第4章ー17
ちなみに同時期において、アラン・ダヴー大尉の所属する仏軍の部隊は、ある意味で助攻部隊となるリンツからウィーンへの進撃という任務を遂行していたのだが、兵力不足に苦しむ羽目になっていた。
何故なら連合国軍最高司令官であるアイゼンハワー将軍の了解を得て、仏陸軍最高司令官であるジロー将軍の命令により仏軍主力がインスブルック方面に向かっていたからである。
このことについて、ダヴー大尉はかなり後まで辛辣な言葉を投げかけることになった。
ダヴー大尉の判断からすれば、主力と助攻の部隊配分が逆の方が良かったというのである。
その方が独軍のハンガリー等への脱出を妨げることができ、この後の世界大戦でより有利だったとこの当時からダヴー大尉は述べており、これにド=ゴール将軍等も同調している。
更に皮肉なことにダヴー大尉と同様の主張を、独軍の前に苦戦していた筈の伊軍司令官であるグラツィアーニ将軍までが第二次世界大戦後にしているのである。
グラツィアーニ将軍の主張によれば、我々伊軍が少しでも独軍を引きつけている間に、仏軍はウィーンを目指すべきだった。
そうすれば、独南方軍集団の将兵がハンガリー等へ脱出するのを防げたはずで、インスブルック方面に仏軍主力が赴いたのは間違っていた、というのである。
この主張は、伊軍の苦戦を仏軍に救われたというのは、伊軍の面子から認められなかったからだ、と反論もあるが、実際の戦況はある意味で、ダヴー大尉等の主張を肯定するものとなった。
「厄介だな」
ダヴー大尉は、そう呟いて想いを巡らせた。
ダヴー大尉の所属する仏第1外人部隊師団は、ウィーン進撃の最先鋒を事実上は任されていると言っても良い部隊であり、それに見合う優秀な装備等が与えられている。
しかし、根本的な問題として、旧墺制圧任務にあたる仏軍部隊の内の3割程しか、ウィーン直撃の進撃路を選択してはいないのだ。
そのために個別の戦場においては、独軍の兵力が多く、更にウィーンへ直進する進撃路を選んでいるために独軍の阻止行動も容易になっているという二重苦が生じている。
そして、ダヴー大尉の眼前では、独軍が国民突撃隊の協力も得て強化された陣地を構えている。
陣地を発見した段階で各種支援を直ちに要請し、その準備も進められているが、そもそもの仏軍の兵力不足はどうしようもない。
ダヴー大尉の見立てに間違いなければ、あの陣地だけでも連隊規模の守備隊が籠められているだろう。
更にダヴー大尉の見るところ、その周囲もどうにも臭う。
予備も含めれば師団規模で防衛態勢を固めているのではないだろうか。
当然、それに国民突撃隊も加わる。
一方のこちらは、ダヴー大尉が所属している仏第1外人部隊師団だけで攻撃を試みることになる。
他の部隊は、助攻任務という事もあり、少しでも広正面で攻撃することで独軍を引きつけようとしているために我々を応援しにくい状況にあるからだ。
「幾ら砲爆撃による支援が得られるとはいえ、兵力的にそう差は無いのに攻撃を仕掛けるのはつらい」
ダヴー大尉は、そう呟きながら、中隊の部下を督励して攻撃準備を整えた。
幸いなことに上官も同様に考えたようで、砲爆撃を行った後での攻撃が指示された。
だが。
「どうも、砲撃はともかく、爆撃が従前より減っていませんか」
攻撃支援の爆撃行動を見たルイ・モニエール少尉が疑念の声を挙げる。
実際、ダヴー大尉にも同様に思えた。
「まさか」
ダヴー大尉は、更に考えを巡らせた。
アイゼンハワー将軍は、更に一段上の視点から行動しているのか。
旧墺領等での行動をゆったりとしたものにすることで、ベルリン攻撃を容易にしようと。
ダヴー大尉の頭の中で疑念は広まった。
ご意見、ご感想をお待ちしています。




