67話(最終章):最悪の知らせと母の突然の死
やがて厳しい冬、2月になり家の中をファンヒーターで暖めコタツに入り
、風邪に気をつけて過ごして、必要以外の外出はせずにじっとしていた。
やがて3月になり寒さが和らいできて、本格的な春、4月を迎えた。
今年の4月に十津川興業の最終公演だねと母と夢子が話していた。
そして4月14日21時26分、テレビを見ていると九州、熊本で大地震発生
と字幕が出た。母が思わず、肇が公演へ行ってる所じゃねえかと、驚いた。
直ぐに夢子が十津川肇の携帯に電話入れるが全くつながらない。母の顔色が
青ざめ、生きでますようにと願った。その後、熊本地震が気象庁から震度6、
マグニチュード6.5ととんでもなく大きな地震だと発表された。
熊本の大きな建物は倒壊している映像が飛び込んできた。母は見てられない
ので自分の部屋に戻った。その後も熊本では震度5以上の地震が相次いだ。
母も夢子も十津川肇たちが生きていて欲しいと願い続けたが何回も携帯に連絡
を入れても通じなくて連絡が取れなかった。眠れぬ夜を過ごし、その後も頻発する
大きな地震に、ショックを受けて母が寝込んでしまった。
その後も消息がわからず夢子が津軽の方に予定を来たところ4月14日
21時頃には、明日の公演を控えて益城町の町の集会場を借りて公演の
リハーサルをする事になっていた。そして、その集会場は全壊したとわかり
生存者がいないことも芝山が調べてわかった。しかし、死亡者名簿に十津川肇
の名前が挙がってこないうちには、この話はできないと、黙っていた。
その後、4月19日に津軽の十津川興行に警察から問い合わせがあり4人の
氏名がわからないが、そこに行っていませんでしたかと連絡が入り行っていたはず
ですという答えると背格好などを教えられ十津川肇とほぼ間違いなさそうで男性2人
、女性2人も同じ。遺体は損傷が激しく移動することはできず熊本で荼毘にふす、
しかないと言われ遺骨を引き取り来るかどうか聞いたので行きますと夢子が言った。
その後、津軽の十津川興行でも引き取り行くことになった。引き取りの日時場所
を後日、知らせると言ってくれた。その話を聞いて母は塞ぎ込んでしまい部屋に
入ったが何か物音がしたので慌てて夢子が母の部屋に行くと胸が苦しいと倒れ、
救急車を呼んでもらった。その後、病院に着くと、心筋梗塞だと言われた。
その後、緊急手術となり20分後、芝山伸吾が先生に呼ばれて、血の塊が心臓と
頭に飛んで命を取り留めても意識は戻らないので、このままにして延命治療を
やめた方がご家族のためですと冷静な声で言われた。
すると私には良くわからないと言うと先生が一命を取り留めても意識がなく
話もできず、歩けず、排便、排尿もコントロールできない、たれながし、
ただ心臓だけを動いてる時間を長くするのに大量の高価な薬と数人の医者、看護婦
が必要で、助かっても数時間持つかどうかですと言った。困って先生に先生なら
どうすると聞いてしまった。
すると私なら、あきらめると言ったので、とっさに。では、そうして下さいと
言った。すると先生が肉親の方々には、私達は秘密にしておきますと良い頭を下げた。
10分後、担当の先生が残念ながら全力を尽くしましたが助かりませんでしたと、
みんなの前で言うと夢子は泣き崩れた。もっと早く十津川興行が上手くいっていない
事など言ってくれなかったのと言い泣くじゃくった。苦労ばかりの人生なんて、
あまりにも母が可哀想すぎると号泣し続けて5分位して芝山伸吾が全力を尽くした。
仕方ない、これも運命だと夢子を抱きしめた。すると、夢子が夢遊病者のように
歩き出し、部屋の天井の一点を見つめて、ありがとうと言い手を振った。これを
見て、芝山が夢子の頬をひっぱたくと、我に返った。母が、今、私に微笑みかけて
本当にありがとうと言って手を振って消えていったのよと冷静に言った。(終了)
読破ありがとう、今後のために感想を書いて下さい宜しくお願いします。