5話:4人の子供が誕生
その後、直ぐ出て、青梅の町に入り、昭和の香りがする看板や珍しいもの
を見て、昭和レトロ商品博物館を見学して、近くの喫茶店でお茶して、
レンタカー屋に車を返して、家に帰った。翌日、芝山の青森の商業高校時代
からの友人で、東京都立大学の経済学部出て、大手証券会社のD証券に勤める
里山繁君に、現在のお金の運用方法について聞いて見ると、郵便貯金の定額預金
が8%で半年複利、割引金融債をワリコー、ワリトー、リッキーなどを聞いて
、分散投資する方が良いと言われ、一番安全性を考えると、郵便局の定額保険
が良いと言われた。そこで2人で2500万円ずつで5000万円預け入れしよう
となり、半年複利で5年満期のワイドも良いと言われ、2人で2500万円ずつ
で5000万円入れた。
この2つの商品で1981年12月3日から1億円を運用し始めた。そして
翌年の1982年4月に、芝山和子が体調を崩して内科医へ行くと、笑い
ながら、多分、おめでたじゃないですかと言われ、産婦人科を受診すると
妊娠とわかり出産予定日が1982年10月18日と言われた。
その頃、芝山伸吾は、東京、池袋でビルの1室を借りて、1982年1月
から音楽教室を始めて、歌手、タレント希望の人達の発声練習と歌い方の
指導をしていて、たまに、奥さんの和子さんも教室で指導し、和子さんが
作曲、作詞の教室を開いて10人の生徒を教えていた。
やがて、1982年10月15日に家から近い産婦人科病院に入院し、
10月18日早朝、双子の男の赤ちゃんを出産し、一郎と次郎と名付けた。
10月22日に退院して、芝山伸吾は、仕事を少なくして、奥さんと
子供の面倒を見る日々が続いた、半年が過ぎ、おっぱいの飲みも良く、母の
和子さんは、お腹が空いてしょうがないほど、良く乳を飲んで、太って、
元気が良かった。
12月になり、生まれてはじめて鼻を垂らし、風邪を引いたようだったが
、食欲は衰えず、数日で回復した。あまりに乳を飲むので、ミルクをつくる
ようになった。やがて1983年となり、特に変わりなく、和子さんも子供達
も食欲があり、芝山は、ステーキを焼いたり、焼き鳥、唐揚げを揚げたり、
料理を続けた。
やがて夏になり、秋を迎え、あっという間に1984年を迎えた。そして、
冬に風邪を引かないように注意していて、鼻水くらいで、この冬を終えて、
4月あたたくなり、5月の連休を迎えたときに、奥さんの和子さんが、また
体調を崩し、車で産婦人科へ行くと、おめでたとわかり、出産予定日が
1984年11月20日と言われた。その後、暑い夏が過ぎ、秋が過ぎ
、11月17日、かずこさんが、近くの産婦人科に入院し、11月20日
、可愛い双子の女の子が生まれて、一美、次子と名付けた。