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アオハルビーツ  作者: 鍵詰灰色
1/1

偶然の奇跡1

春季はるき! どうしたそのケガ!」

 春季が教室に入ってすぐ、チャイムが響いた。

 教壇に立つジャージ姿の担任教師は目を大きく見開き、春季を指さした。

 それに釣られて、他の生徒たちも指を辿って春季を目を丸くしてみる。

 すかさず耳元の傷を手で覆う春季。

 だが、首まで流れた血までは隠しきれなかった。

 生徒たちから不安の声が上がった。

 春季は少し困ったような顔をして、「すぐ保健室行きますね」とカバンだけを教室に残して去った。

「大丈夫か?」

 担任が春季の後を追って、保健室に入って来た。

「はい。軽い切り傷です」

「どこでどうしたんだ?」

「ちょっと転んでしまって。ドジしました」

 担任は皺クシャな笑みを浮かべ春季の肩を軽く叩いた。

「お前もう高校生だろぉ」

「いやぁ、ほんとまさかバナナを踏むなんて思ってもいませんでしたよ」

 担任は高笑いを零し、ポンポンと叩いて、「授業始まってるから早く行けよ」と保健室を出て行った。

 春季も少しして、保健室を後にした。

「嘘はついてないな」

 春季は呟いた。


「まさかバナナに滑って、転ぶまいと足掻いたら、解けた靴紐に足を取られて、藁にも縋る気持ちで何かに掴んだら、それが猫の尻尾で、ビビッて尻尾から手離したら、そのまま電柱に頭突きして、挙句の果てに、ヘッドホンが壊れて、猫にK.O.を決められるなんて言えないな。恥ずかしすぎる」

