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悪魔の洗礼  作者: 東方博
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 理屈はわかった。しかし現状、亜紀からは何の連絡もない。別れるための理由を探すまでもなく、婚約はあっさりと解消された。

「とはいえ、さすがになんの説明もなしに一方的に婚約解消とは不誠実ですし、婚約破棄として訴えられてもおかしくはないでしょう」

 尊の言葉は泉の耳に心地よく響いた。彼の声は低く落ち着いていて、慈愛すら感じる。

「一般的な男女の破局にしては不可解な点が多いですね。二週間ほどお時間をいただければ、一条亜紀さんの身辺調査をいたしますが、いかがでしょうか」

 泉は反射的に頷いてしまいそうになった。この青年は心から自分に同情してくれている。浅岡や平凡を絵に描いたような同期とは違う。見目麗しくかつ社会的ステータスの高い尊が自分に協力してくれようとしていることが、泉の自尊心を大いにくすぐった。

 それでも二つ返事で了承できなかったのは、まだ料金について聞いていないからだ。ネットで調べて相場は知っている。最低でも二、三十万はかかるという。社会人とはいえおいそれと払える金額ではない。

「いくらくらい、かかりますか?」

「実質動くのはせいぜい三日ですので、五万ほどいただければ」

「そんなに安いんですか⁉︎」

 レストラン内であることも忘れて泉は声を上げた。

「相場をご存知で大変助かります。これでも高いとおっしゃる方はかなりいますので」

「……だって、尾行するなら交通費だってかかりますし、二十四時間体制で見張るのなら人員も割かないといけませんよね?」

「おっしゃる通りです」

「少し考えればわかることじゃないですか」

「皆様が泉さんのように思慮深くはありませんから」

 実際はネットで検索しただけなのだが、褒められて悪い気はしなかった。

「話を戻しますが……お察しの通り、安さには裏があります」

 案の定、裏があった。次の言葉を心待ちにした泉だが、反対に尊は身を引いた。

「ですが、今その理由をお話することはできません」

「え、なんで」

「あいにく守秘義務がございますので。二週間後、亜紀さんの素行調査をご報告する際にご説明させていただきます」

 あからさまに顔をしかめた泉に、尊は微笑んだ。

「ご心配は当然のこととは思いますが、二週間だけお待ちください。依頼料も後払いで結構ですから」

 つまり報告が気に入らなければ踏み倒すこともできなくもないのだ。あまりにもこちらに有利ではないか。

「法に抵触するようなことではありません。二週間だけ、私を信じていただけないでしょうか」

 裏切られたところでこれ以上泉の立場が悪くなることはない。亜紀が一方的に婚約を解消したのは事実だ。部外者に愚痴ったところで責められるいわれはない。

「では、お願いします」

 形式的に泉は頭を下げた。

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