第4幕 エステラという名の転校生(しかも刺客?)(1)
ある日のこと、盟を誘って太鳳と共に芝生横のベンチにて昼食を摂っていた枢子は、吹き渡る涼やかな風に混じってパタパタパタと忙しない音が上空で鳴っているのを耳にした。
正午過ぎの長閑な裏庭が、次第に騒々しくなっていく。
自分で淹れた麦茶入りの水筒から口を離し、枢子は面を上げた。
「ヘリですね」
「やかましいな。あんな近くで何をしておるのだ」
「なんかこっちに近づいてきてない?」
どこまでも青々と広がる空をバックに、一機の白いヘリが着陸地点を探しあぐねるように暫しホバリングしている。
と、庭で弁当をつついていた約三名の好奇の眼差しに気づいてか、程なくそこから遠ざかるように大きく旋回した。
ところが大気を震わさんばかりの駆動音は、期待したほど小さくならない。
それもそのはず、ヘリコプターはあろうことか金網向こうの広大な運動場の上で、そろそろと高度を下げていった。
「うっわ、あれグラウンドに降りるつもり?」
「行ってみるかの」
「あ、はい!」
ベンチを離れる三人。
手ぶらなのは太鳳一人で、残る二人は水筒や弁当箱を後生大事に抱えたままだ。
降下するヘリの様子を金網越しに眺める数人の男子生徒。
太鳳は構わず橫手に回り、石礫と雑草の散見する土のグラウンド脇に立ち入った。
無事着陸を終えたヘリコプターは、しかしローターを止めることなく徒に砂埃を舞わせている。
強烈な逆風にもめげず果敢に進んでいた太鳳は、その乗車口がゆっくりスライドしたのを見てその場に立ち止まった。
枢子と盟はというと、更に距離を置いたグラウンドの片隅で、上空からの思わぬ訪問者をこっそり窺っていた。
空いたドアから颯爽と降り立ったのは、ノースリーヴの華やかなワンピースを着た女性だった。
遠目に見ても、ただならぬ身分の服装だと判る。
振り返った女性が小さく合図をすると、ヘリコプターのドアが内側から閉まり、再度機体は浮上した。
「あなた、この学校の方?」
ヘリが速度を上げて遠方に去り、膝周りをはためいていたスカートの裾が落ち着いたところで、女性が初めて口を開いた。
太鳳の背後数メートルにまで迫った枢子は、その女性の見事な巻き毛が優雅なストロベリー・ブロンドの色をしていることと、自分たちとさほど変わらない年齢の顔立ちであることに気づいた。
太鳳を十センチあまり上回る長身にそぐわない、少女に近いあどけない相貌は、深い碧色の瞳のせいもあって多国籍な風格を漂わせていた。
「そうだが……お主は何者かな? ちと騒々しい登場な気がするが」
「おっとそうネ。失礼をば致しちゃった」言葉遣いが少しおかしいが、発音は完璧に日本人のそれだ。「屋上にヘリポートなかったので、ここに降ろしてもらいました。わちき、今日からここに通うことになったのネ。転校生ですよろしく」
「わちき?」
眉を顰める太鳳。
枢子は盟と顔を見合わせた。
「転校生って……」
「うちのクラスだよきっと」
異国情緒溢れる少女は肘まである純白のグローブを嵌めた手を差し出して、
「もっと早く来る予定だったけんども、準備追いつかなくて遅れてしまったネ。あなた方、理事長のお部屋ご存知? よろしければ、わちきをそこまで案内してほしいのです」
枢子は少女の顔をしげしげと見返した。カールした長い睫毛。
白い頬は化粧を必要としない透明な輝きを放っている。
高貴な雰囲気に比して言語のギャップがやや激しいけれど、概ね彼の相場通りだ。
あいつにはむさ苦しい男だったと嘘を吐いておこう……。
「名前はなんていうの?」
「エステラいいます。生籟エステラ。ウェールズから来ました。以後お見知り置きを」
「ほう、随分遠いところから。それはそうと、言い回しがなかなか面白いな、お主。日本語に堪能なのか疎いのか、とんと判らぬ」
エステラと名乗った少女を先導する太鳳と、そんな二人に付いていく枢子に盟の計四人は、見物客よろしく呆然と眺めやる男子生徒を無視してグラウンドを立ち去った。
「なんだ今の子?」
「外国人か?」
「簓木が一緒ってことは、墓守部の関係者じゃねえの?」
背後の人だかりから聞こえてきた、そんな呟きをあとにして。
――――――✂キリトリ線✂――――――
「エステラちゃん、荷物はもう持ってきてるの?」
「そうネ。昨日届いたはずヨ。服も読み物も長剣も」
「レイピア?」
弁当箱を取りに一旦ベンチに戻った一行は、たまたまオスターバーグを散歩に連れ出していた副部長を眼に留めた。
首輪の先の鎖は外されている。
副部長に対して並々ならぬ忠誠心を持つオスターバーグは、彼女の命令には絶対逆らわないので鎖を繋ぐ必要がないのだ。
早くも四人娘に気づいた犬と副部長の顔が、同時に向き直った。
「オー! ジャパニーズ・ヤツフサ!」
悲鳴にも似た叫びを放ち、エステラは興奮も露わに駆け出した。
なんのことかと首を傾げながらもあとを追う三人。
「可愛いワンワンね。ヤツフサでしょ、このコ?」
「? ヤツフサって犬種か何か? 名前はオスターバーグだけど」
手袋を着けた手でゴシゴシ撫でられ、それでも満更ではない様子で眼を細くするヤツフサならぬオスターバーグ。
思わずきょとんとした副部長だったが、屈託ない笑顔の少女を見て、すぐに表情を和ませた。
「まあ、『南総里見八犬伝』を読んでらっしゃるのですか?」
