30話:音楽の旅、西ヨーロッパ3
翌、7月3日は朝8時に起きて、リスボン・アポローニャ駅へ行き、パンと
飲み物と切符を買い、リスボン9時発のインターシティ列車に乗り込んで、昼前に
ポルト・カンパニャン駅へ向かった。リスボンを出ると車窓には一面の小麦畑が
続いた。やがて12時にポルト・カンパニャン駅に到着し、タクシーでドウェロ川
河畔のホテルへ入った。
荷物を置いて、外に出るとアハビダ橋が右手に見えて、ホテルの前を左方面、
海から反対方面に歩いて行くと、河畔のカフェがいくつもあり、数軒見て、気に
入った店に入り、昼食をとった。魚のフライとあさり蒸しサラダとパンにビール、
ボリューム満点の量で、パンは食べきれず持ち帰った。食事を終わると、この道を
10分も行くとポルサ宮殿があるから行くと良いと店の人が英語で教えてくれた。
言われたとおりに行くと、庭の芝生チューリップの花がきれいなボルサ宮殿が
見えた。まずは、いろんな角度からボルサ宮殿の写真を撮った。ボルサ宮殿は
今でもポルト商工会議所本部が置かれていると聞き驚かされた。以前、徳川家の
葵紋が発見された「紋章の間」の天井は、ポルトとの深い関わりのあった19の
国とポルトガルの紋章で飾られ、ポルトガル語では「国々のパティオ」と呼ばれ
ている。
パティオの名の通り、広々とした吹き抜け構造で、天井だけでなく、床の大理石
やアーチの美しさも見事。ボルサ宮は他にも、壁一杯にポルト市民の商いの場面が
描かれた「裁判の間」。エンリック・メディーナ作の12枚の絵画が華やかな
「陪審員の間」。当時の通信手段であるテレグラフ機器が残る「電報の間」。
マリア・ピア橋などでポルトに貢献したエッフェルが使ったとされる
「ギュスターヴ・エッフェルの間」。ローマ時代の市民をテーマにした絵画や
暖炉が美しい「所長の間」。
現在でも月に一度ポルト商工会議所の定例会議が開催される「黄金の間」。
年に一度の総会が行われる「議会の間」。サン・フランシスコ修道院跡地を
ポルト商業組合に贈呈した王妃ドナ・マリア2世へ謝意を表するためブラガンサ
王朝の王たちの肖像を飾った「肖像の間」。アルハンブラ宮殿にインスピレーション
を受け、18年の月日をかけて1880年に完成した「アラブの間」がある。
特に「肖像の間」の木彫作家ゼフェリノ・ジョゼ・ピントによるテーブルは、
1867年のパリ万博で入賞した当時の最高傑作。さらに、現在でもコンサート
や国際会議などが開かれる「アラブの間」は、その木彫の美しさと金箔の豪華さ
でボルサ宮随一の見所だった。
しかし、残念な事に、ボルサ宮殿内部は写真撮影禁止で写真を撮れなかった。
またポルトガル北部の伝統工芸フィリグラーナ(金銀細工)ジュエリーショップ
やポルトワインのショップも併設されていて。ポルトワインのショップではワイン
の試飲ができ、ご想像の通り芝山夫妻は、しっかりと試飲して、赤い顔をして
ボルサ宮殿から出てきた。