二十八
経過報告をする際は、待ち合わせる店の構造上いつも向かい合っていた。横に並んで座るのは初めてーーいや、亜紀に婚約破棄された日以来だ。
泉はそれとなく右隣の尊を見た。酒には強い方なのかマティーニに続いてギムレットを注文していた。酔い潰れていた泉の記憶はおぼろげだが、初めて会った時も尊はギムレットを飲んでいたような気がする。そして自分から亜紀とのことを聞き出した後に、タクシーに乗せて自宅まで送り届けてくれた。
あの時から既に、尊は自分に目をつけていたのだ。
「お気遣いいただかなくても結構ですよ。私はお支払いいただいた分の仕事をしただけですから」
「とは言っても、永野さんにはよくしてもらったから、お礼くらいはさせてください」
泉が視線を流すと、心得たとばかりにマスターはカクテルを作り始めた。そこそこ高級な店なので客層も相応。おまけに行きつけのバーなので多少の融通は利く。こういう時に便利な所だった。
「明日、ですよね?」
野田が亜紀に別れを切り出すのは。
「ええ。私はその場には参りませんが、別の者が近くに張って確認いたします」
「俺も見たいなあ。無理だろうけど」
二週間ぶりの逢瀬と聞いている。しびれを切らした亜に野田から誘ったとか。もちろん野田は別れ話をするつもりだが亜紀には知る由もない。勘づいているだろうが、必死に打ち消しているところだろう。そんな亜紀にトドメとばかりに別れを告げる野田。最高のクライマックスだ。
しかし泉の復讐はそれでは終わらない。
傷心の亜紀に優しく手を差し伸べてやるのだ。亜紀はきっとすがりつくだろう。それが、自分を陥れた男だとは知りもしないで。
よりは戻してやるが、不貞を赦すつもりはない。野田との関係を亜紀に突きつけ、一生かけて罪を償わせる。会長にバラすと脅せば亜紀は従う他ない。まずは彼女が受け継ぐ予定だった社長の座を明け渡してもらおう。名実共に社長となった暁には、自分を見下していた連中にも思い知らせてやるつもりだ。
リリアンカンパニーの社長ともなれば、自由に使える金も相当なものだろう。愛人の一人や二人囲むことだって容易いーー泉は舐めるように尊の澄ました横顔を見つめた。
(だからこれは、味見みたいなものだ)
いずれ自分が手に入れるモノの味を見ておくだけ。
「永野さんは、いつから今の仕事を?」
尊はギムレットを一口飲んだ。ナッツには全くと言っていいほど手をつけていない。
「今の会社は半年ほど」
「その前は?」
「大学卒業後すぐに就職したクリニックを辞めたので、しばらくは無職でしたね」
嘘ではない。尊には一年ほど何もしていない空白の期間がある。おそらく誰かに囲まれていたのだろう。
「結構、波乱万丈なんだな」
「いつも順風満帆とはいきませんからね」
当たり障りのないことを言ってお茶を濁す。詳しく語るつもりはないようだ。
「また何かあったら依頼してもいいですか?」
尊は泉の方を向きもせずに答えた。
「私は構いません。しかし、探偵なんぞにそう何度も頼むようなことにならない方がよろしいかと」
やんわりとした拒絶だった。依頼人と請負人の一線を明確にし、それを越える気はないという意思表示。
やはりそうだ。泉は目を眇めた。この青年が優しいのは、泉を対等だと考えていないからだ。自分よりも格下の人間を憐れみ、導くことに優越感を覚えている。
今までのことを考えれば仕方のないことだ。だが、これからは違う。泉達也は永野尊と同等の、いやそれ以上の人間になる。認識を改めてもらわなければならない。
「アンダルシアをいただけますか」
キレのいい味わいの、強い酒だ。尊の顔色は全く変わっていない。
「酒、強いんですね」
「鍛えられましたから」
アルコールの分解能力はアセトアルデヒド脱水素酵素の問題だから鍛えるにしても限度がある。生まれつきもあるのだろう。
「へえ、付き合っている人に?」
突っ込んだ質問と同時にアンダルシアが尊の前に置かれた。彼の目の色と同じ、琥珀色の液体がカクテルグラスの中で揺れる。
「今日は特に質問が多いですね」
「永野さんってミステリアスだから気になって」
「タネを明かせば落胆すると思いますよ。単に毎日のように晩酌に付き合わされたことがあるだけです。そのおかげで自分の限界も把握しましたし、酒にも多少詳しくなりました」
自分が注文したアンダルシアをしかし、カクテルグラスを転がすだけで口をつけようとはしない。いい加減焦れてきた泉を、尊は愉快そうに見た。
「そうそう、もう一つ得たものがありましたね」
アンダルシアのカクテルを泉の前に滑らせる。
「世の中には他人のお酒に睡眠薬を入れる方がいることを学びました」