「泣きっ面に蜂の巣だな」

 学校のロビーで昼食をとりながら、春季は唯一の友人に今朝の出来事の一部始終を話した。

かず。昨日、美術の斉藤先生怒ってたわよ」

 美術部員らしき者が和に伝えるだけ伝えてロビーを通り過ぎて行った。

「何やらかしたの?」

 春季が聞くと、「それがさっぱり」と和は両手を広げて見せた。だがすぐに、和は野菜ジュースのストローを噛み締め、思いついたように零した。

「女の裸体か」

「それだよね」

「でも何か言われないように二次元ぽく描いたからなぁ」

「逆にダメじゃね。美術部員として」

「あと女の裸体だけ描いたらあれかなと思って、男の裸体も一緒に描いたんだよね」

「アウトー。完全にアウトー」

「大丈夫だ。アダムとイブのアニメ化だと思えば」

「間違いなく放送事故だな」

 放課後、春季は呼び出しを食らった和を残して、新しいヘッドホンを買いに行った。

 街に出て、デパートの中の一角に楽器売り場があった。

 一目見て、赤いヘッドホンが目に入った。

 ゴールド色のラインが特徴的な新発売の高音質のヘッドホン。

「お客様、流石お目が高い。こちら限定モデルでして、売れ筋がよく残り一品なんですよ」

「へぇ」と受け流す春季。

 赤のヘッドホンの隣に、青のシルバーラインが入った同じモデルのヘッドホンがあった。

「お客様、これまたお目が高い。こちらも限定モデルでして、あと一品しかないないんですよ」

 こいつ調子いいな。

 春季は無視して、試聴用のヘッドホンを手に取った。

 自分のスマホにアダプターを接続し、音楽を流した。

 音質は確からしい。

 春季は、ヘッドホンを外してもう一度、赤のヘッドホンと青のヘッドホンを眺めた。

「色的には青が好きなんだよなぁ」

「流石お客様、分かっておられますね。こちらは先月、あの有名な川村一太郎さんがお買いになられたヘッドホンであります」

「じゃぁ、父親と被るのは嫌なのでこっちにします」

 そう言って、赤とゴールドのヘッドホンを店員に手渡す。

「かしこまりまし―—えぇぇぇ!!!」

 春季はすかさず耳を塞ぐ。

「本当にあの川村一太郎さんの?!」

「お会計お願いします」

「は、はい。ただいま。少々お待ちください」

 店員は慌ただしく、スタッフオンリーと英語で書かれた帯らの奥へと入っていった。

「言うんじゃなかったなぁ。顔似てるって言われるもんなぁ」

 春季はブツブツ呟きながら会計の方へ進んでいくと、ギターのピック売り場があった。

「買い溜めしとくか」

 春季はピックの一つ一つの固さを確かめていった。触ったら首を傾げるの連続で一向にしっくりくるものがなかった。

 あまりにピック選びに集中しすぎて、春季は車いすの少女に気づかなかった。

 少女は隣でピックの棚を覗き込むようにして春季が退くのを待っていた。

「もっとソフトなのがいいんだけどなぁ」

 春季は静かに呟いて、手にしたピックを元の場所に戻す。

 そうして初めて、隣で厳しい姿勢でピックの棚を覗き込む車いすの少女が春季の目に入った。

 無言で場所を譲る春季。

 ぺこりとお辞儀をする少女。

 ピックの棚は二段になっていて、春季は高い段を眺め、少女は低い方の段を眺めた。

 そのうち、少女は気に入るピックがなかったのか上の段を首を伸ばしての覗き込んでいた。

 これは見やすいように手助けするべきか、いやでも女子に話しかけるとかできるのか。初対面だし。いや、初対面だからこそ話しかけても。いやいやでもなんか怖いし。いやでもでも。いやでもでも。

 春季は悩んだ挙句、少女の辛そうな態勢にもどかしさを覚えて、上段からピックがたくさん入ったケースを少女の前に差し出した。

「こうした方が見やすいかと」

 春季の言葉に少女は目を丸くした。

「あ、ありがとうございます」

 少女の、良く言うなら囁くような、悪く言うなら掠れたような声が印象的でそれでいて聞き心地が滑らかだった。

「綺麗なこ―—あっ」

 春季はしまったと思った。

 しかし、「綺麗なこ」で止めてしまったせいで「綺麗な子」と勘違いされるのは不味いと考え、

「綺麗な声ですね」

 と、春季は言い直した。

 二人の間に沈黙が流れる。

「お客様! サインをください!」

 春季の後方から声がした。

 先ほど会計を頼んだはずの店員が色紙とペンを持って現れた。

「ちょっと何言ってるかわかんない」

「顔を見てはっきりとわかりました。川村一太郎の息子様であるならば、未来の川村一太郎に出会ったも同然。是非、サインを。何卒サインを」

 店員は深く頭を下げた。

 宙でぶらぶらと垂れ下がった首下げ名札に目をやると、彼は店員ではなく店長であることが分かった。

 よっぽど川村一太郎が好きなんだな。

 でも俺は父さんじゃないから。

「ごめんなさい。俺は未来の川村一太郎じゃないんで。ただの高校生なんで」

 店長はそうですかと渋々ながら諦めてくれた。

 振り向くと少女の姿はなかった。

 ピックが入ったケースも上段に戻されていた。

 会計を済ませて店を出ると、店の横であの車いすの少女がいた。

 車輪を転がしてこちらに近づいて、ポケットから小さなケースを取り出した。

 少女はただ、これ……と手を伸ばした。

 ピックだった。

 春季は少女からのピックを手に取ると、感触を確かめていった。

「俺が欲しかったソフトなやつだ。ありがとう。ええっと、お金お金」

「いい」

「いやでも」

「いい。お礼だから。それにそれ買ったのじゃなくて元々私のだから」

「そう……なんだ」

 二人の間に沈黙が流れる。

 少女は「じゃっ」、と沈黙を破って再び車輪を転がし始めた。

「ま、待って」

 春季の声に、少女は器用に車いすを九十度回転させる。

 春季は近くにあった自動販売機に財布をかざして清涼飲料を落とした。

「これピックのお礼」

「お礼をお礼で返すなんて変なの……」

「うん? なに?」

 少女は首を振る。

 少女はペットボトルを受け取り、ありがと、とだけ言い残して車いすを動かした。

「途中まででも送るよ?」

「家すぐ近くだから、大丈夫。ありがと。じゃね」

「あぁ、うん。またどっかで」

 春季は少女の背中に手を振った。




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