66話:十津川興業の凋落
6月、梅雨となり、暑い夏が来て、じっとエアコンの効いた部屋で過ごした。
お盆過ぎると涼しくなり始め、9月へ10月初旬、母が夢子と芝山伸吾に
実は十津川興業は2000年には民謡指導は採算が取れないので辞めてしまい、
津軽三味線だけにした。しかし津軽三味線も3組で全国を興行に歩いていたが
、2010年には興行が減り2012年には2組で全国を回るようになり人数を
減らした。
そして、2013年には十津川興業は12人の社員を6人へと減らした。
2014年には津軽三味線の1組も給料が低すぎると独立していき現在1組で
活動していると十津川興業の現状を話した。なにしろ売れない時代だと言い
現在じゃ、興行といっても安いビジネスホテルに泊まって電車や高速バスを
乗り継いで動く有様で興行も人数が揃わず中止というケースもあると話した。
あと何年持つか心配だと言い津軽で民謡指導の家元はなくなり津軽三味線も
流しで青森、弘前でやっている人以外、全国公演しているのは全国に名の知れた人
以外は十津川興業だけになって組合も2010年に解散したと教えてくれた。
そのため父の葬式も参列者が少なくて寂しかった涙を浮かべて話してくれた。
その現状を聞かされ夢子がもっと早く言ってくれたら良かったのにと言ったが
、他の人に迷惑をかけたくないという気持ちでじっと黙っていたようだった。
夢子の兄弟も公演しているのは長男の津軽三味線の1組だけで他はアルバイト
をかけ持ちしたり、地元の中小企業の事務、セールス、配達をして食いつない
でいるとはじめて語った。芝山伸吾が、そんなにひどいのかと言い、そういえば
民謡のテレビ番組もなくなったし、演歌の番組も少ないなとうなづいた。
11月になって今年も熱海と湯河原温泉に泊まりに行き、おいしい料理を
食べて母も元気を取り戻してくれた。12月なると朝晩冷え込みが厳しくなり
、うがい、手洗いに気ををつけて数をひかないように気をつけていた。
今年も家でクリスマスパーティーをして、春のポルトガル旅行の写真を
見ながら話が盛り上がった。また、機会があったらいきたいと笑いながら母が
言った。
そして、2016年があけた。初詣でに行った母と芝山夫妻が家内安全、母と
自分達の健康を祈願してきた。そんな1月3日に津軽の十津川興業・社長の
十津川肇から母に電話が入り、かわって話し始めると、目に涙を浮かべて、
長い間ご苦労さん、なくなった父さんも、きっと仕方がないと許してくれるよと
、泣き伏した。
夢子に電話をかわると、津軽三味線の興行も今年4月15日の熊本公演を
最後にして十津川興業も年内に解散することを従業員一同に伝えたと言うことが
わかった。これには何も言えず、ただ、ご苦労様でした母の事は、こっちで
引き受けるから心配しない欲しいとだけ話し、夢子の目にも涙が浮かんだ。
これを見ていた芝山が、時代の流れだ、仕方あるまいと言うしかなかった。