えはノーだ。彼が治める国は理想的なキリスト教国家であると目され、のちの大航海時代に連なる大規模な航路探索の原動力の一因となったが、結局そんな国も王も見つからず、キリスト教徒の熱狂的な信仰が生んだ、架空の人物と結論づけられた。そのはずだったが」

「ちょっと待て、インドってことは、まさか転輪聖王の……」

「逸るな。共通点はお前が思っているほど多くない。インドという地名と、聖なる王という位階の類似程度だ。プレスター・ジョンの国は、あくまで西欧文化の視点によるものなのだ。うろ覚えだが、中央アジアにあったという説や、果てはエチオピアやジンバブエなどアフリカ大陸にあったとする説まで浮上したらしい」


 八咫烏は席上で身動き一つせず、大人しく話に聞き入っている。


「だが、こうも言えるかもしれん。それだけ諸説入り乱れていれば、墓地が日本にあると考えるのも(あなが)ち突飛な発想ではない、と。当時のヨーロッパにしてみれば、中央アジアも極東の小さな島国も、東方にある得体(えたい)の知れん国家という意味では大差なかろう。それに転輪聖王とプレスター・ジョンは、どちらも時代を超越した、衆生(しゅじょう)の希望や理想の具現という側面を持っていた。少しくらい似ていてもなんら不思議ではない。我ながら牽強付会(けんきょうふかい)が過ぎる気もするが」

「ガチガチの合理主義者だと思っていたが、意外とロマンチストなんだな」

「フン、そう言うな。転校生の小娘には、全く逆のことを言われた」

「……?」


 笑みを押し殺すように、仮面は無機質に笑う口許を軽く押さえた。


「そろそろ本題に入る。襲撃計画についてだ。取り敢えず前夜祭の日に、陸耳(クガミミ)を送り込むことにした」

陸耳(クガミミ)?」

「古参だが、お前は知るまい。我々のような正規の〈墓掘班〉には属さない、土蜘蛛の一派だ」

「有能なのか?」

「〈言祝(ことほぎ)〉の実力はあるが、問題も多い。何より粗忽(そこつ)者だ。本隊では手に余る」

「それでも敢えて送り込むと。要は厄介払いってわけか」

「前夜祭だからな。適度に掻き回してくれればそれで充分」

「他の生徒たちには手を出さないんだよな」


 確認というより強請(きょうせい)に近い声音が、八咫烏の口から洩れ出た。


「そうか、お前は初めてだったな。襲撃に加わるのは」仮面は第一の影の近くに座ると、神経質そうに机をコツコツ叩いた。「お屋形様のお達しに変わりはない。襲っていいのは墓守部員のみ。その他一般人を巻き込んではならん。ややこしくなるばかりで意味がないからな」

「……()()()()に該当しないからか」

「その通り。戦闘は言わば、〈痣〉の持ち主を見つけ出すための呼び水なのだ。限界まで連中を追い込まねば、〈白狛〉は動かんだろう。そのあと何が起こるかは誰にも判らん。だが、究極の力への道は確実に拓けるはずだ」


 仮面はゆっくり席を立った。


「プレスター・ジョンの話、楽しく聞かせてもらったよ。有益な情報だった」

「厭味かよ。とてもそんなふうには思えないが」

「そう腐るな。〈復活祭〉なるタームは、〈金輪王陵縁起〉の信憑性を裏付ける補完材料となりうる。それにこの手のブレインストーミングは、新たな戦略を練る上で重要な役割を担っているのだ。(ないがし)ろにはできん」

「…………」

「そうそう、お前は〈聖ジョージの槍〉という言葉に憶えはないか?」


 否定を意味するのであろう沈黙で応じる八咫烏。


「そうか。転校生の小娘がそんなことを口にしていたのでな、少し気になったのだが。まあいい」


 そこで言葉を切り、戸口に足を進める。


「終わりか?」

「ああ。何か面白い情報が入ったら、随時受け付ける。(ただ)し、この時間帯の会合は今日までだ。当日為すべきことは判っているな?」

「適当にやるさ……待てよ、犬はどうするんだ」

打猴(ウチサル)たちに任せるが、首尾良く果たせなかった場合は、お前が解き放て」

「判った」

「凡ては〈高天原〉の安寧のために」

「凡ては〈高天原〉の安寧のために」


 そのまま出て行くかに見えた仮面は、クルリと首だけを影のほうに向けると、


「そういえば八咫烏、腕に着けているそれ、夜は必要ないんじゃないか?」

「おい、符牒(ふちょう)のあとの私語は駄目なんだろ」

「構うものか。最初に破ったのはお前だ」

「言ってくれるじゃないか……昼夜は関係ない。俺は汗かきなんだよ」


 笑ったように肩を揺らし、仮面は教室の外へと消えた。

 長い沈黙。

 八咫烏は机に手を置き、決心したように上体を持ち上げた。

 手首に巻いた黒い帯……リストバンドが一瞬だけ机を背景に浮かび上がったが、手を離すと再び擬態のように闇の中に溶暗していった。

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