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55話:夢子の父の突然死。

芝山夫妻が日本に帰り、2014年6月の梅雨に入り、7、8月の猛暑が続き

、北海道の釧路に避寒のために釧路プリンスホテルに長期契約・マンスリー割引

で宿泊し、代金先払いで、電車で根室へ行き、北方領土を見学した。その他、

納沙布岬のアーチやの灯台も見学したが最果てという感じが、ひしひしとして

、新鮮な驚きだった。


 北方領土奪還と書いた石碑を見て写真を撮ってきた。返せ!北方領土の大きな

立て看板が道沿いに立ち高い望郷の塔・オーロラタワーがい目立っていた。

その後、列車に乗り、厚岸で途中下車して、厚岸の街中にある

「厚岸味覚ターミナル・コンキリエ」・道の駅 厚岸グルメパークへ行くと、

厚岸産の牡蠣を生やソテー、揚げや蒸し、さらにスイーツでも食べられ、

牡蠣好きにはたまらなかった。


 その中でもボリュームたっぷりの「あっけし牡蠣ステーキ丼」を腹一杯食べ

満足して、腹こなしに散歩して、根室本線に乗り、釧路に帰った。その他、

市内や釧路湿原の散策。川をカヤックを漕いで移動したりして楽しい時間を

過ごした。小旅行としては摩周湖見学、屈斜路湖、阿寒湖見学。斜里から羅臼

への知床半島ドライブ。網走刑務所跡と網走湖見学やサロマ湖、少し足を伸ばし

帯広の豚丼を食べたり、池田町の有名なワインを買ったりした。


 そんな楽しい日々を40日間過ごし2014年9月12日に自宅に帰ってきた。

 実感として、涼しくて、自然も多く、物価が安い特に、ジンギスカン、豚肉

、魚類、牡蠣がおいしかった。帰って来て、しばらくした2014年9月29日

、父が養護老人ホームで倒れ、意識不明になったと連絡が入り、芝山夫妻、

9月30日、朝一番の新幹線で青森に向かい入院先の病院についたが意識は

戻らず、その日の晩21時になくなり、病名は心不全だった。


 その後、10月5日に葬式となり盛大な葬式になるので猫の手も借りたいほど

忙しいと言われ芝山夫妻は10月4日のお通夜から手伝いをする事になった。

 お通夜の晩から地元、津軽だけでなく青森、東北からの弔問客がひっきり

なしに来て夢子は案内やお茶出しに忙しく働いた。翌日の葬式にも100人を

超える人が押し寄せ駐車場、葬儀場の場所の案内などで芝山夫妻はてんてこ舞い

の忙しさだった。


 母の十津川麗は元気で、まだ自宅で息子達の演奏会、会合、弟子達の練習や

日本国中の会合によくついていき、弟子達に指示をしていたようだ。葬儀の喪主

は長男の十津川肇がやって母、十津川麗は黒子に徹して民謡界の重鎮の先生、

津軽三味線の名歌の連中への気配りを弟子達に指示し自分は挨拶をして回った。


 葬式が全て終わり自宅に帰ると母、十津川麗は疲れたと言い部屋に戻り直ぐ

寝てしまった。翌朝、芝山夫妻がこれで帰りますと挨拶に行くと、まるで肩の

荷が降りたと言わんばかりに晴れ晴れとした顔で、ご苦労さんと言った。

 母は、これで私達の時代は終わったとしみじみと言い世話になったが、これで

私も少し楽ができるよと本音を漏らしていた。しかし、家の前まで見送る時には

、母が、元気で達者で暮らせよと夢子に言いながら大粒の涙で見送ってくれた。

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