第4章ー5
遣欧総軍司令部を中心とする日本の影働きは、かなりの威力をすぐに発揮した。
何と言っても遣欧総軍司令部のトップが、北白川宮成久王大将である。
北白川宮大将は、日本の米内光政首相とは海軍兵学校の先輩後輩の関係になるうえに、海兵隊という組織に共に所属していたという経歴があり、更に皇族という強みまであった。
このために、内閣等の日本政府の中枢にも、北白川宮大将はすぐに話が出来る関係だった。
その関係等を活かして、遣欧総軍司令部を中心とする日本は、諸外国を巧みに巻き込んで、欧州戦線における連合国軍の最高司令官を米国のアイゼンハワー将軍にしようと策した。
その結果。
「おい、連合国に参加している全ての国が、米国の将軍が連合国軍の最高司令官になることに異存はない、と言い出したらしいじゃないか」
米第3軍司令官のパットン将軍は、アイゼンハワー将軍の下を訪れて話しかけていた。
「うむ」
アイゼンハワー将軍は短くそう答えたが、表情は気難しいものだ。
「どうした。米国の将軍から選ぶとなると、アイク、君がなるのが順当だろう、嬉しくないのか」
パットン将軍は不思議そうに問いかけた。
「嬉しくない訳ではない。ただ、何だか周囲に乗せられた気がして引っかかるのだ」
「確かにな。日本が中心になってこの件について根回しをしてくれたらしいな。北白川宮大将が音頭を取ってくれたらしい。持つべきものはいい友達だぜ。友達が君が連合国軍総司令官に相応しいと推挙して動いてくれたのだから、素直に喜べよ」
アイゼンハワー将軍の言葉に、パットン将軍は朗らかに言った。
そのパットン将軍の表情を見て自分自身の内心を表情に出さないように努めながら、アイゼンハワー将軍は想いを巡らせた。
素直に自分は喜ぶことはできない。
これは、米国を連合国から抜けさせまいという諸外国の思惑が絡み合った結果だ。
そして、米国が連合国軍の最高司令官を務めている以上は、この世界大戦の荒廃に伴う復興支援までも米国は求められるだろう。
まさか、日本はそこまで考えて、このことを仕組んだのか。
日本の天皇制が何故に2600年も続いているのか、その理由が自分に何故か分かった気がする。
蜜蜂は口に蜜、尻に針だ。
アイゼンハワー将軍は、自分自身でも考え過ぎと思いながら、そんな想いが北白川宮大将を中心とする日本に対して起きてならなかった。
日本というか、北白川宮大将らは全く意図していなかったことながら、アイゼンハワー将軍にそのような誤解が生じてしまったが。
1941年5月末にブリュッセルにおける連合国軍の各国軍幹部の会議は、米国のアイゼンハワー将軍を連合国軍の最高司令官に推挙し、各国政府も相次いで現場の将帥がそういうならばと追認した。
ここにようやく連合国軍の統帥の一元化の第一歩が果たされることになったのである。
(なお、会議の場がブリュッセルになったのも、各国対立の余波だった。
本来はパリで開かれる筈だったのだが、仏が過大な影響力を発揮するのではないか、と英等が警戒した結果、中立的立場という事でブリュッセルで会議が開かれることになったのである。)
さて、こういったある意味では無駄な議論をしたために、エルベ河を渡河して中欧へ、ベルリン等へと侵攻する連合国軍の計画は一月ほど結果的には足踏みをしてしまった。
もっとも、荒廃している西独やデンマーク一帯をある程度は復興させたうえでないと、補給等の都合を考えるならば、中欧への侵攻計画はとても無理という現実に鑑みれば、この足踏みはそう時間の無駄とは言い難かったというのも事実だった。
さて、こういった状況の一方、伊軍の独侵攻計画は悪戦苦闘という惨状を呈していた。
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