9話:芝山家の2人の子がホンダジェット入社
その後、芝山一郎が、ホンダジェットの米国工場を見学したときに感激した
という話を家族全員の前で話すのを聞いた、次女の次子もホンダジェットの
米国工場を見学した。2005年に、長男の芝山一郎が、ホンダの航空機
事業子会社の米ホンダエアクラフト(ノースカロライナ州)の入社試験を
受けて合格した。
2005年には、十津川和子・音楽教室では、芝山伸吾、和子、一美と恋人
の山口澄男君での4人で合計100人の生徒を月に5千円の月謝で教えていた。
そして、2年後2007年、次女の芝山次子も米国のホンダ・エアクラフト
の入社試験を受けて、合格し、入社した。その頃、2007年5月23日に、
ソニー株を成行売りを指示し、売ると7180円で売れた。
全株2万株が売れて、税引き後利益が12500万円となり、残高が
21460万円となった。2007年7月24日に、丸紅株を成行売りを指示し
、売ると1202円で全株売れて、税引き後利益が39000万円となり、
残高が60400万円となった。
その時、投資の指示をしてくれた、D証券に勤める里山繁君に300万円の
謝礼を渡した。これで、資産は十分できたので、十津川和子・音楽教室を
芝山一美と恋人の山口澄男君の2人に譲り、芝山伸吾、和子は手を引いた。
数日後の2007年8月10日に、芝山一美と恋人の山口澄男君が10月
12日に結婚式だけは近くの教会で11人に参加して、その後、披露宴は
埼玉県勤労者福祉センターの部屋を借りて行いたいと言ったので了解した。
招待客は友人、学友8名と両親の2人でアメリカで働いてる兄弟は来れない
ので。兄弟は1人の合計11人だと言った。山口澄男君が、僕は、山形の農家
の長男で家を継ぐ立場にあったが、音楽がやりたくて、置き手紙を置いてきて
、家を出て来たので、両親、兄弟、親戚は呼べないと言った。
すると、やむを得ないでしょうと、芝山伸吾、和子が言った。そして、
その後、世界の音楽を勉強するために、旅行する計画をたて始めた。
その後、毎年、世界中の音楽を知る旅に出ようと芝山伸吾、和子は考えた。
早速、2007年10月22日に、ハワイへ飛び5日間滞在し、その後、
ホノルルからヒューストンへ行き、2日間観光をして、ジャズ、ゴスペル
で有名なニューオーリンズへ行く事と考えたが、2005年ハリケーン・
カトリーナの大きな被害の残っているので、中止することにして、
その代わりに、音楽の都と呼ばれる、プレスリーも過ごしたナッシュビル
に目的地を変更した。