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第4幕 エステラという名の転校生(しかも刺客?)(3)

 枢子は血の気が引いていくと同時に、金縛りにでも遭ったようにそこから一歩も動けなくなった。

 とんでもないことが起きている。

 それは理解している。

 なのに全身が、思考についていってくれない。

 助けを呼ぼうにも声も出ない。

 仮面の攻撃は激しさを増す一方で、刀と剣のぶつかり合う音も次第に大きくなっていく。

 一際大きな音がして、弾かれた太鳳の剣は抛物線(ほうぶつせん)を描いて離れた歩道の上にカラカラカラと落ちた。


「ぐうっ!」


 顔を歪め右腕を押さえる太鳳。

 その鼻先にギラリと輝く日本刀を突きつける仮面の剣士。


「お主……墓荒らしか」


 仮面は問いに答えず、身を(ひるがえ)して脇腹に飛んできた剣先をはらりと躱した。

 路上に落ちたはずの剣を拾い、すぐさま突きを繰り出したのは……誰あろう異国の転入生エステラだった。


「〈マッハの(アイコン・オブ)聖像(・マッハ)〉!」


 グローブを着けたまま半身に構え、空いた手でバランスを取りつつ強烈な突きを幾度も放つ。

 その姿は、いつか枢子が見たフェンシングの試合をまざまざと思い出させた。


「だ、大丈夫ですか?」


 動かぬ脚を叱咤(しった)しつつどうにか太鳳の許に(さん)じた枢子は、彼女の親指の関節が赤く腫れているのを見て息を呑んだ。


「大丈夫だ、痛くないと言えば嘘になるが。それより、」太鳳の視線は、眼の前で繰り広げられている剣捌きの応酬にすっかり吸い寄せられていた。「あの太刀筋を見るがいい。流派は異なるがどちらも達人クラス。妾の如き俄仕込(にわかじこ)みとは訳が違うぞ」


