第4章ー10
そのような動きが連合国軍内部で起こり、ようやく各国が担当する区域が定まろうとしている頃、対峙している独軍の動きはどうだったのか。
ソ連軍の救援を独は受け入れるべきかどうか、また、ソ連軍は動くのか、ということで、まず揉めていた。
更にソ連の動きが曖昧なのも悩みを深めていた。
当時、ソ連軍が独軍救援に本格的に動き出せば、欧州戦線の動きが一度にひっくり返りかねないのは否定できない話だった。
だが、独内部の事情、更にソ連内部の事情、そして周辺諸国の思惑が様々に絡み合い、ソ連軍の動きを鈍いものにしていた。
まず、独軍(及び政府)内の底流にある反共産主義感情等からの反ソ感情である。
独の政権を担っているナチスは、そもそもは反共産主義、反ソ連を掲げて政権を奪取した政党である。
だが、気が付けば独の味方は、世界中に敵の敵は味方の論理から手を組めるソ連(と共産中国)しかいなかったというのが現実だった。
そうしたことから、独はソ連や共産中国と手を組んで第二次世界大戦に突入したのだ。
しかし、そう言った事情から、独にはソ連に頭を下げて救援を乞うというのは躊躇われるものがあった。
更にソ連自身にも動きにくい事情があった。
極東領が日米の反攻に晒されており、餓死者等が出る惨状になっている。
ソ連としては、まずそちらに力を注がねばならないというのが現実だった。
それにノルウェーを基地とする連合国軍の空襲が散発的にムルマンスク等に行われるようになっていた。
これに対処するため等もあり、ソ連軍は国土防衛のために動かざるを得なかった。
(勿論、ただ単に防衛にソ連軍が徹していた訳ではない。
例えば、ムルマンスク等を基地とするソ連北方艦隊は独海軍との共闘もあり、北大西洋で潜水艦を主に活用した積極的な通商破壊戦を展開していた。
このために、1940年夏にソ連北方艦隊のこの活動が頂点に達した頃には、この活動が数か月続けば、英本土で餓死者が出るのではないか、という観測が連合国の政府上層部で出る有様だったのだ。)
それに加えて、ソ連が第二次世界大戦勃発後に(ソ連政府に言わせれば、民主主義を追い求める現地住民の自発的な希望から止む無く)併合したポーランド東部やバルト三国において、スウェーデン等を介した(同じくソ連政府によれば、反民主主義、帝国主義者による)祖国独立を追い求める反ソ活動が活発化しつつあるという現状があったことから、ソ連政府、軍はそれにも対処せざるを得なかった。
そして、東欧諸国等の動きもソ連政府、軍にとっては懸念材料を増やすものだった。
まず、北欧のフィンランド、スウェーデンは表向きは中立を保っているものの、陰では反独ソ、親連合諸国といった態度を示すようになっており、独降伏の暁にはヘルシンキ等に英米の戦略爆撃機部隊が展開するのは間違いないのでは、とソ連政府は考えていた。
更にハンガリーやルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビア、ギリシャといった東欧諸国もソ連にしてみれば信用できない存在だった。
これらの諸国同士の対立も激しいものがあり、そのためにソ連にしてみれば、下手にある国と連携を図れば別の国に離反されるという厄介な関係になる危険があったのである。
(例えば、ルーマニアとソ連とはベッサラビア問題からそもそも関係が良くなかったが、だからといってソ連がルーマニアに宥和的な態度を取れば、ルーマニアと領土問題を抱えているハンガリーとブルガリアが本格的に反ソ側に奔るという危険があった。)
トルコを始めとする中東諸国とソ連との関係も、東欧諸国とソ連の関係と正直に言って似たようなものであった。
こうした状況がソ連政府の悩みを深めていた。
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