「もちろんヨ。キョクテーバキンの最高傑作ネ。あと『チンセツユミハリヅキ』も読んだヨ。チンゼーハチロータメトモ、カッケーね。尊き哉」
「まあ素晴らしいですわ。お若いのに読書家なのですね」
「あれ? だけんどもこのコ、アザがない」犬の背や脇をきょろきょろと見回したエステラは、そう言うと声を落として、「本物のヤツフサなら、牡丹型の模様が浮かんでるはず。うーん残念無念、ヤツフサじゃないネ」
「ちょっと早合点でしたわね」副部長は意味ありげに眼を伏せ、「それに、もっと大事なモノも、この子にはついておりませんのよ」
「オー、まさか……」と、股間の辺りを凝視するエステラ。「アッ、ない!」
大人しく座る犬を前に、彼女はがっくり項垂れてしまった。
「メスなのにオスターバーグとはこれいかに。ヤツフサはオスよ。完全にわちきの勘違いだったネ。すまなんだ」
「いえいえ、こちらこそお役に立てなくてすみませんでした」
「副部長よ、なんの話をしておるのだ?」
訝しげに近づく太鳳。
その後ろで、枢子と盟はすっかり傍観者の役回りを演じていた。
眼の前で肩を落とし意気消沈しているエステラに、オスターバーグはクンクン鼻を寄せ、それから……。
「ワンッ!」
吠えた。
「あらまあ」
眼鏡の奥の眼を殊更大きく見開く副部長。
「な、なんということだ」
いつになく狼狽気味の太鳳。
「ほ、吠えた」
信じられないといった面持ちの枢子。
「……え?」
オスターバーグの習性を知らないため、周囲の変化についていけない盟。
当のエステラは、犬が単に自分を励ましてくれたのだと思い込み、オー慰めてくれるのネ、優しいコねよしよし、と今度は毛並に沿って静かに額を撫でた。
枢子の件はともかくとして、〈反則〉を見抜くオスターバーグの嗅覚は確かだ。
「これは……詳しく話を聞く必要がありそうだな」
舌を出して嬉しそうな犬と、もっと嬉しそうに顔を綻ばせるミステリアスな美少女を見下ろしながら、太鳳は含みのある言い方をした。
――――――✂キリトリ線✂――――――
「それ、〈聖像〉のこと?」
「アイコン?」
その日の放課後、早速墓守部の部室に連れて行かれた転入生エステラは、別件で不在の部長に代わり取り仕切ることになった副部長の軻遇夜から、この部と〈反則〉に関する説明を受けた。
最前列中央の席を転入生に譲り、そこを取り巻くように座る茅逸・枢子・航也の三人。
筆記作業のない太鳳は窓に凭れ黙然と腕を組んでいる。
よく見ると脚も交互に組んでいた。
そして話が〈反則〉に及んだところで、エステラは初めて口を切ったのである。
「アイコンって、スマホとかPCの画面にある、あのちっちゃい絵みたいな?」
「そうネ。神聖な力のシンボルという意味を込めて、わちきの母国ではそう呼んでいたヨ。わちきは本国でも数少ない〈聖像戦士〉の一人なのです」
エステラ曰く、説明に聞く〈反則〉なるものが、自身の持つ〈聖像〉の異能にそっくりなのだとか。
〈反則〉イコール〈聖像〉だとすると、彼女がオスターバーグに吠えられたのも合点がいく。
彼女も異能者なのだ。
一体どんな能力を秘めているのだろう。
枢子は俄然興味が湧いた。
「反則ってファウル・プレイのことでしょ。そんなネガティブなことなの? 〈聖像〉にはそこまでダーティな意味ないヨ。日本人特有のヘリ墜落、もといヘリクダリ文化的な? まあ誰もが羨むチート行為なことは、認めるに吝かでないけんども」
「何ヤブサカって。流鏑馬の仲間?」
「オー、ジャパニーズ・ヤブサメ! 人馬一体。これまたタメトモ思い出すネ」
「タメトモ? メル友の仲間かい」
「茅逸、お主いちいち突っかかるでない。話がややこしくなるわ」
墓守部については全く知らなかったようだが、質問があれば伺いますわという副部長の言葉に、異国の美少女は勢いよく立ち上がって、
「ハカモリブって、プレスター・ジョンと関係あるの?」
と、今度は部員たちにも聞き慣れない単語を持ち出した。
「プレスター……ジョン?」
鸚鵡返しに繰り返す枢子。
エステラは背筋を伸ばしたまま小さく頷いた。
担任の若宮先生による紹介ののち、午後イチの授業から既に当校の制服に着替えていたエステラだが、どういう訳か両腕の白グローブだけは外そうとしなかった。
もっともそれを注意するような校風ではないので、咎める者もいなかったのだけれど。
「そうネ。プレスター・ジョン。伝説の教会王ヨ」
「教会王?」
「聞いたことがありますわ」副部長は記憶を確かめるように慎重に言葉を選びながら、「中世に実在すると信じられたキリスト教国家の君主の名前が、確かそんな名前だった気がするのですが」
エステラはパッと顔を明るくした。
「それそれ! それで合ってるネ。フクブチョーサン、貴女とっても博識ネ。わちき感動したヨ。いや、感動をば致しました」
「敬語は結構ですのよ、エステラさん」穏やかに副部長は言い、続けて、「けれども、それ以上のことは存じておりません。どうかプレスター・ジョンについて、もっと詳しく教えてくださいませんか」
「了解をば致しました」
「思いっきり敬語だよ」
「了解しました」
「まだ敬語」
「了解した」
「そうそれ」
「了解」
「うん」
「りょ」
茅逸がぶはっと吹き出したが、構わずエステラは説明を始めた。