 枢子は太鳳が痛めた手の先にそっと我が指を触れながら、只々(ただただ)経過を見守るしかなかった。


「不意討ちとはブシドーの欠片もないネ。名を名乗れ! 白黒仮面(モノクローム・マスク)め」


 怒声を上げ剣を振るうエステラ。

 対する敵方も鮮やかな手つきで攻撃を悉く受け流す。

 太鳳は右手を枢子に預けたまま、注意深く左手を掲げ、照準を合わせるように標的を睨みつけた。


「無理か……距離が近すぎる」


 鍔迫(つばぜ)り合いは尚も続いたが、相手のタイミングを掴んだのか、謎の仮面剣士は一瞬の隙を突いて胴を()ぎ払いにかかった。


「キャッ!」


 辛くも受け止めたものの、そのせいでエステラは大きく体勢を崩してしまった。

 ここぞとばかりに(おど)り掛かる剣士。


「出でよ、ミネルヴァの反則〈柔にして剛なる羂索〉!」


 そう叫んだ太鳳の掌から、今度は風を切る速さで分銅の付いた鎖が飛び出した。

 冷静に分銅の突進を避けた剣士は、しかしありえない角度に方向転換した鎖の動きについていけず、刀身に鎖をグルグル巻きつけられ攻撃を封じられた。


「見たか、妾が鎖分銅の威力。エステラ、今だ!」


 興奮した口調で太鳳が命じる。


「オーケーね!」早くも体勢を整えたエステラだったが、ふと鎖の巻かれた刀に眼を向けると、「あれ? 刃が濡れてる……」


 彼女の言う通り、その刀身は水底から取り上げたような瑞々(みずみず)しい水気を帯びていた。


「『抜けば玉散る氷の刃』……まさかそれ、ジャパニーズ・ムラサメ?」

「〈見よ、夜露に濡れし白銀の凶刃〉……()ッ!」


 気合一閃。

 初めて聞くその声は、口を覆う仮面のせいで幾分くぐもっていた。


「最後の悪あがきのつもり? みっともないネ」


 騎士のように身構えるエステラをよそに、剣士がゆっくり刀を下に引くと、あろうことか銀の鎖は幾つもの滑らかな断面を残し、バラバラと無残に零れ落ちた。


「しもうた……!」


 慌てて剣を繰り出すエステラを悠然と躱すと、仮面剣士は相当な距離を置いて立ち止まった。


「小娘。〈聖ジョージの槍〉とはなんのことだ?」


 ムッとして美しい表情を強張らせるエステラ。


「シャラップ。耳がいいのは認めるけんども、誰が教えるか、ネ!」


 ……何かが聞こえる。

 場違いな音を意識上に捉えた枢子は、もっと耳を澄ませた。

 やっぱり聞こえてくる。

 人の声だ。

 どこか遠くで、誰かが、大きな声を上げている。


「……ぉーぃ、何やってんだぁー?」


 月島先生だ。

 遥か後方からの大声が、はっきりと聞き取れた。

 いついかなる時でも頼りない、本当にろくでもない顧問だが、今回ばかりは天から発せられた救いの声のように神々しく響いた。

 かといって、加勢に(あたい)するほどの身体能力を持っているわけでもない。

 それでも、ここ一番というときに〈教師〉という肩書が(もたら)す安心感は、事態が事態なだけに計り知れないものがあった。


「まあいい、お前が敵と判っただけでも収穫としておくか」


 剣士は刃先を下に向け、エステラに対してそんなことを言ってきた。

 刃の尖端から玉の雫が一滴、二滴と落ちて地面を濡らした。


「どういう意味ネ?」

「言葉通りの意味だ。お前は味方ではない、とな。それに勘違いも甚だしいが、この刀は村雨などという妖刀の類ではない。この水滴はわたしが〈言祝(ことほぎ)〉で()()()()()いるんだ。そこの勝ち気そうな女の鎖と同じようにな。そもそも村雨などお(とぎ)話の中の得物だろう」

「あなたロマンがないネ。そんなの詰まらない人生ヨ」

「ふん、その腕前がありながら、敵の武器に見とれるというのだから呆れるわ」

「シャラップ。あなた何者?」


 顧問の声は輪をかけて大きくなった。

 冴えない容姿のその隣に、航也の姿も見えた。

 頭数だけなら五対一。

 戦力外の顧問と枢子自身を除外して、実質三対一といったところか。

 異変を察した航也が疾風の速度で駆け寄ってきた。

 最早これ以上の戦意はなさそうだったが、謎の刺客は虚ろな笑顔の貼りついた仮面を、何故か枢子のほうに数秒ばかり向けていた。

 背筋を寒気が走った。

 立て続けに。

 そのあとは一言も発することなく、剣士は歩道を外れ、最小限の整備しかなされていない樹々の合間に滑り込み、幻のように消え去ってしまった。

 数歩追いかけたエステラも、無駄足だと判ったのか天を仰ぎ見たのち、フゥと嘆息(たんそく)した。


「スッゴいスゴい! スゴすぎるよエステラちゃん!」


 手を叩いて喜ぶ枢子。

 当のエステラは片膝を突き、歩道に散らばった鎖の破片に興味津々の模様である。


「やりおるな、お主。フェンシングの心得があるようだが、かような剣士と互角に渡り合うとは大したものだ」

「お褒めに(あずか)り光栄ネ。今の剣術がわちきの聖像(アイコン)なのネ。短剣(マンゴーシュ)があればもっと活躍できたけんども。それよか、これこれ、この鎖のほうがマジパネっすヨ。どんな仕組みなの」

()()()()()のだ。あの仮面が言っていたように、〈反則〉の力でな。これが武芸神ミネルヴァの名を(いただ)いた、妾の〈反則〉である」

「つ、創ったの? アンビリーバボー。水滴は結露でもできるけんども、こっちはそうはいかないヨ。アポーツよか不思議ネ」

「アポーツ?」


 遠方にある物体を瞬間的に引き寄せ、出現させる超能力のことネ、とエステラは答えた。


「異界より引き出すという意味では、妾の鎖もそのアポーツとやらに含まれるやもしれぬ。〈反則〉の利点は、まあさっきみたいに切断されなければの話だが、飛ばす方向も意志の力で自在に操れる上、ヨーヨーのように手の内に引っ込めることもできるということだ。妾は剣術よりこっちのほうが得意なのでな。間合いが微妙だからして、使える状況は限られてしまうが」


 航也にだいぶ遅れてやって来た顧問は、要領を得ない顔つきで視線を彷徨(さまよ)わせた。


「なんか今、おかしな奴いなかったか? 黒ずくめの」

「大変だったんですよ、太鳳先輩が襲われて」

「襲われただと? さては墓荒らしか」そう言った顧問は悔しげに唇を噛んで、「ちきしょう、爆弾でも持ってくりゃ良かったな。こんな時期に来るなんてフライングもいいとこだ。おい簓木、怪我はないか」

「少し手を痛めたが、問題ない。明日には治るだろう」


 思い詰めた顔で枢子が覗き込むと、さっき見たときより明らかに腫れが引いている。

 この分なら誇張でもなんでもなく、すぐに治りそうだ。


「ああ良かった、本当に」


 そんな回復力の速さに、尊敬の念をより強くする枢子であった。


「俺はまた、お前ら二人が仲良くお手々繋いでるところへ桐沢が飛び込んでいったもんだから、痴情の(もつ)れか何かだと思ったぜ」

「なんですかそれ」

「想像力を(たくま)しくしすぎなのだ」

「オー、それ素晴らしいことです。豊かなイマジネーションこそあらゆる創造的行為の源泉ネ」

「おおっ、お前が噂の転校生・生籟エステラか」顧問は異国の少女に向き直って、「話は聞いてるぞ。お前も〈反則〉使うんだろ?」

「あなた先生ですか。わちきの国では聖像(アイコン)と呼んでるのネ。ひょっとしてあなたなら聖像(アイコン)のことご存知?」

「知らん」にべもない返答だった。「そんなことより、俺が墓守部顧問の月島だ、ヨロシクな。どうだ、ウェールズ界隈じゃついぞ見かけぬイイ男だろ。けど、あんまりカッコ良すぎるからって惚れてくれるなよ。俺様はガキンチョにゃ用はないんでな」

