第4幕 エステラという名の転校生(しかも刺客?)(2)
「今を遡ること千年近く前の十二世紀、イスラムの軍勢に苦戦を強いられた十字軍の兵士たちの間で噂され、幻のキリスト教国の援軍を率いて東方より来たると言われた、伝説の王のことネ。ラテン語でプレスビュテル・ヨハネス。古くは新約聖書の『ヨハネによる第二の手紙』と『第三の手紙』の作者が〈長老ヨハネ〉と言われてるネ。プレスター・ジョン伝説との関連ははっきりしてないけんども」
「でもその二つ、名前全然違くない?」
「ノンノン、スーコ。ジョンはヨハネの英語読みネ。プレスター・ジョンはこれ即ち司祭ヨハネ。あなた勉強不足ヨ」
転入生に初日からダメ出しされてしまった。
キャハハと能天気に笑う茅逸。
枢子は一層凹んだ。
「だけんども、何事も疑問に思うのはいいことネ。スーコはきっと伸びるヨ……えーとネ、カンワキューダイ。わちきはずばり、プレスター・ジョンのお墓を探しに来たのです」
「墓ァ?」
幾人もの声が重なった。
太鳳に至ってはいつもの涼しい眼許を大いに怒らせ、身を乗り出してさえいた。
「お主の口から、その名が出てくるとは」
「やっぱりここって、お墓だったのかい?」
「プレスター・ジョンの墓……」
滅多に感情を表に出さない航也まで驚きを隠せずにいる。
「かのマルコ・ポーロも、アジアのどこかにプレスター・ジョンの国があると信じていたのヨ。やはりそうなのネ。この学校で教会王ジョンの復活祭があるのネ?」
「復活祭、ですか?」
これには副部長も声を上げた。
「〈お祭り〉のこと?」と茅逸。「まさかイースター・エッグを食べるあれじゃないよね」
「そういうことですのね」副部長は納得したように両手を合わせ、「ほら、〈陵殯祭〉は〈陵〉に〈殯〉と書きますでしょう? 〈みささぎ〉とは国君や皇帝の墓所を指し、〈かりもがり〉は亡くなった方を埋葬する前に、暫くの間ご遺体を棺に納めたまま安置することを意味します。復活祭とはニュアンスが異なりますけれど、やはり我が校の〈お祭り〉は、お墓に葬られたどなたかと関係があったのですね」
「オマ、ツリ……なんですかそれ」
「高校の文化祭が、今月の下旬に開催されるのですよ」
文化祭の大雑把な説明を聞いたエステラが、多分それ! と机を叩いた。
「イメージしてたのと全然違うけんども、それのことネ。なんか地味なのネ」
「ええ。カーニバル的な催しというより、文化事業の一環ですから。それでも後夜祭のフォークダンスは本当に幻想的ですし、前夜祭の〈巫覡の儀〉も凄く盛り上がるんですのよ」
〈巫覡の儀〉?
これまた聞き憶えのない言葉だ。
今日は次から次へと新しい単語が出てきて、なんだか世界史と日本史の授業を一緒くたに受けている気分である。
枢子はよっぽど太鳳に訊こうかと思ったが、また「そんなことも知らんのか」と一喝されるのはイヤなので黙っていることにした。
「簡単に言うとミスコンの男女版、ミス・ミスターコンテストってやつだね。自薦他薦問わず人数制限もなし。壇上に上って特技を披露したり審査員との質疑応答があったり」
「ミスコン! 何か面白そうネ。わちきも聖像披露したくなってきたヨ」
極力航也を意識しないよう心がけながら、茅逸の説明にじっと耳を傾ける。
自薦他薦問わず……一気に不安が募った。
盟やほかの友達は、このことを知らずにいるのだろうか。
まさかとは思うが、盟は特にお節介なところがあるから。
お願いだから、他薦だけはやめてほしい。
「優勝者の男女って、何か貰えるんだよねェ。なんだっけ」
「記念品の類ではなかったか? どのみち妾たちには縁のない話だがな」
「ごめんなさいね、エステラさん」副部長は詫びるように眉根を寄せると、「〈お祭り〉の楽しい点を知ってほしくてつい口を滑らせてしまいましたが、わたしたち墓守部員は校内の警護に当たらないといけないので、〈巫覡の儀〉には参加できないのです。手が空いていれば見物くらいはできるかもしませんが」
「ノープロブレムね。どうせわちき水着持ってきてません」
「水着審査はないよ」
参加不可能と聞いてひと安心の枢子だったが、同時に心の一部がぽっかり欠けたような、一抹の寂しさも感じた。
