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34話:芝山伸吾の心筋梗塞・緊急手術

 日本に帰って、4日後の2010年7月13日、朝9時、父が急に胸が締め

付けられるようにいたいと言い、義理の息子の山口澄男が、近くの大きな病院に

電話をして救急車を呼んだ。10分ほどで病院に着き、救急室に循環器内科の

先生が待機していて、調べると急性心筋梗塞と言われストレッチャーにのせられ

、直ぐに手術室に運ばれ、母の芝山和子に、入院と手術の承諾書にサインする

ように言われれ、直ぐにサインした。


 そして、1時間後、手術は成功した報告があり、病室に行き、父も見舞い、

家に帰った。そして、夕方19時に病院から再び電話があり、手術してステント

「狭い血管を広げるために入れる器具」の所が再凝血したようだと先生に言われ

、再手術だと言われ、昼間は、手首の血管を使ったから、今回は使えないので

、太もものつけ根と大血管から同じ所へステントを再び入れると言われた。


 内容については良くわからなかったが、言われる通りにお願いしますといった。

 先生が今回は時間かかりますよと言い、夕方17時に始まり、終了したのは、

22時だった。そして、手術をした先生が、奥さんの芝山和子に、他に4ヶ所、

狭くなっている場所があるから、半年に1回ずつ、2年かけて、全部にステント

を入れましょうと言われ、同意した。


 翌日、病院に行くとICU「集中治療室」に旦那さんの芝山伸吾が入れられて

、トイレに行けないので、暴行に導尿管を入れられ、動かないように、ベッドに

貼り付けられた。動いて足のつけ根の血管がら出血すると死の可能性があると言われ

、手術の担当医が年のため2週間は、最低ICUですと言った。それからの2週間は

、芝山伸吾にとっては耐えがたいほど、長く辛い日々が続いた。


 14日目に導尿管をとり、一般病棟に移った。その後、徐々に歩行訓練をし

始め、とにかく体重を減らすようにと言われ、食事制限を心がけて下さいと

言われたが、今回の入院ですでに12kgも減量した。最初は、ふらつきながら

、歩行訓練を10m、20m、40m、80mと増やしていった。毎日、体重を

量り、尿と血液検査をする毎日だった。


 その後、1ヶ月がたち、無事退院できた。その後、最初は週に1回、次は2週に1回

、次は月に1回の外来診療を受け、今後4回のステント手術の日程を組んだ。4回予定

の最初の手術を2011年1月13日に行うと言われた。2回目は、半年後2011年

7月13日、3回目は、半年後2012年1月13日、4回目は、半年後2012年

7月13日と続けて行くと言われた。


 2ヶ月後の9月14日に、かかりつけ医に紹介状をつけて、いくように言われ、

その後は月に1回の開業医「かかりつけ医」の診療だけで良いと言われ、何か異常

があったときに、病院に来て下さいと言われた。やがて涼しくなり、今年は、

心筋梗塞で終わりそうだなと笑いながら言った。

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