7話:助言付き投資開始
そして、数日後に、送金を終えた。1992年8月19日にソニー株
3400円で5千株を1700万円で買い残金が2300万円となった。
1995年4月には、息子の一郎と次郎が近くの中学校に入学し、
その2年後、1997年には、娘の一美、次子が同じ中学校に入学した。
長男の一郎は、物静かで努力家、と図書室で、よく本を読んでるようで国語、
社会が得意で成績はクラス2位と良く、さいたま市立浦和高校をめざしていた。
次男の次郎は、目立ちたがりやで気が短くて正義漢が強く、よく喧嘩していたが
、足も速く、リレーの選手になり、勉強の方では算数、理科が得意で勉強は
今ひとつで、県立浦和工業高校を狙っていた。
その後、1998年3月、長男の芝山一郎は、さいたま市立浦和高校に合格し、
次男の次郎も県立浦和工業高校に入学した。2年生になった1998年の夏、
お姉ちゃんも妹も、絵と音楽は好きで、声もきれいで、2人ともラジカセを
買ってもらい、洋楽中心に良く聞いていた。そして、2人とも、ハンサムボーイ
が好きで、洋楽を聴いていて、英語も大好きになった。
姉の一美は、クラスで5番目で真面目で、将来、音楽を勉強したいと考えて
、埼玉県立大宮光陵高校の音楽家をめざしていた。妹の次子は、数学の才能が
あり、記録力も良く、英語と数学はクラストップで競争心も旺盛で負けず嫌い
だった。そこで浦和第一女子高校か川越女子高校のどちらかに入りたいと
考えていた。 2000年に長女の一美は念願通り、埼玉県立大宮光陵高校
の音楽科に合格し、妹の次子は、結局、川越女子高校に入学した。
1998年7月21日にソニー株を13400円で全株売り、税引き後利益が
5650万円で残金が8950万円となった。その後、再び、ソニー株を
1998年10月30日7400円で1万株、7400万円で買い、残金が
1550万円となった。その後、2000年2月22日成り行き売り33150円
で全株売れ、税引き後利益27750万円となり、残金が29300万円となった。
その後、2000年3月12日から芝山和子さんの方が作曲、作詞、教室を開催
して、歌の指導を旦那さんの伸吾さんがやることにして、名前を十津川和子・
音楽教室と掲げたところ、週刊誌のレポーターが、一発屋のその後という、特集を
組んで、歌手の一発屋として、十津川和子の名前が挙がり、テレビ局でも取れ
上げられて、その後、電話が鳴りっぱなしとなり、レッスンを受けたいという人
からの応募が殺到した。
その中でも歌のレッスンが一番多く、全部、旦那さんの芝山伸吾さんに依頼し
、その人数が40名で、2000年4月3日、月曜日から毎週1回で5千円の授業料
で30分で1日8人をこなした。その他、シンガーソングライターをめざす作曲家
希望者が28人現れて、毎週1回で1万円の授業料で、どちらも土日祭日を中心に
行う事にした。これで、収入の道が開けて助かった。