取り敢えず、墓守部に入部しなければミスコン不可の制約もない。
しかしオスターバーグの決定は絶対なのだ。
その旨を告げ、それでもよろしいのですか、と念を押す副部長。
「オーケーよ、願ってもない」エステラは快諾した。「わちき、そのために日本語ドタマに詰め込んできたのです。〈反則〉の件も、イコール〈聖像〉ということであれば、わちきなりに頑張る所存ネ。というわけで、みんなで力を合わせてお墓を暴きましょう」
「逆、逆」
「えーと何でしたっけ……守る、守るほうネ」
「大丈夫かお主」
「ノープロブレム。ウェールズのハイスクール時代には、悪漢を何人も血祭りに上げたことあるヨ。大船に乗ったつもりでいてヨ、大将」
「血祭り知っててお祭り知らないなんて、どういう言葉の憶え方だよ」
「先輩、ツッコむとこ、そこじゃないんじゃ」
部長も顧問も不在ではあったが、とにもかくにも今ここに新たな墓守部員が誕生した。
誰からともなく始まった拍手がその数を瞬く間に増やし、美しい少女を賑やかに包み込む。
意外な情報を少なからず有する、大変貴重な、その上とんでもなく面白い人柄である。
航也との距離が近づき過ぎるかもという憂慮さえなければ、心強い仲間が加わったと言い切っていいだろう。
枢子は率先して両手を打ち鳴らしつつ、そう思った。
正面玄関を出て左側を大きく迂回すると、学生寮に通じる石敷の遊歩道に出る。
裏山ほどではないものの、緑豊かで自然の景観を損なわない素朴な造りの並木道は、静謐さを好む生徒らに憩いの場を提供していた。
「ウェールズからヘリで来たの?」
「ノーノー。あなたヘリコプターのこと買い被りすぎ。ひょっとしてスーコ、あなた天然? もしくは不思議ちゃん?」
部活終了後のことである。
外国人に流暢な日本語で天然呼ばわりされ、枢子は違うよーと反抗した。
くすくす笑い出す太鳳。
「空港までは普通に旅客機で来たネ。ヘリはそこから」
「にしても自家用ヘリであろう? よほどの名家なのだろうな」
「それに頭もいいんだよね」
「そうでもないネ。授業についてく自信ないヨ」
「でも編入試験ほぼ満点だったんでしょ」
「ほう。枢子よ、お主勉強のほうもエステラに教わったほうが良いのではないか?」
そう言われた枢子は林檎のように頬を紅くした。
笑みを零すエステラ。
寮に向かう途上のことである。
「ときにタイホーサン」
「大鳳ではなく太鳳だが」
「失敬ね、タオサン。さっき言い忘れたけんども、復活祭には当然〈聖ジョージの槍〉も出てくるのよネ?」
「〈聖ジョージの槍〉? なんだそれは」
「あれま。ホントに知らないの? ここ、ホントにプレスター・ジョンのお墓なの?」
太鳳とエステラの、共に後光の差すような美しい横顔を半ば惚けた様子で凝視していた枢子は、長々と樹々の影を落とす黄昏刻の路上に、不自然な現れ方をしたその奇妙な人影に、一番最後に気づいた。
それは歩道の敷石から生え出たかの如く、忽然と姿を見せた。
異様な人影だった。
服装からしてまともじゃなかった。
黒を基調とした厚手のマントは、幾何学模様のラインや布切れでゴテゴテと装飾されている。
何より不気味に感じたのは、その顔だった。
太鳳より、エステラよりもずっと白い右半分と、墨を塗りたくったように真っ黒な左半分。
凍てついた眼。
笑い顔。
左右で色彩の反転した、それは一枚の仮面だった。
全身タイツでも着用しているのか、首回りのどこにも肌を晒す隙間が見当たらない。
完全防備の黒い影。
その黒い手から鋭利な日本刀がすうっと伸びているのを見て、枢子はあっと声を上げた。
「何奴!」
太鳳が叫ぶ。
いつの間にか影は三人の目前に迫っていた。
次の瞬間、耳を劈くような金属音。
太鳳の反応も負けてはいない。
鋭く振り下ろされた刀を、すんでの所で受け止めていた。
掌から取り出した洋風の剣で。
押し切れないと判断するや、影は素早く背後に跳びのいた。
「二人とも下がれ!」
謎の仮面の剣撃は容赦なく続いた。
だが太鳳は払い除けるのに精一杯で、全く攻勢に転じることができない。
それだけでも、相手がかなりの手練なのだと窺い知れた。
あの太鳳が、為す術なく押されている。