「オー、マイガーッ、これでも先生なの? 日本は教員の採用基準甘過ぎ」


 生徒たちの爆笑と最年長者の怒号が、平和の戻った並木道に(こだま)した。


「お前怪我ないのか、枢子」


 場が落ち着いたところで航也にいきなり声をかけられ、枢子はエッと相手の顔を見返した。

 真剣そのものの表情。枢子の心拍数は驚異的な跳ね上がりを見せた。


「な、ないないない。全然ないってば。何言ってんのもう」


 あははははとわざとらしく大笑いし、照れ隠しに航也の二の腕をバシバシ叩く。


「痛えよ」

「ほら、エステラちゃんが追い払ってくれたし。すごかったんだよ、エステラちゃんの剣の腕前。フェンシングの達人なんだよ」

「そうか、見てみたかったな。お前エステラに剣術教えてもらえよ」

「無理無理。あたしなんか全っ然上達しないもん」

「お主……妾の教え方を遠回しに非難しておるのか?」

「あ、いえ、そういうわけじゃないですよ!」


 太鳳の瞳に陰険な光が差し込んだ。


「航也よ。お主はエステラに剣を教わるがいい」と航也の肩を叩き、続いてエステラの肩にも手を置いて、「そして枢子の見ている前でイチャイチャするのだ。存分に乳繰(ちちく)り合うがいい。こやつが歯軋(はぎし)りして悔しがるほどにのう」

「ちょ、ちょっと先輩」


 いかん。

 航也と白皙(はくせき)の美少女エステラがくっついてしまっては。

 このままじゃまずい。

 押し寄せる後悔の念に枢子は頭を抱えたくなった。


「間に受けるなよ。冗談に決まってるだろ」


 どこまでも冷静な物言いの航也。

 ふふんと胸を張る太鳳。

 これじゃまるで独り相撲だ。

 度重なる不本意な事態に、枢子は押し黙り俯いてしまう。

 そんな枢子の肩に、優しいエステラは純白の手をかけた。


「ノープロブレムよ。それにわちき、スーコのステディ横取りするほど野暮じゃないヨ」

「うわっ違うよエステラちゃん! そんなんじゃないって」

「なんか物凄く勘違いしてないか……」


 極めて冷静なステディ候補に、枢子はほんのちょっぴり落胆した。

 しかも、今日顔を合わせたばかりの転校生にさえ、航也との微妙な関係を知られてしまうとは。

 というより、傍目には瞭然(りょうぜん)のことなのか?


「お前ら痴話喧嘩はよそでやれや。そんなもんオスターも喰わねえ」顧問が吐き捨てるように言う。「とにかくだ、寮に帰るまで気ィ抜くなよ。ま、単独で来たってことはただの偵察だ、今日はもう来ないだろうけどな。あと校舎を離れるときも、〈お祭り〉が終わるまではなるべく集団でいろよ。嗣原、お前は特に気をつけろ」

「ふむ。となると、同学年でペアを組んだほうが都合が良かろう」

「それならコーヤで決まりネ」

「ちょっと! 二人とも、意地悪言わないでください」

「んなもんあとで決めろ。いいからさっさと行け……あ、そうだ。九条と三年連中にもこの件はちゃんと伝えとけよ。俺も早よ学校に戻って報告せにゃならん……ああっ、若宮先生の無事も確認せにゃ」


 そう言い残し、顧問はそそくさと今来た道を逆に辿っていった。

 一体あの教師は何しに来たのだろうか。

 道すがら航也に尋ねると、「若宮先生のことをしつこく訊かれた」との返事が。


「ウヒョー、あの問題教師、本気で若宮センセー狙ってんだ。やっばー」

「ウケる、チョーウケるネ」腹を抱えるエステラ。「美女と(ラ・バレ・エ)野獣(ラ・ベト)よ。コクトーにメガホン取ってほしいネ」

「お、お主ら言い過ぎだぞ……プッ! ククク」


 最早これまでと盛大に吹き出す太鳳。

 若宮先生に好印象を持たれている航也なら、色々訊き出せるとでも思ったに違いない。

 教師の風上にも置けない、下心丸出しのスケベ男じゃないか。

 これは是が非でも盟や由良たちに伝えないと。

 ほんの十数分前に日本刀で斬りつけられたことなどすっかり忘れて、顧問のとんだ醜態に笑い転げる部員たちなのであった。


 ……〈お祭り〉開催まで、あと十五日。

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