第4章ー3
「こっそり石川信吾大佐が教えてくださいました。言ってはならないことだが、何としても生きろ。大友が戦死した、秋月も戦死している。軍人なので覚悟はしているが、もうあの栄光を日本は取り戻せないかもしれない。だが、日本サッカーの灯を将来につなぐためにも、お前はこの大戦を生き延びてくれと」
「そうか」
話したことで感情の堰が切れたのか、涙ながらに途切れ途切れに語る川本泰三中尉の言葉に、岸総司大尉もそう答えるのが精一杯だった。
ベルリン陥落で戦争が終わるのならいいが、まだまだ世界大戦は続くだろう。
それを想えば、目の前にいる川本中尉も。
それ以上のことは考えたくはなく、岸大尉は黙って泣きじゃくる川本中尉を見守った。
暫く時が流れた。
「見苦しい所をお見せしました」
「いや、構わない。聞くだけの事しかできないが、それでも腹にたまったら話してくれ。部下の心身に注意を払い、部下が最善の状態にあるように努めるのが上官の務めだ」
「ありがとうございます」
川本中尉は、そう言って岸大尉の前を去った。
その背を見送りながら、岸大尉は思った。
本当は中隊の現状を聞くつもりだったのだが、どうにもお互いに話せる雰囲気ではなかったな。
他の者からも聞いているし、川本中尉ともまた話し合おう。
そんなこともあったが、岸大尉は太田実少将や石川大佐の指導の下、第6海兵師団の再建に勤しんだ。
そして、第6海兵師団のみならず、他の海兵師団の補充、再訓練も進んだ。
一方、英仏米日等は、伊の参戦を機に、本来は一気に中欧、ベルリン等への侵攻を策したかった。
だが、各国間の対立が生じており、その調整が難航していた。
また、荒廃している西独、デンマーク一帯の救援にも苦労していた。
こうした状況の調整の為に、ブリュッセルで各国の代表を集めた会議が開かれていた。
「会議は踊る、されど進まずは、ウィーンでの言葉だった筈なのだが。ブリュッセルでも、その言葉が聞こえる羽目になるとはな」
1941年の5月半ばのある日、石原莞爾中将が、そう遣欧総軍司令部で愚痴っていた。
ちなみに聞き役は、太田少将である。
第6海兵師団の再建状況の報告をするために来訪したら、石原中将の愚痴の聞き役を周囲から押し付けられてしまったのだ。
ちなみに、ブリュッセルでの会議には、遣欧総軍司令官である北白川宮成久王大将に加え、土方歳一大佐が高級参謀として随行している。
本来なら石原中将が随行するのが筋なのだが、こんな会議の根回し等を石原中将にさせたら、ただでさえ難航している所をさらに難航させるだけだ、と石原中将自身が自認し、更に北白川宮大将等の周囲もそれを認めたことから、北白川宮大将には土方大佐が随行して、会議の根回し役に当たることになった。
「そんな状況なのですか」
内心でため息をつきながら、太田少将は相槌を打った。
何で自分が、と思わなくもないが、当然のことながら、会議の状況については遣欧総軍司令部に随時、最新の情報が入ってくる。
そして、司令部の幹部全員がそれを知っている以上、石原中将の愚痴の聞き役は来訪者しかいない、という事態が生じているのだ。
「全く各国軍を調整する最高司令官を誰にするかが、最大の問題だ。誰しもというよりどの国もベルリン陥落の栄誉を得たいと望んでいる。これまではどうのこうの言っても、独各地への侵攻だったからな。そして、各国が自国の主張を曲げずに、単純に話し合うだけでは延々と会議が続くだけだ、とようやく参加者も納得したので、最高司令官をどうするかを各国の話し合いでまず決めて、その判断に従おうということになった」
(少し長めに背景も含めて)石原中将は、太田少将にそう説明した。
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